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言葉が好きな理由

習慣になっていると楽しいのは、いくつか理由があると思います。
上達している実感、続けていると、同じ趣味や嗜好の人が集まる、語れる分野が増えていくということでしょうか。
といっても僕も習慣になっているのは、そんなに多くはないですが、文章を書き始めているのは、公開しないのであれば、だいぶ前からやっています。
わかりやすく書いてあるのでも5年前くらいでしょうか。
日記として、ぽつぽつ書いてある程度だと、もっと前になります。
言葉にすることで、自分の気持ちが楽になりますし、自分の特徴や性格も理解が深まりました。
そういうことをやっていくと、嬉しいことがあって、ここ1か月で、言語化上手いですね、と4人の人にお褒めの言葉をいただきました。
もう一人の方には、語彙力ありますねと、お褒めの言葉をいただきました。
note見てる方もいれば、全く関係ない所から言われたのもあります。
ここ最近の出来事で、めちゃくちゃ嬉しかったです。

自覚していたわけではないので、人様から言っていただけるのは、ありがたいこととして、良い面として、伸ばしていきたいと思います。
つまりは、noteを書き続けるモチベーションにもなります。

よく、言葉にするにあたって、どういう風に考えているのだろうと思っているのですが、このnoteの関しては、何も考えずに手を動かして、勝手に書いているという印象の方が強いです。
散文的、とかまとまりがないとかあるかもしれませんが、今のところ、このスタイルでやっています。

辞めた方が良いということは、自分が疲れて、身にもならないことでしょうか。人生無駄なし、という言葉もありますが、自分が喜びにならないことは、極力避けた方が良いのかなと思っています。或いは、良い方向に向かう所に力を集中させるとでもいいましょうか。
こういうのは、人によって考え方が違うので、一概には言えないですが、僕はそう思っています。という感じです。

やった方がいいということは、自分の人生の方向性と合っていて、楽しみや、チャレンジに繋がることなんでしょうか。
やっておくと良いことも同様なんでしょうね。
優先順位をつけて、一個ずつやっていくということで、物事が積み重なって一つの形になっていく。わからない所は人に聞いたり、頼ったりしていくことで、良い方向に向かっていければと思っています。

音楽のことを書いていたのですが、最近は、自分がどういう風に進めていくかの話が多い気がします。やっていくと見えてくる世界がありますが、ここまで言葉にしていくと、ひとつわかったことがあります。

言葉が好きということです。言葉で伝えられないことも承知したうえで、言葉を積み上げて、早く言葉にできない感動を生み出せる段階にいきたいということが、僕が言葉が好きな理由です。

やっていくと、わかってきつつありますが、いm-時としてはピラミッドとか、〇の大きさを言葉として、捉えていて、それが重複していないか、など、考えています。

楽しいです。自分が言語化できていなかったけど、そう思ってる節があることがわかると。

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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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