空席は語りかける

アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。 
                          ヘブライ人への手紙 11:4 新共同訳

そのおっちゃんは、闘病一か月ほどで死んだ。
酒が三度の飯より好きだった。酒が進むと、わたしがお茶を飲んでいても
「まあ呑みなはい」
まだ飲み終わらぬ湯飲みに酒を注いだ。

おっちゃんは酒と並んで教会が好きだった。とくに集会のない日でも、仕事のついでといっては鼻歌を歌いながら立ち寄った。教会の玄関先で、海風を心地よさそうに浴びながら煙草を一服。聖か俗か、それは単純に分けられるものではない。おっちゃんにとって、教会は襟を正す場所でもありつつ、別荘のようでもあった。
「はぁ、ウクライナ、ウクライナ、っと」
おっちゃんは響きよさげな言葉を見つけては、立ち上がるときの掛け声にした。彼は生まれつき、片足が不自由だった。かちっかちっと松葉杖の音が遠くからも聴こえた。その音はわたしの生活音のひとつだった。

おっちゃんは冬のある日「長い風邪」を引いた。下痢が止まらなくなり、毎週欠かさず来ていた礼拝を休んだ。わたしは彼の、瓦の重そうな木造家屋へ見舞いに行った。おっちゃんはうつぶせに横たわりながら顔をあげ、わたしを睨みつけ、しかし余裕を見せてこう言った。
「わしはな。死ぬのは怖くない。ただな。犬死にはせんからな。」
たしかに、おっちゃんは死ぬことを恐れてはいない。それはふだんの言動からもよく分かる。いや、ほんとうは恐れているのかもしれない。いずれにせよ、おっちゃんには「恐れている」という表現作法は存在しなかった。

おっちゃんは入院した。案の定、肝硬変だった。もう長くはなかった。見舞いに行くと、おっちゃんは酸素吸入器をつけたまま、声を出すこともできなくなっていた。だがおっちゃんの目はいつもどおりギラギラしていた。おっちゃんはわたしを見て、そして天井を指さす。ほら、天井に見えるじゃろ。分からんか、ほら。天井に。おっちゃんはしきりと、わたしに促す。わたしは何度も見上げる。古い病院の、薄汚れた合板の天井が見えるだけだ。だがおっちゃんには違うものが見えている。明らかに、ありありと見えている。
お迎えだ───わたしは悟った。おっちゃんは今、お迎えを見ているのだ。わたしには見えない「向こうの世界」を、おっちゃんは今、間近に見ている。

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