短編小説「ジローインスパイア・タイムトラベラー」
ラーメン屋の食券機について俺は思う。店員の注文を省略し、客の回転を速くする目的もあるだろうが、それだけではないと思う。たとえば行列店で後ろに客がひかえているとき、なんとなくせっつかれている感じになり、ついつい余計なトッピングをつけたりしたことはないだろうか?
これはとある昼下がり、人気ラーメン屋でおきた不思議な物語。
俺はその日、セミナーで都心にまで来ていた。オフィスとガード下の飲み屋で有名な街だ。いつも昼飯はコンビニ弁当や菓子パンですませることが多いが、せっかくの外出だ。事前に食べログで行きたい店に目星をつけてある。その店こそ、セミナー会場近くにある「豚そば荒木」だ。
豚そば、などと銘打っているが日本そばを提供しているわけではなく、ラーメン二郎インスパイア系のこってりラーメンの店だ。最近、ラーメン屋なのに鶏そばだの海老そばだの『そば』とつけたがる店が多いが、気取りやがってとしゃくに障る時がある。
で、セミナーの昼休憩は予定よりすこし早く11時半に終わった。おかげでオフィス街とはいえ行列に巻き込まれることなく、豚そば荒木の券売機にたどり着けたのだ。
ラーメン並780円。大盛り880円。俺のポリシーとして、初見ではとりあえず並を注文することにしている。気分次第で半ライスを丼に投入し、締めの雑炊を楽しめる程度の余裕をもうけておくのだ。
だが、この店にはちょっとしたトラップがあった。それが「ラーメン中盛りまで値段は変わりません」というやつだ。ラーメン中盛りは麺の量が1.5倍。ちょっとしたお得感に惑わされて中盛りを頼み、あとで後悔することが多々ある。それはラーメン屋によって麺の量がまちまちであり、予想がつかないのが原因だ。中盛りといえど、上品なお店の大盛り以上のボリュームになることがあるからな。
「今日は並にしておくよ。腹八分目。三十才を越えると無理してがっつくことはない」
俺は財布から千円札を抜き出し、券売機に入れる。そして「豚そば並」と書かれたボタンに手をかけようとしたとき、手首をつかまれた。
「間一髪ってとこだな、やれやれだぜ」
「な、なんなんですか! 割り込まないでくださいよ!」
手首を掴んだ男を見ると、その男は見慣れた顔をしていた。毎日見ている顔、鏡で見ている顔。そう、つまりそれは俺自身だった。
「ドッペルゲンガー? それともコピーロボット的な、なにか?」
俺の動悸は高鳴っていたが、不思議と冷静ではあった。
「話はもっとシンプルだぜ。俺は未来から来た俺」
未来というわりは、未来の俺はまったく老けておらず、いまの俺の顔とほとんど変わらなかった。それどころか今日の服装とまったく同じだ。
「未来から? 俺の身になにかよからぬことが? 交通事故にあうとか? あなたはそれを回避しようとわざわざやってきたんですね?」
「そう、俺はお前であり、お前は俺でもあんねん。お前、並を注文したら腹パンパンになるで」
「え? え?」
「ここの店な、並でも350グラムあんねん。ちょっと頭おかしいやろ? 並の下に小ラーメン250グラムがあるから、そっちにしとけ。さらには女性向けのミニラーメン、それでも150グラムあって上品な店の並くらいのボリュームやねん!」
「それだけを伝えに、わざわざ未来から?」
「おう、食べ過ぎで午後のセミナーぜんぜん頭に入らんかったわ。トイレでちょびゲロしてしまうし。だからな、小にしとけよ。ミニでもかまへんぞ!」
そうやって俺の肩をばんばんと力まかせに叩くと、未来から来た俺は店から出ていった。
どうしようか? 言われたことを無視して、ここで「並」を購入したら、タイムパラドックス的ななにかが生まれ、時空が乱れたりするのだろうか? と、思うものの、そこは無難に小ラーメンにしておいた。前に長崎ちゃんぽんの店で300グラムを食べたことがあるから、いけるだろう。
食券を店員に渡すと、野菜の量とニンニクについて聞かれたが、未来からわざわざやってきた俺の好意を無下にはできない。
「野菜ふつう盛。ニンニクは少し」
※
ちょうどいい腹具合でセミナーを受けることができた。そんな気がする。未来から来た俺が言うように、小でもなかなかの満腹具合。なんならミニでもよかったかもしれない。まったく近頃のドカ盛りブームはどうにかしてるよと思う。
