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胸骨正中切開で縦隔腫瘍を摘出した話(5:入院、手術前日)

入院準備

術式は予想通り胸骨正中切開になり、1ヶ月後の11月上旬に行うことが決定した。看護師さんから入院前に用意するアイテム一覧をもらい、入院手続きをする。

入院のために必要なもの(呼吸器外科、胸骨生中切開の場合)
・トライボール(肺活量のリハビリをするための医療器具)
・コップ(蓋付き)
・ストロー
・箸、スプーン
・T字帯(いわゆる「ふんどし」。手術の時に使う)
・バスタオル(3枚)
・タオル(3枚)
・ティッシュ
・下着類
・パジャマ(レンタルしない場合)
・シャンプー、ボディーソープ

入院はホテルとは違うので、自分で揃えるものが意外と多い。
どうしてもの場合は看護師さんが対応してくれるが、基本的に受けられるサービスは医療行為と食事のみで、消耗品や身の回りのものは自分で対処しなければならない。また、手術後はどうしてもまともに動けない期間があるので、それを予測して自分なりにアレンジして準備を進める必要がある。自分が入院してみて気が付いたことは次の通り。

退院して気が付いたこと
・コップや箸などの食器類は使い捨てが便利(紙コップ、割り箸)
・バスタオルは無くてもいい(普通のタオルで対応可能)
・スマホの充電ケーブルは長いものを(コンセントの位置がわからないため)
・パジャマはレンタルがマスト(出血などで汚れる)
・本は1冊あれば十分。Kindle便利(意外と忙しいし動けない)
可能であれば自分の枕を持っていく(眠れなかった……)

後述するが、自分の場合は病院の枕がとにかく合わなくてかなり苦労した。家で使っている枕がオーダーメイドしたものなので少しでも合わない枕に耐性がなかったのかもしれないが、旅行などでは眠れているのでやはり枕が合わなかったと思う。

ある程度の準備が整った後は身の回りの整理も必要になる。当分着なくなる服や不要な物を貸し倉庫サービスに預け、断捨離を行い、仕事を引き継ぎ、馴染みの店に挨拶に行った。コロナも落ち着いていたので友人や家族と食事にも行き、創作イベントにも参加した。入院まで1ヶ月とまとまった時間があったが、準備やら仕事やらで結局かなりバタバタしてあっという間に入院日が近づいてきた。
入院前日の夜、最後にラフロイグ25年を飲んだ。とうぶん酒は飲めなくなるだろうから。

入院

入院は手術の前日だ。
午前10時に病院に行き、栄養士の診断を受け、名前と担当科の印字されたリストバンドを腕につけてもらう。このリストバンドは入院期間中はずっと身につけることが義務付けられ、あらためて自分が病人なのだと実感した。
ここからが忙しい。とにかく同意書を書きまくる。
呼吸器外科専門の入院病棟に行き、ロビーのような部屋で看護師さんから入院に関する説明を受け、入院計画書にサインする(自分の場合は個室だったため特別室使用同意書にもサイン)。その後病棟内を案内され、荷物を部屋に置いてから立ち会い人と共に手術に関する詳しい説明と最終確認を受ける。

術式説明

説明用の小部屋に行き、主治医から手術の詳細(どこをどのように切るか、術後はどのような状態か、何本の管を体内に入れるかなど)、合併症、麻酔、輸血に関して詳しい説明を受けた。自分の場合、上大静脈からの出血リスクが高く、明日の手術には大血管からの止血に慣れている心臓外科医も立ち会うことになったらしい。それほどまでにリスクがあるのかとあらためて思い、内視鏡ではなく身体への負担が大きい胸骨正中切開が選択されたことに納得した。
また合併症に関してはかなり怖いことまで説明される。「万が一ということですし、もちろん我々も合併症が起きないように全力を尽くします。仮に発症してもこの環境ですから、すぐに対応が可能です」という前置きはあったものの、こうなったら死にますよ、こうなったら死にますよ、という説明が続く。特に縦隔炎は胸骨正中切開後に最も恐るべき合併症であり、命に関わる。

※縦隔炎
本来、縦隔は生涯外部に露出することがない領域のため、鼻や口の粘膜のような免疫機能が備わっておらず、細菌に感染すると致命的となる。もちろん手術は無菌の状態で行われるが、何らかの要因で細菌が無防備な縦隔に入ることもある。男女や年齢問わず、また術後数ヶ月と時間が経ってからも発症することもある。ある意味宝くじのようなもの。


また、この時に経過観察や投薬治療など他の治療法も提案される。そして「やっぱり手術を受けるのを止めます」と言うことも可能である。同意できる場合のみ、手術同意書、手術説明書にサインをする。

リハビリ科の体力測定

採血とレントゲン、CTを撮った後、部屋に「55さんどうもー! リハビリ科でーす!」と明るい男性が入ってきた。グイグイ距離を縮めてくれる人は塞ぎがちになる術前の患者にとってはありがたい。
術後のリハビリは可能な限り手術前の体力に戻すことを目的とするために、手術前の体力がどの程度あるか測定する必要がある。普段の生活(運動習慣、喫煙習慣、趣味、生活習慣、仕事内容など)や手術に対する不安、手術後はどのような生活でどのようなサポートを受けられるかのヒアリングの後、心電図や血圧を測りながら次のような検査を受けた。
・握力
・30秒で椅子から何回立ち上がれるか
・6分間で何m歩けるか
・片足立ちバランス
年齢的にギリギリ若い部類に入るため、身体能力が比較的高く特に問題無しとの結果になった。また、普段から運動習慣があること、タバコを吸わないことは予後かなり有利に働くとのことだった。特にタバコのリスクは凄まじく、喫煙者は若い人でも肺炎や縦隔炎のリスクが高まるため、病院としても特に気を使うという。リハビリテーションの同意書と説明書にサイン。

