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僕が某大学病院での「11年間」のキャリアを捨てた本当の理由。

看護師なんてやめてやる!!

この思いが、僕を真剣に人生と向き合せ、キャリアよりも“自由に生きる”選択をすることになりました。

僕がいま、こうやって情報発信をしたり、投資の勉強をしたり、自分や家族との時間を作りつつ、自分の好きなことをして生きていくことができているのは、ある行動をとったから。

11年間のキャリアと聞くと長いように思うかもしれないけど、大学病院で11年間働いていても、中堅層ではあるものの役職はまだついておらず、1スタッフとして働いている人がほとんど。

人によっては、副主任の推薦があり、試験を受けて合格すれば、30前半で役職がつく人もいますが、僕がいた病院では、役職がついているスタッフは35歳以上の人がほとんどでした。

とは言っても、僕のキャリア的に「そろそろ副主任にでもなるか?」と上司にお話をいただいていたのも事実です。

では、そんな大学病院で出世できそうな時期に、僕がキャリアを捨てた本当の理由に関してお話ししていきます。


僕が大学病院を辞めるきっかけになった出来事

僕は、某大学病院に入職が決まったあと、希望部署として救急センターを選択していました。

入職後、見事希望の部署に配属となり、紆余曲折ありましたが、救急センターで9年間、なんだかんだ楽しく看護をすることができました。

この頃に、僕は上司から「あと数年頑張って、副主任になるのはどうだ?」とお声かけをいただいていました。

気持ちは嬉しかったけど、管理の仕事なんて面倒くさそうだし、何より現場での仕事が楽しかったので、正直迷っていました。

でも、今後出世していくには通らなければならない道だし、早めになっておいて損はないなー、なんて少し前向きに考えていた矢先でした。

上層部から部署異動の人事命令が出されたのです。

ある年の3月上旬に、急に言われたもんだから、「はぁ?急すぎるだろ!!ふざけるな。」って思ったのを覚えています。

僕は、まだやりたいこともあるし、もっと救急センターで頑張りたい旨を熱弁するも、思いは届かず、人事異動命令が出されてから1ヶ月後に一般病棟へ異動することになりました。

そして、移動してから1ヶ月にして、一般病棟のヤバさを実感することになります。

業務内容的には、そこまで大きく変わることはなく、知識や技術面において不安になることは少なかったので余裕をかましていましたが、何よりも過酷だったのが、残業が多いことでした。

僕が異動になった部署は、循環器内科と心臓血管外科の患者が入院する病棟でした。

仕事内容としては、1日に10件近くカテーテルの検査が行われるため、その検査出しやお迎えなどで多忙の中、翌日のカテーテル検査目的で入院してくる患者も10人程度おり、その入院オリエンテーションを実施しなければなりません。

また、カテーテル後の患者に対して毎日心臓リハビリテーションを実施するとともに、集中治療室から心臓血管外科の手術後の患者の受け入れ対応、それに加え、日常の検温や清潔ケア、おむつ交換や体位変換、食事介助などを同時に実施しなければならない部署でした。

「どう考えても、業務量多すぎだろ!!」と思っていましたが、慣れてくると業務的にはそこまで負担なくこなせるようになりました。

ただ、そんな多忙の業務の中で、記録はもちろんのこと、1日のコストをとったり、翌日の検査の準備をしたり、入院患者の配薬、退院患者の必要書類作成、プライマリー患者のサマリーの作成なども行わなければならず、部署のほとんどのスタッフが業務終了後に残業として行わざるおえない状況でした。

僕はわりと業務を早く回せる方だったので、残業も30分程度でおわる日々がほとんどでしたが、周りのスタッフが全然仕事が終わらない・・・。

16時30分に勤務交代をして、だいたい平均で帰る時間が20時くらいになるスタッフがほとんどでした。

「まじで、うそだろ?汗」って思いましたね。

なので、必然的に業務が早く終わった人が、他のスタッフのできることを終わらせてあげないと、平気で日付が超えて帰るスタッフとかもいたため、僕もだいたい19時ごろに帰ることが多かったのです。

