短編小説「アナログ・エロス・トレーダー」
俺の中での三大至福のとき。それは山頂で飲むエスプレッソ。こたつの中でいただく冷凍みかん。仕事中に読むエロ本……ん? 最後のは異論しかないやて? 若いな。尖っているな。まぁ、俺の話を聞け。納得できなかったら酒の一杯でもおごってやろう。
※
その仕事はとある清掃工場の受付だった。施設手前に設けられた小部屋で、ゴミ収集車の運転手から伝票を受け取り、判をおして返すというもの。
そこの担当者の一人である椎名さんは五十半ばの気さくなおっちゃんだった。顔なじみの運転手には「最近入った有望な新人」だと俺のことを紹介し、今週の天気からナイターの話題など運転手と一言、二言しゃべっていた。必要最低限の会話しか交わさない自分にとっては真似のできない芸当だった。
受付業務の日は、ほぼ一日中座っているので、メタボが加速すると椎名さんは言っていた。たしかに椎名さんは体重が三桁に届きそうな巨漢だった。髪型は薄くなった頭髪を横に流すという、いわゆるバーコードスタイルで、変に貫禄があり、昔は偉い役職についていたのかもしれない。
ある日のこと、椎名さんは顔なじみの運転手と話していた。昼の二時くらいの落ちついた時間帯で後続する車もなかった。こういうときの会話は長い。
「ダンナぁ、ひさびさにお目当てのブツをゲットしてきましたぜぇ」
無精髭もまばらな運転手が、じつにアウトローな口ぶりで話しかけてきたので、俺は身構えてしまった。
なんやなんや? 拳銃? 禁止薬物?
なんのことはない。椎名さんは数冊の雑誌を受け取り、運転手とガッと握手を交わした。
「なんの本ですか?」
椎名さんが天にかかげたのは俗にいうエロ本だった。
「うわぁ。けっこうお盛んなんですね」
この人、頭皮は枯れているものの、まだ性欲は残っているんだ……。
「宮本くんも養うといいよ」
養うって、なにをや? 椎名さんに手渡された雑誌には『アラフィフ快活倶楽部』とあった。ニッチなエロ本に俺は戸惑ったが、椎名さんは親指を立て白い歯を見せた。
「いまは2月だから引っ越しの準備期間。これから春にかけてエロ本が大漁ですよ」
椎名さんがエロ本を交換するドライバーは七人ほどいた。雑誌のなかには正統派美少女ものから、エロ漫画、十代ブルセラ系、時にはグラビア写真集などバリエーションがあった。中にはスカトロや熟女ものなど受取拒否したくなるのもあったが、手札として運転手に渡してみると、意外と好反応なこともあった。
「いや、別にこういう類いが好きってわけじゃないけどね。社会勉強っていうか、食わず嫌いもよくないと思うんだ」
美女の鼻フック写真集はさすがに恥ずかしいとは思うけど、性癖の言い訳をしていやがる。
二週間ほどの教育期間が終わると、俺は一人で受付ルームに入るようになった。暇なときには文庫本を持ち込んで読書することもあったが、中途半端に忙しいときは文章に集中できない。ちょっとした清涼剤としてエロ本は大いに役立ち、ときには勃起したままの状態で運転手に応対していた。
※
かぎられた人数でエロ本をまわしていると、問題が出てくる。まるでババ抜きのように、読んだことのあるエロ本が手元にもどってくるのだ。
こう見えても俺は仕事を真面目にこなす男だ。俺は受付ルームにノートを用意した。誰からどのエロ本を受け取り、誰にどのエロ本を渡したのかを記帳し始めたのだ。さらには運転手の性癖までもつけくわえた。桜庭運送の横田さんは熟女好きで、道場サービスの植村さんはエロ漫画雑誌とブルセラものがお気に入り……。
ちなみにエロ本交友録は引き出しの目だつ場所に置いておいたのだが、俺以外の誰も記帳してくれなかった。ものの見事にガン無視されていた。
五月に入ると引っ越しシーズンが過ぎ、景気のいい時代が終わりを告げた。エロ本の新入荷がほぼ無くなり、資源が枯渇してきたのだ。
エロ本氷河期をどうしのいでいくべきだろうか? そう俺が考えあぐねていると、椎名さんは言い放った。
「宮本さん、家に眠っているエロ本とかありません? 若いんだから、エロ本の十冊や百冊、あまってるんじゃないですか?」
たしかに家にエロ本はあった。百冊はないが三十冊ほど。だが、それだけ持っていても手放すのは惜しかった。俺はあまり美人ではない半分素人のようなモデルを気にいることがある。有名でない名無しのモデルのこと、そのエロ本を手放すと、一生めぐりあうことがない気がして、捨てるふんぎりがつかないのだ。
