気遣うのも大切、無頓着も大切
知人がデイケアに通っている。デイケアというのは通称である。地域の特定非営利活動法人が運営しており、主に精神障害者が自立訓練を行うための集まりである。そこではさまざまなプログラムが組まれ、就業も視野に入れつつ、コミュニケーションや作業の能力を高めるための生活訓練がなされる。そういえばわたしの今までの任地付近にも、それぞれの自治体のアクセスしやすい場所に、そうした場が設けられていたのを想いだす。
知人から話を聞いていると、それはとても実り多い訓練である。プログラムがよく練られているというだけではない。同じメンバーと日々過ごすことで、トラブルにどう向き合うのかということが副次的に、いやむしろそちらこそが主要といっていいほどに、訓練されるということである。
デイケアにはさまざまな来歴の人が来る。アルコール依存症の人、さまざまな特性の発達障害の人、双極性障害の人、統合失調症の人、等々。調子がよいときもあれば、不調のときもある。そして季節や天候の変化など、おおまかな一致はあるとはいえ、それぞれの人の好調不調の時期はバラバラである。それに、症状だけで人を括ることもできない。既婚者もいれば、独身者もいる。異性に興味のない人もいれば、異性と交際したくてたまらない人もいる。年齢もさまざま、男女、セクシャルマイノリティもさまざま。
そういう背景のなかで、対人関係でなんのトラブルもないということのほうがおかしい。知人の通うデイケアは、個人間の連絡先交換などについて決まりはない。だから誰かにプライベートな連絡先を教えた人が、たとえば相手からのひっきりなしのLINE通知に疲れ果てたり、好意を持たれてつきまとわれたりすることもある。LINEをしまくったり、つきまとったりしてしまう側の人も、どの程度の距離感で人とつきあえばよいのか分からないのである。あるいは自分の孤独や欲望を適切に認知したり、制御したりすることがうまくできないのである。自分で対処しきれなくなったときには、スタッフが介入する。スタッフは当事者同士が適切な距離を保てるよう、細心の注意を払ってくれるという。
こうした話をすると、うんざりする読者も多いかと思う。密室で毎日同じメンバーと仕事をしていて人間関係に疲れ果てるというのは、べつにデイケアに限ったことではない。デイケアという場において、それがことさら顕在化しているというだけである。いわゆる「健常者」の職場その他の集まりであっても、潜在的にはこのようなトラブルは起こりうるし、げんに起こっている。だが、とくにデイケアという場においては、このトラブルの体験こそが大切なのではないかと、わたしは知人の話を聞いていて思う。
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