後ろからケツ叩いて、「くっちゃべってないで早く終わらせー」なんて急かしてこの時間です。

僕には2人の娘がいるため、日々残業で遅くなるため、子供達との時間もなかなかとれず、自分の時間もほとんどとれなかったため、とてもストレスを感じていました。

なので、僕は部署異動して間もなく、こんな部署にずっといることはできないと思うようになりました。


追い討ちをかけストレスが襲いかかる

そんな日々のストレスの中、さらなる転機が訪れます。

僕が部署移動した年がちょうどコロナウイルス感染症が、日本でもパンデミックし出した時期でした。

僕がいた大学病院も、コロナ病床の確保をしなければならなかったため、1つの病棟をコロナ感染病棟にするために、もともとそこに入院していた患者たちを他病棟へ振り分けることになりました。

もともとその病棟には、腎透析科、糖尿病内科、眼科、口腔外科、泌尿器科、皮膚科などの患者が入院しており、いわゆる“混合病棟”だったので、それぞれぼ部署に、各科が異動することになりました。

そして、最悪なことに当部署に来ることになったのが、腎透析科と糖尿病内科の患者ということになりました。

普通に考えて、クソ忙しい病棟に、「なんでコンプライアンスの悪いような人たちを合わせるの?」って、上層部の頭の悪さにドン引きしました。

そして、案の定、地獄が始まります。

先ほどお伝えした、多忙の業務の中、加えて透析患者の透析室への搬送やお迎え、糖尿病患者の壊死した下肢の処置などが加わり、さらに業務が回らなくなっていました。

現場スタッフからすると、「そんなの始めからわかってただろ!」ってずっと思って抱えていました。

そんなストレスが積もりに積もって、ある日事件が起こります。


僕の看護師人生を変えた1人の人物

ある日の受け持ち患者に、透析患者がいました。
自分1人で歩くのが厳しく、やや介助が必要なADLの人でした。

ただ、口だけは達者で、いつも新人ナースを泣かせていた人でした。

僕のチーム内でも毎回名前が上がる問題児。

僕は当時看護師歴11年ほどだったので、そういう患者はたくさん見てきたし、対応にも慣れているつもりでした。

ある日、その患者が急に下血をしたのです。
消化管出血が疑われ、内視鏡の検査などがオーダーされました。

しかしその患者は、必要な検査を受けないと駄々をコネ始めたのです。

必要性を話しても、一切納得されず、医師からも説得してもらうも検査は受けないの一点張り。

それなのに、ナースコールは頻回で「水をくんできてくれ」とか「新聞を買ってきてくれ」とかどーでもいい内容のものばかり。

終いにはバイタルサインすらはからしてくれず、薬も飲まないと言い出した。

正直、この患者と話しているのが時間の無駄だと思っていましたが、治療や検査に向け合わせるのも看護師の仕事だと思い、粘り強く関わるも状況は全く変わらなかった。

むしろ、こちらの説得をうざがられて、「お前は患者より偉いと思ってるのか!!責任者呼んでこい!!」と大声をあげてきました。

無茶苦茶なこと言っているのに、マジでめんどくさいと思いつつ、責任者へ相談し、対応してもらうことになりました。

それでも患者は説得しきれず、結局検査はしない方向となりました。

こういう患者は他に何人も見てきたつもりだったし、それなりに対応してきたつもりでしたが、病棟異動からの残業の多さや日々のストレスから、
俺ってなんで看護師やってるんだろう」
考えることが増えました。

身も心も時間も削って、患者のためにいろんなケアプランを考えたり、日常の世話をしているのに、そのことに対して感謝もされず、クレームを言われる始末

言い方悪いけど、自分の不摂生で病気になったくせに、検査はやらないけど1人では生活できないなんて、よくわがままが言えるなって思ってきたら、どんどん看護師という仕事が割に合わないと思うようになったのです。