帰り道、俺は豚そば荒木の横を通り過ぎ、駅へと向かった。車道を避け、住宅街を歩いていると児童公園に不審者がいた。九月上旬、まだ残暑の盛りだというのに、黒いスーツにシルクハット、ステッキを持っているどころか、黒いマントまで装着しているのだ。黒は無難? とかいうけど、そんなことはねえ。思いっきり目だっていやがる。
嫌な予感がする。目を合わせまいと、早足で通り過ぎようとしたら、ステッキの手持ちの部分で腕を引っかけられた。
「あら、やっぱり、そう?」
なんとなくの予想はついていたが、俺は聞いてみた。
「はい、今からあなたを過去に送りますよ」
「うっわ、マジでかー。たかだか過去の自分にラーメンの適量、伝えんとあかんのん?」
黒マントは露骨なため息を飛ばし、地面に座り込んだ。
「自分勝手な人だー。自分さえよけりゃ、過去の自分なんてどうでもいいんだね」
「いやいや、やらないと時空がひずむとか? 未来が変わるとか、開いちゃ駄目なゲートが、とか、そういうのはあるんですか?」
「べっつにそんな大袈裟な話じゃなくてさぁ、人からもらったら、普通は返すよねぇ? バイキングやジャイアンじゃないんだからさぁ」
自分でも自覚はあるのだが、俺は驚くほど煽り耐性がない。ちょっと言われただけでムキになってしまう。
「わかったよ。いけばいいんでしょ! 行ってやるよ! 過去によ!」
黒マントはステッキの先端で、地面に魔法陣的ななにかを描き出した。そして魔法陣の中央に立つよう指示をした。
「ちなみにこれ、タダなん? タダやんな? 魂の一部とか寿命とかとられへんよな?」
俺の問いをガン無視するように、魔法陣から緑の柱が立ち上った。
……魔法陣から移動した先は六時間前の同じ場所で、黒マントも立っていた。演出があまりに地味すぎてタイムトラベルをした実感はゼロだった。いちおうスマホの時計を見ると11時半になっていたので納得はした。だが、午後に届いたメールやLINEはそのままスマホに残っているという不思議なことになっていた。
ラーメン屋で目にした過去の自分は、予想以上に驚いていた。モブキャラっぽいリアクションで、ちょっとダサいな。並はやめときなと、せっかく教えてあげたのに礼の一つも言わないでやんの。と、些細なことに俺はモヤモヤしていた。
目的を果たし、児童公園にもどった俺は黒マントに聞いてみた。
「あの、これ、本当に無償でやってくれてんですよね? 俺の魂とか無傷なんですよね?」
「しつっこいなー。タダですよ。昔っからタダより高いものはない、なんていいますからね」
「不安になるような言い方すんなや。あ、もしかして、人間よりも遥かに賢い知的生命体で、人の営みを面白がっているとか? それだったらすんなり……」
「そんなんじゃないですよ」
そう言って黒マントは悲しそうにフッと笑った。
「誰かを助けるのに理由がいるかい?」
渾身のドヤ顔にちょっぴりムカつきながらも、そんなことはおくびに出さず、俺はもとの時代にもどしてもらった。
駅への帰り道の途中で、茶色い野良猫に出会った。人懐っこい猫でさわることができた。なんとなくラッキーだと思った。家に帰ると、妻が夕食を用意していた。焼きそばだった。昼、麺類で夜もか、と思ったけど、そんなことはいちいち言わない。
「今日、優しい顔してるね。なにかいいことあった?」
そんなことを妻から言われるのなんて、五年ぶりくらいだろうか。
「うん、じつは今日、不思議なことがあってね」
タイムトラベルの話をしようかと思ったが、野良猫を撫でた話にとどめておいた。
そういえば、と、ふと思う。
俺に教えてくれた未来の俺、ちょびゲロしたとか言っていたな。俺は過去の自分にあんな言い方はしなかった。ということは、あいつは自分にとって、なんの得にもならないのに、わざわざ過去にもどって俺に伝えてくれたというわけか。義務感とかでもなく、ただの善意から俺に教えてくれたのだ。
なんだ、けっこういいとこあるじゃんか、俺。
自分のことが少し好きになれそうな気がした。こんな感情は社会に出てからは久方ぶり、大学時代以来のことだった。
完
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