予想外だった麻酔科の説明

リハビリ科の後は麻酔科の病棟に移動。
自分としては初めての全身麻酔であり、ある意味1番怖いのがこの麻酔だ。手術の最中は麻酔で意識が無いので、鎖骨から鳩尾まで皮膚を切られようが、胸骨をノコギリで縦割りされようが覚えていないはずだ(覚えていたら大変だが……)。むしろ意識がある時にされる麻酔の方が怖い。硬膜外麻酔を入れる時は痛いのか、気管挿入は苦しくないのかなど聞いておきたいことがある。事前に調べたり聞いたりした話だと、どちらも苦痛ではないらしいが……。

※硬膜外麻酔
背骨の間にある硬膜にカテーテルを挿入し、神経に直接麻酔薬を注入する。無痛分娩に用いられるほど強い鎮痛効果があり、手術後も数日はカテーテルを残しておいて鎮痛に使用可能。背中をできるだけ丸めた状態で背骨に太い注射器を刺されるため怖い。

※気管挿入
全身麻酔には強力な筋弛緩剤も使用するため、呼吸も止まる。そのため気管に管を挿入して人工呼吸を行う必要がある。術後に意識が回復してから抜管するのだが、意識が戻りすぎていると地獄。

まずは麻酔全般に関する説明を麻酔助手から聞く。一般的な説明の後、不安なことを聞いてみた。

──硬膜外麻酔のカテーテル挿入はやはり痛いのでしょうか?
「カテーテル挿入自体は局所麻酔が効いているので痛くないんですが、その麻酔の注射が1番痛いという患者さんは多いです」
──えっ? 痛くないって人も結構いたんですけど。
「人によりますが、経験上局所麻酔を痛がる方は結構多いと思います。もちろん我慢できない痛みの場合は止めますけど」
──(事前情報がいきなり覆ってしまった……)。気管挿入はやはり抜管の時苦しいのでしょうか? 
「1/3くらいの患者さんは苦しがります。1/3の患者さんは抜管の時は苦しがるけどその後は覚えていない方、残りの1/3は意識が朦朧としていて苦しがらない方ですね」
──(なんとか朦朧としているうちに抜管してくれないだろうか……)

なんだか結構苦痛があるかもしれないという話になってしまった……。
モヤモヤする気持ちのまま別の診察室に移動し、明日手術に立ち会う麻酔科医と面談。説明を聞き同意書を見た時、自分は目を疑うことになる。
明日行う麻酔計画書には「全身麻酔、伝達麻酔」と書かれており、硬膜外麻酔が書かれていなかったのだ。伝達麻酔は骨折の手術などで使用する局所麻酔であり、硬膜外麻酔ほど強力な鎮痛効果は無い。胸骨正中切開を伝達麻酔で行うなど聞いたことがない。

──あの、硬膜外麻酔は使わないんですか?
「ええ、明日は伝達麻酔で行います。胸の周り、だいたい5箇所程度に麻酔を打ちます」
──知ったかぶりするようで申し訳ないのですが、胸骨正中切開を伝達麻酔で行うことってあるんですか?
「……正直かなり稀です。ただ、55さんの場合は腫瘍が上大静脈に癒着していているので、切除する際に万が一の出血リスクを減らすため血管をクリップで留めます。大きい血管なので、血栓防止のために血が固まらないようになる薬をあらかじめ使う必要があります」
──はい。
「これも万が一の話なのですが、硬膜外麻酔の最中に出血した場合、血が固まらなくなるの薬の影響で血が止まらなくなります。脊椎の中で出血が止まらなくなると神経を圧迫され、最悪不随になる可能性があります。そのため、今回は硬膜外麻酔は使いません。もちろん鎮痛効果は弱くなりますが、点滴と飲み薬で対処します」

ここでもまた上大静脈のリスクか……と思った。
腫瘍自体は初期で小さいものだったのに、できた場所がつくづく悪かった。もちろん硬膜外麻酔で出血すること自体も稀らしいが、仮に出血したら下半身不随など大変なことになる。不安はあったが、麻酔同意書とカテーテル挿入に関する同意書にサインをした。

手術前日の夜

病院の夜は早い。
18時前に夕食が出て、21時には消灯だ。その間にも看護師さんが脈拍や血圧を測りに来たり、手術や術後ICUで過ごすために必要なT字帯やコップやストローを回収したり、別の麻酔科医や執刀に立ち会う医師が挨拶に来たりした。やけに明るいリハビリ科の男性も来てくれたので、伝達麻酔で胸骨正中切開をすることを言ったら絶句していた。あれほど明るかった彼が「術後は結構大変かもしれないっすね……」と暗い声を出していたことが印象的だった。
不思議だったことがひとつだけあるのだが、夕食後、看護師が睡眠薬を持って部屋に来た。「手術前は眠れないことがあるけど、睡眠薬を飲み慣れていないとフラつくから」と言ってそのまま持っていてしまった。呼び止めて「念のために置いていってほしい」とお願いしたのだが、フラつくからと言ってそのまま持っていってしまった。あれは何だったのだろうか? どうしてもの時はあらためてナースステーションに行けば貰えたかもしれないが。

夕食後はなんだかモヤモヤして、スマホで綺麗な状態の胸や自分の顔を無意味に写したり、今日サインした大量の同意書を読み返したりした(伝達麻酔の不安感が増大した)。眠れるか不安だったが、慣れない環境で慣れないことを大量にしたせいか疲れていたらしく、睡眠薬をもらいに行く事なく眠れた。


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