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胸骨正中切開で縦隔腫瘍を摘出した話(1:発覚)

2021年9月に違和感レベルの軽い胸の痛みを感じたことをきっかけに、まさかの大手術となってしまいました。
縦隔腫瘍は情報が少ない病気ですので、何かの参考になればと経緯を書かせていただきます。

スペック

30代男性
身長177cm、体重60kg
非喫煙者
飲酒習慣:週5で1日あたり日本酒180〜360ml程度
運動習慣:週5で1日あたり7km程度のウォーキング。コロナ前まではジム。

発端

2021年9月。
これから寝ようかという時に「あれ?」という感じで突然胸に違和感を感じた。
深呼吸で息を吸い切ったあたりで、鳩尾の上あたりにズキズキというよりは「じんわり」とした痛みがある。
仰向けに寝ようとすると結構痛いので横向きで寝るが、翌日になると痛みはおさまっていた。
おそらく10人いたら8人は「気のせいだろう」と病院に行かない選択をする程度の痛みだと思うが、自分は天性のビビりのため翌日病院に行くことにした。
「気のせいですよ」
「様子をみましょう」
医師からこの言葉を言ってもらえさえすれば、「なんだ気のせいか」と安心できる。しかしタイトルの通り2ヶ月後に大手術をすることになる。

地元の総合病院へ(内科)

痛みから2〜3日後の週末、相変わらず痛みはないが、予定通り地元の総合病院の内科を受診。
時節柄、胸部関連の受診はPCR検査後の診療になるとのことで初日はPCR検査のみで帰宅。
翌日に陰性の連絡が来て再度病院へ。
「55さん背が高くて痩せ型だから気胸だとちょっと厄介だなと思ったんですけど、肺は綺麗ですね」
レントゲンを見ながら医師が言う。自分でも見たが、確かに問題はなさそうだ。
期待通り様子見ということになり席を立ちかけたところ、去り際に医師が「でも確かに痛みは出たんですよね?」と声をかけた。「念のため、もう一度くわしく痛みについて説明してくれますか?」
自分は椅子に座り直し、「首の下から鳩尾のあたりにかけて、深呼吸をすると鈍い痛みがありました。仰向けで寝ると痛みが強くなるので、その日は横向きになって寝ました。今は痛くはありません」と言った。
「……肺じゃないな」
医師はあらためて食い入るようにレントゲンを見ると、「縦隔(じゅうかく)に影がある」と言った。肺ばかりを注視して見逃していたらしい。
ジュウカク?
聞いたことがない単語に首を傾げる。

※縦隔
左右の肺の間にある領域。胸骨で守られており、心臓、気管、食道、大動脈など生命にとって重要な器官がある。

「ここ、右肺と左肺の間の領域を縦隔と言うんですが、本来は長方形に近い形なんです。でも右肺のあたりが明らかに楕円になっていますよね? ここに何かがあるのは間違いありません。大動脈瘤かもしれない。破裂したら即死もあり得ます」
すぐさまCTを撮ると、大動脈ではないものの、明らかに腫瘍のようなものがあった。
思えばここが運命の分かれ道だった。
あの時医師がもう一度痛みについて説明してほしいと言わなければ、自分はいまだに腫瘍を抱えたまま「様子見」を続けていたのだろう。翌日に同病院の呼吸器科を受診するように促されて帰宅した。

帰宅後

大変なことになってしまった。
発端から数日で痛みも無くなり、十中八九気のせいだろうと高を括っていたのだが、自分の体内に明らかな異常があると太鼓判を押されて怖くなった。
帰宅してすぐ、縦隔の腫瘍について調べた。
縦隔に発生する腫瘍で最も多いのは胸腺腫という良性腫瘍(癌の一種という見方もある)だが、症例は10万人あたり0.5人とわずか。さらに珍しい胸腺癌ともなると専用の抗癌剤すら無い、いわゆる希少癌だ。
さらに希少なものには奇形腫(毛髪や歯などが体内に発生する腫瘍。良性の場合が多い)などもある。胸腺腫や奇形腫も放っておくと癌化することがあり、いずれにせよ手術で取り除くことが第一選択となる。
どうやら手術は避けられそうもないことを悟り、その日はなかなか眠れなかった。

地元の総合病院へ(呼吸器科)

内科受診の翌日、重い気持ちで呼吸器科を受診。
椅子に座るか座らないかという時に医師から、「55さん。これはもう手術しかないですよ」と言われた。
要点は下記のようなものだった。

