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子どものセルフねんねを、インディアナ・ジョーンズの映画で…

昼食後、気になっていたNetflixの番組、ナディヤのお助けクッキングを観ていた時、子どもがカーペットの上でセルフねんねをしてくれそうな雰囲気だったので、続けて何か映画でも観ることにした。ナディヤさんの番組がイギリス英語だったので、同じく何か英語のものを見ようと思い、観終わった後の画面に出てきたものをさっと適当に選んだ。インディアナ・ジョーンズのシリーズの初作映画、レイダースの失われたアークだ。子どもはカーペットの上でカシミアのカーディガンの一部を掴んで舐めてはごろりごろりと転がったりしながら、一緒に映画を観始めた。映画冒頭の遺跡での場面、耳を刺激するような激しいアクションはたくさんあるわけではなく、子どもはテレビの画面を見たり見なかったり、時おり目を擦って眠たそうではあるけれど、まだ寝そうな様子ではない。聞き慣れたインディアナ・ジョーンズのテーマの曲が優しく劇中に流れても、そっぽを向いて聞き流している。セルフねんねを中止して二階に寝かしつけをしに行ってもいいのだが、私は寝かしつけ、とりわけ日中の寝かしつけをすることが得意でないのだ。できないことはないけれど、できればしたくはない。なので、映画鑑賞を続行する。
遺跡を後にして、職場の大学に戻ったインディー。動きの激しいの場面はひとつもなく、インディーとその周辺の人物との談話が数分間続く。子どもはさっきよりも、ほんの少し眠そうだ。よしよし、これはいい感じだぞと、そっと子どもを見守りながら、引き続き映画を観る。
うつ伏せの姿勢でお尻をかくかくふりふり振り始めたので、もう少しで寝つくだろうと思っていたのだけど、そううまくはいかない。インディーの恩師の娘であり元恋人のマリアンヌを訊ねてアメリカを出発し、ネパールに着いたインディー。マリアンヌの経営する酒場で、お決まりの銃撃アクションが始まってしまった。ドイツの秘密警察に捕らえられたマリアンヌを助けようと、インディーが発砲した銃の音で、子どもははっと我に返ってしまった。しかし、私は諦めなかった。インディーとドイツ秘密警察との激しい銃撃戦が終わるのを、じいっと待った。この映画は既に何回も観ているのだけれど、見知った内容を確認するように、注意深く観る。もちろん子どもは目が少し醒めてしまって、今すぐにセルフねんねで眠りそうにはない。銃撃戦も終盤に差しかかったところで、先ほど火かき棒から引火したカーテンが、本格的に燃え出し始めた。そして子どもも同じように、本格的に体を動き出し始めた。テレビの画面に近寄って、揺れ動く火を指さしてはその画面の炎に触れようとする子ども。これはまずい状況になってきた。この調子が続くのならば、セルフねんねどころか寝かしつけも大変になるのではと、最悪の結末が頭の中に浮かんでくる。けれども、一度乗り込んだ船は、もう降りることはできない。画面の中のインディーを追いかけながら、セルフねんねを続行する。
酒場をめちゃくちゃに破壊されて激昂するマリアンヌを連れ立って、エジプトに向かうインディー。エジプトに着いてしまえば、そのからりとして晴れた太陽の光が差し込む気候のせいもあるだろう、マリアンヌもまんざらではない様子で、映画は進む。インディーは友人サラとの再会を果たし、しばらくは穏やかな雰囲気で話は進むのだが、それもほんの束の間のことである。割とすぐに、またアクションの場面が始まってしまう。再び、敵に捕らえられてしまったマリアンヌを追うインディー。激しい銃撃戦はないものの、今度は迷路のように入り組んだ市場の中での場面だ。インディーやその敵が、騒がしいイスラム式の市場の中を行ったり来たりするので、子どもも気が散ってしまい、セルフねんねからはだんだん遠ざかっていく。この市場での最後の場面、インディーを待ち伏せる剣を手にした無防備(銃を携帯していない)な敵を、インディーがもう細々としたことに対応するのはたくさんだといった表情を浮かべながら、手持ちの銃を使って一発で敵を倒してしまう気持ちのいい場面が終わった後も、やはり子どもはまだ寝ていなかった。当然だといわれればそうなのかもしれないが、私は子どもがそのような場面を見て、退屈に感じて寝てくれることを期待していた。でも、今日のこの子どもには、だめだったみたいだ。(まあ、今日のところは)
