ラマダーンについて


神聖なるラマダーン月におけるサウム(斎戒、断食)
はイスラームの 5 行のなかで最も重要なものの一つです。
またサウムはイスラームを最も象徴するものでもあります。
神聖なるラマダーンの断食には多くの英知があります。すなわち真なる御方(アッラー)の主性、人間の社会生活や個人の生活、そして我欲の鍛錬、アッラーの恵みを感謝することなどにまつわる英知です。
 
真なる御方の主性という点における断食の数多くの英知のうち一つは、次のようなものです。
真なる御方が地上を恵みの食卓として創造され、あらゆる種類の恵みを
 かれが考えつかないところから、恵みを与えられる(離婚章 65:3)
という形でその食卓に並べられたという側面から、その主性の完全性、慈悲性(アッラーがすべての被造物に慈悲を持たれること)、慈愛性(あらゆる被造物に現れるアッラーの慈愛深さ)をその状態で示しているのです。
 

人間は不注意さの覆いの下で、因果関係に囚われるこの現世で、アッラーが与えられた責務を示している真実をきちんと見ることができず、時には忘れています。神聖なるラマダーン月を迎えると、信仰する人々は突如として秩序のとれた軍隊のようになります。


無始の永遠の王の宴に招待されたように、夜が近づいてくると「さあ、どうぞ」という命令を待っているかのようにしもべにふさわしい態度を示すこ
とで、この慈悲深く威厳のある、そして包括的なアッラーの慈悲に対し、広く、崇高な、そして秩序のとれた形でのしもべとしての行為で応えているのです。このような崇高なしもべとしての行為、誉れ高き請待に参加しない人ははたして人間という名にふさわしいでしょうか?


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