人はみんな病気になりたくてなったわけではないし、規則正しく生活している人でも病気に蝕まれる人がいることも事実。

そういう人たちのために看護師をやってきたつもりだったけど、一般病棟に異動してからの患者の質の悪さやストレスの多さにうんざりしていました。


気づいたらある行動をとっていた

一般病棟に異動してから1年半がすぎた頃、残業の多さや日々のストレスの多さ、フルで残業代がもらえない給料の低さなど、いろんな不満が溜まりに溜まって鬱になりかけていました。

今までも看護師という仕事はストレスが多く、世間一般からすると給料は高いと言われていますが、仕事量やストレス度合いから見て、割に合わない仕事だとずっと思っていました。

それでも看護師を10年以上続けてきた理由を考えた時に、僕たちは学生時代から医療のことばかり勉強してきており、看護師を辞めたら、仕事がなくなってしまって、生きていけなくなるからだということに気づきます。

そんな中、世の中では、自分と同世代や年下の人たちがさまざまな活動をして、人口の数%の人しか稼ぐことができないような額を稼いで、富の暮らしをしているのをうらやましく思うようになりました。

自分はこんなにストレスを抱えて、日々我慢して生きているのに、世の中には自分の好きなことを仕事にして生きている人たちもいるという事実を目の当たりにして、「このままじゃダメだ。」と真剣に思うようになりました。

30代前半であり、何かに挑戦するのには少し遅いかもしれないけど、まだまだ自分にやれることがあるのではないか?と真剣に考えるようになったのです。

そして、世の中のことをもっと勉強するためには、時間が必要だと考えたのです。

でも、今の環境のままでは、自分の時間を確保することは困難だし、こんな日々のストレスの中、新しいことを始めるには環境が悪すぎると思うようになったのです。

そう思った僕は、気づいたら転職サイトに登録をしていました。

「11年間大学病院で勤めたキャリアなんてどうでもいい。僕は、これからの未来を見据えて、今できることを全力でやるべきだ!!」と決意し、大学病院を辞めることになりました。

その決断があったからこそ、今では仲間内で訪問看護師という仕事をしながら、自分の時間を作りつつ、このような情報発信をしたり、投資の勉強をするなどして、本業以外での収益を着々と増やし、ほとんど我慢しない生活をすることができています^^

きっと僕が感じたように、本当はやめたいけど、生活のために我慢して嫌な仕事をしている人は世の中にたくさんいると思います。

でも、今の時代、うまくやれば個人で稼げることなんて山ほどあります。

楽に稼いで生活をしていくのは難しいけど、努力して行動し続ければ、自分の好きなことをしながら、仕事量をコントロールして何も我慢せずに暮らしていくことはできるようになります。

自分が今の不満のまま生きていくのか、それとも、限られた時間を有効に使い、将来のために今頑張るのかは、あなた次第です。

僕は、現状の不満から抜け出し、未来を見据えて行動してきました。

なので、この記事を読んでくださっているあなたにも、そのことに気づいて、自分の可能性を信じて、今できることをやっていって欲しいと思っています。

そんなあなたが少しでも成功に近づければと思い、僕は心をこめて運用しているブログがあります。

僕が感じてきた思いをより詳しく、そして、僕が今までとってきた行動やマインド面なども書いています。

無料で読めますので、もし良かった遊びに来てみてください^^


看護師の資格を活かし自由を手に入れた秘密


たった1度きりの人生、我慢なんてせずに、好きなことして生きていきましょう!!

あぁー。でも、あの時の患者の顔を思い出すたびに、マジで頭にくる。

名前忘れたけど、本当にあんなクソ人間が、この世の中からいなくなってくれることを切実に思います。

ああいう人が医療者の頭を抱えさせているってことを、みんなもっと自覚したまえ!!!

って、口が滑りました。すみません。。。以上!!

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