強化ガラスの壁

あなたは境を置き、水に越えることを禁じ/再び地を覆うことを禁じられた。 詩編 104:9 新共同訳


週二回、おおぜいの男たちと一緒に、芋の子を洗うように風呂へ放り込まれる。ふだんは屈強な男性看護師が監視しているのに、なぜか風呂は若い女性看護師たちが担当する。20~30代の女性たちの見ている前で、パンツをずり降ろさねばならない。「慣れろ」と言われて慣れることができるものではない。わたしも辛かったが、思春期の少年たちがそうさせられるのを見るのも辛かった。もたもた股間など洗っていると「まだですか、早くあがってください!」と急かされた。

もちろん看護師は患者の下半身を見ることなど慣れているものだし、男性の裸体を異性として見ているわけではないことは、わたしにもよく理解はできていた。匿名の存在として、牧師でも何者でもない「患者」として扱われるのであれば、裸体であってもじゅうぶんであった。だが、准看護師のある一言が、わたしにそれを許さなかった。50代後半、あるいは60代前半と思われる彼女は、若い看護師に囁いていた。
「あの人、うちの息子と同じ大学出身なのよ。牧師なんだって!」
その一言は、パンツを脱ぎ、他の男たちに混じってせわしなく股間を洗っているわたしを、とことん情けなくさせた。いっそ匿名の存在でありたかった。そこで名前を、肩書を出して欲しくはなかった。

看護師の一人が寿退社することになった。お腹の大きな彼女は満面の笑みで、男女含めた同僚たちから祝福の言葉を受け、花束をもらっている。同僚の一人が、まだ生まれぬ命を心から愛でるように、彼女のお腹に触れてさする。そこには苦楽を共にしてきた仲間たちが共有してきた時間と空間がある。──── 強化ガラスの向こうの時間と空間が。そう、患者であるわたしたちとは強化ガラスで隔てられた、ナースステーションの世界である。ナースステーションは社会である。強化ガラスが、ナースステーションと我々の暮らす異界とを遮断する。結婚も出産も存在しない異界、すなわち強化ガラスのこちらがわでは、強い薬で制御された車いすの男たち数人が、焦点の定まらない眼をナースステーションに向けている。否、社会と自分たちとを隔てる、強化ガラスを観ている。

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