あともう一歩のところでマリアンヌを死なせてしまい、意気消沈するインディー。ラーの飾りに刻まれた言葉を解読したり、アークの居場所を突き止めて発掘したりと、穏やかに映画は進行していく。これもやはり途中まで、インディーが単身で遺跡全体の立体マップがある遺跡室内にてアークの居場所を解読する場面等、子どもは全くの無関心で、再びカシミアのカーディガンの一部を掴みながらカーペットの上にごろごろと転がったりして、眠たそうではあったのだが。
アークを地下の遺跡から引き上げたすぐ後に、インディーたちはアークともどもナチスドイツ軍に見つかってしまい、インディーはアークが眠っていた遺跡室内から出られなくなる。そして死んでいたと思っていたマリアンヌが生きていたことを確認した後、その状況に委ねて彼女を解放せずにしておいたインディーだったが、ここでナチスドイツ軍らはマリアンヌを解放する、というか見切ってしまい、インディーの入っている遺跡室内に放り込んでしまう。この遺跡室内のアクションの内容は、インディアナ・ジョーンズのシリーズ作には欠かせない、蛇やミイラがたくさん出てくるというものである。もう少ししたら寝てくれるかなと思っていた子どもは、このインディーとマリアンヌが閉じ込められた遺跡室内の場面に入ると、今度は蛇が気になり始めてしまい、体を起こしてしまった。ここまで来てしまうと、もうセルフねんねはほぼ失敗に終わったと思っていいだろう。もはや私たちの間には、どうしたらいいのか分からない、絶望的な雰囲気が漂っている。閉じ込められた遺跡室内から抜け出した後といえば、ナチスドイツ軍とのかなり派手なアクションの場面が、私たちを待っている。私たちは、そのままインディーたちに身を任せた。乗り込んだ軍用飛行機場で姿を見られてしまったインディーたちは、軍人たちと激しい闘いを交える。相手とエンジンが始動した軍用機を挟んでの、生死をかけた激しい闘いだ。その戦いの場面に見入ってはいないものの、子どもはもうセルフねんねで寝入る様子が見受けられない。相手を打ち負かして殺し(軍用機のプロペラで)、インディーが勝利したところで、私は今日のセルフねんねを諦めて、テレビ画面のスイッチを切った。セルフねんねの、完全な失敗だった。
テレビ画面のスイッチを切り、焦燥し切って途方に暮れていると、仕事の一区切りを終えたパートナーが、上の自室から降りてきた。そしてこの惨事を見て、子どもを抱えて二階に行ってくれた。子どもはパートナーの寝かしつけで、眠りについたのだった。やっぱり、インディアナ・ジョーンズの映画でのセルフねんねは、無理があったのかもしれない…。

この映画の素敵な部分、それはマリアンヌの服装が、とてもかわいいということだ。いずれの場面でもマリアンヌの服装は、高価そうないい布地を使った衣服を身につけている。ネパールの酒場での格好は、カジュアルでその場に似合っているし、エジプトでの場面、白いガーゼ地をたっぷりと使った赤い刺繍入りのふんわりブラウスにゆったりした赤いパンツを合わせた格好なんて、本当にかわいい。素敵で、ため息が出る。日差しが強く暑い気候の地で、日に焼けずに涼しくしていられるという、見た目の良さだけではなく機能性も備えている。捕らえられの身で、べロックから送られた白いチュールのドレスが素敵なことは、もちろんだ。遺跡室内でインディーにそのドレスの裾を引きちぎられたけど、それはそれで丈の短いミニドレスになって、素敵だ。映画の終始、とにかく私は、マリアンヌの服装に目を惹きつけられてしまうのだった。

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