「せやね、もらうばかりやもんね、エロ本。こっちからも差し出さんとね」
まさしく断腸の思いであった。
ロリコンだと思われるのが嫌だったので、ブルセラ系のエロ本は避け『チョベリグ』というギャルに特化したエロ本を10冊ほど持っていった。
「最高です! いいトレードができますよ!」
ほくほくした顔で受付ルームに『チョベリグ』を持っていった椎名さんであったが、夕方に顔をあわせると「すいません、ちょっと気に入っちゃって。チョベリグもらっちゃっていいですか?」と申し訳なさそうに頭を下げた。口ぶりこそ丁寧であったが、なんだろう? 山賊に身ぐるみを剥がされた気分だった。
※
「そんなエロ本ごときに一喜一憂しているなんて。ぼくにはちょっと、想像もつかないですね」
鴇田が息を吐くように笑った。
「この若造が!」
俺はチッと舌打ちをする。
夜中の二時。警備員の控え室で、俺は鴇田と愚にもつかない話をしている。
「お前は物心ついたころからスマホがあるから、エロ画像やエロ動画を好きなときに見ることができる。それも無料で! 俺たちの頃はひもじかったから年齢を偽ってエロ本を買いに行ったり、野ざらしにされたエロ本を拾ったりしてな。まさに泥水をすすっていたよ」
「戦時の食糧難みたいに言わないでくださいよ。というか仕事中にエロ成分を求めるのが理解できないです」
「バカ野郎! お前がふだんやっているスマホゲームを思い出せ」
「ふだんやっている? 少女革命戦記エヴォルブのことですか?」
「タイトルはなんでもいい。あれに出てくるキャラクター、みんな半裸の女子ばっかじゃねーか。お前らスマホ世代はなぁ、空気を吸うようにエロを摂取しているから満ち足りてんだよ!」
鴇田は椅子から立ち上がり、芝居がかった感じで膝から崩れ落ちた。こいつのこういうところ、嫌いじゃない。
「ちょっと、珈琲入れてきます」そして唐突に鴇田は給湯室に向かった。こういう切り替えの早さも俺は嫌いではなかった。
珈琲の入れたマグカップを二つ持ってくると、座り心地の悪いパイプ椅子に鴇田は座った。
「で、宮本さんのチョベリグを奪われて、エロ本の配給は停止したんですか?」
スマホをいじることが多いものの、鴇田はなんやかんやと俺の話に興味を持っている。
「それがな、いま思えばあの時が時代のターニングポイントだったんやろな……」
その頃、椎名さんはちょうどパソコン買い、インターネットを契約したタイミングだった。たとえば、仕事中に俺が車両管制室にいるときでも、椎名さんからの内線が鳴り、パソコンについての質問が入る。いままでパソコンやゲームをいじったことのない世代なので、質問が初歩的すぎた。マウスやドラッグ、ダブルクリックから教えなければならない始末。
日に十回近くも内線が鳴り、うんざりしてきた俺は「一度家に行って教えに行きますよ。直接」と言ってしまった。そして椎名さんの家に遊びにいった。そこで俺はメールアドレスの作り方や、ネットサーフィンや画像保存のやり方などを教えてあげた。
予想はしていたが、やはり椎名さんはアダルト画像の入手の仕方を聞いてきた。ちなみに誰のヌードが見たいですか? 憧れの人は? と聞くと「ウルトラマンセブンのアンヌ隊員のヌード」と答えたので、世代差を感じて笑ってしまった。俺は親切にアンヌ隊員のヌードを保存し、フォルダにまとめてやった。
嫁にバレないようにと、履歴の消し方まで教えてあげたし、それ以来、パソコン関係の質問はほとんどこなくなった。
「代表の椎名さんがそんな感じになったから、運転手たちとエロ本を交換する文化も自然となくなってしまったんだ。いま思えば、あれがアナログからデジタルへと移行するエロの転換期だったんだと思う」
「いやぁ、宮本さんの話、興味深かったです。幕末から明治に移り変わる激動の時代みたいで」
俺はちょっと珈琲を吹き出した。
「お前、心にもないこと言うなや」
「てへぺろ」
夜はまだまだ長い。業務終了まであと六時間もある。
椎名さんの家にパソコンを教えに行った時、俺は菓子折りをもらった。あとでネットで調べたところ、2500円相当の代物だった。
さて、ここでクイズ。そのときに俺は椎名さんに言おうと思ったけど、出せなかった言葉がある。チッチッチ……正解は「菓子折りはありがたいですが、俺があげたチョベリグ返してもらえません?」だ。
完
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