・縦隔に腫瘍があり、自然治癒するものではない。
・いずれも希少な症状だが、胸腺腫、胸腺癌、奇形腫などが考えられる。
・最終診断は手術で腫瘍を取り除いて病理検査するしかない。
・胸腺腫、胸腺癌、奇形腫共に痛みを出す腫瘍ではないため、痛みの原因は不明。
・明らかな癌の症状(浸潤など)も、CTを見た感じでは見られない。
・この病院で出来ることはこれ以上ない。大学病院に行って手術を受けてほしい。

CTには大きな血管を押しつぶすように丸い腫瘍が写っていた。
位置的には鎖骨の少し下のあたり。
大きさは4〜5cm。
癌化して他組織を侵している様子はCTを見た感では見られないことが不幸中の幸いだが、いずれにせよ最終の診断は大学病院で手術後ということになる。
その後簡易的な血液検査のみを行い(腫瘍マーカーなどではなかった気がする)、特に問題がなかったため紹介状だけ入手して地元の病院を後にした。

※紹介状について
自分の経験だが、いきなり「手術はどこの病院がいいですか?」と聞かれ、普段病院のことなど気にしたこともないから病院名が出て来ずかなり困惑した。結果、どこにあるのかもわからない病院宛の紹介状を書かれてしまった。
一度持ち帰って家族に連絡し、馴染みのある別の病院宛の紹介状を書き直してもらったが、可能であれば普段から「何かあったらここの病院に行こう」とある程度目星をつけておいた方がいい。

大学病院へ行くまで

大学病院への通院は1週間後。
ひとまず職場の上司に連絡し現状報告。
仕事のことは何も心配ないから安心してほしいとの言葉をいただく。
正直に言って仕事は乗りに乗っており、ここで急ブレーキがかかることが悔しかった。だが上司から来年に向けての構想や自分の新たな役割などをかなり前倒しで教えていただくことができたので、仕事に対しての絶望感はなかった。
その後、健康保険組合に連絡し、「限度額適用認定証」をもらうために「健康保険限度額適用認定申請書」を申請。
生命保険とがん保険の証書を確認し、保険料申請書類も取り寄せた。

※限度額適用認定証(健康保険限度額適用認定申請書)
健康保険に加入している場合、入院や手術などで医療費が高額になることが予想される時にあらかじめ申請することで窓口負担が一定額以上かからなくなる制度。上限額は月収に応じて累進され、大体の場合10万円〜25万円程度の負担額で上限となる。
後から申請でも問題はないが、正規の医療費を一時的に支払う必要があるため、可能であれば事前に申請する方が手間が少ない。

詳しくはこちら↓
https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g3/sb3020/r151/

空いた時間

職場の計らいで仕事は全てテレワークになり、申請書類などの準備も全て片付くと、余計なことを考える時間ができた。
そしてこの間、自分は落ちに落ちた。
好きなお酒が飲めなくなり、日課のウォーキングもしなくなった。
というか、「何かをして悪影響が出たらどうしよう」と思い、何もできなくなった。
仕事は手につかなくなり、暇さえあれば縦隔腫瘍について調べまくった。
胸腺腫や胸腺癌の闘病記がたくさん出てきたが、それらの多くは自分をさらに暗い気持ちにさせた。
再発。
末期。
余命。
ドラマや本でしか見たことがない単語が急に現実的になった。
20〜30代という比較的若いうちの発症が多いらしく、Twitterでの情報発信も多かった。
Twitterで元気そうに入院生活をつぶやいていた10代の女の子が、「今日は苦しい」という呟きを最後に途絶え、数日後に家族が「かねてより闘病していた○○ですが、○○日に永眠いたしました」というアカウントがあった。
シングルマザーで二人の子供を育てている闘病中のアカウントは、お金配り系のアカウントに縋り付くように応募していた。
有名大学卒業と同時に起業し、その年のうちに発症した男性のアカウントは涙が出た。入院の日に撮影したのだろう、「頑張って病気を退治してきます!」と仲間と一緒に病院の前でガッツポーズをしている写真がプロフィールに固定されていた。その写真から半年後には「痛い、痛い」というツイートばかりになり、最期のツイートは「ぼくがなにをした?」だった。数ヶ月後に母親の書いた「息子の写真をお持ちの方、連絡をいただけませんか?」というツイートが痛々しさに拍車をかけた。

俺もこうなるのかもしれない……。

大学病院を受診するまで、ほとんど死んだような状態だった。

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