大沼竜也/鍼灸師

@numahari

大沼竜也/鍼灸師

@numahari

マガジン

  • 週刊 大沼竜也

    週一くらいのペースで、身体と精神の事・人間と社会の事、日々の生活で気づいた事や思うところを書いていきます。

最近の記事

@numahariの運用の全て

みなさんこんにちは🙌 @numahariこと、大沼竜也です。 ありがたい事に今現在で13kのフォロワー様に見ていただき、連日dmやオンラインカウンセリング、治療などたくさんの繋がりができて、本当に嬉しく思います。 振り返ってみると、半年で10,000人、7ヶ月で14,500人までフォロワー数が増加してた。わお。 たくさんの方に触れ合う中で、@numahariの運用について聞かれることが多く、あーそうか確かにちゃんと考察したことがなかったなーと思い、思い返しながら記事とす

有料
10,000
    • 「20歳なの?一番いい時だね〜。」

      めちゃ言われませんこれ? 悪気なんて一切ない表情で言ってくださる方もいれば、ニヒルな感じで浴びせてくる輩もいました。 今32歳になったけれど、物心ついてからずーっと言われている気がする… 「30歳かー!今が一番いい時だな!」 そう言ってくる方には、おおかた2種類に分けられる。

      • 緑酒

        はぁーー。 いい歳こいて、歩きながらボロボロ涙が出てきました。 普段あまり涙が出ない、話を聞いたり物語を見たりしても、どこか客観的な自分ですが、唯一ボロボロ泣いた記憶があるのは、母親の暖かさを感じた時。 10年以上前だと思うけれど、その時の記憶が呼び起こされる感覚にあった。 ぼくの大好きな「東京事変」の楽曲「緑酒(りょくしゅ)」という曲を久々に聴いたから。 青春時代は椎名林檎、初ライブは東京事変だった程度のファンではあるので、この曲もリリース直後に拝聴した。 なんでか

        • 苦しいほどの執着

          苦しめる、というと合理的でない印象があるかもしれない。でも僕は、特には自分で自分を苦しめる事は、成長につながる事だと思う。 知識は点のようなもので、増えれば増えるほど、点と点が繋がる喜びが増す。その結んだ線がブワーッと広がり、特にたくさんの線が張り巡らされる場所が、好きな事だったりする。 僕はたまたまその線が多いところが、精神と身体の領域だった。

        @numahariの運用の全て

        マガジン

        • 週刊 大沼竜也
          6本

        記事

          秋の風と適応する身体

          昨日までは半袖半パンでも汗だくだったのに、急に長袖長ズボンでも寒さを感じるくらい、あっという間に秋が来た。 僕は夏が好きだ。少し暑いくらいで、身体の冷えという感覚も忘れる。朝から活動的だし、夜はエアコンをつければ、昼間の暑さとの対比でより一層快適を感じることができる。 ところが今年の夏は暑すぎた。 東北は仙台にいるというのに、毎日35℃を切ることはなく、夜間も25度を切ることは無かった。 快適を求めてエアコンをつける、というよりもむしろ生きるために温度を下げていた感覚に

          秋の風と適応する身体

          精神を病んだ人を診るという事

          なんだか大したタイトルだけれど、実はこれって「人を診る事」とベクトルは同じだと思っている。 基本的には人類皆兄弟。身体や精神の仕組みは、「反射」のようなもの。痛いものからは身を逸らすし、好きなものには近づきたくなる。そこには時代性も思想も関係なく、自動で「反射」が起きるのが根本だ。

          精神を病んだ人を診るという事

          思考をこねる

          小さい頃から、ものをつくるのが好きだった。 粘土でウルトラマンの敵をこねたり、庭にザリガニ用の池をほったり、漫画を描いて友達にまわして読んでもらったり、峯田和伸に憧れて曲を書いたり。 しかし、「つくる」ことはすごく好きだったけど、残念ながらその完成品は好きになれなかった。 自分の満足できる「できあがり」が得られなくて、どれも飯の種ほどにはなりそうもない。 「つくる人」に憧れ、何かを生み出せる人になりたいと、人並みにいわゆる厨二病も経験した。苦しいよねあれって。 でも

          アートと身体性

          元の悪い体へ引き返せなくなるような、そんな身体体験。それは、アートであるともいえます。 アートの定義とは、人の心になんらかの傷をつけること。−宮台真司 その傷によって、これまでその人が持っていた「常識」を破壊し、再構築します。 これまでの生活習慣やストレス・家庭環境などの様々な外部要因と、遺伝による先天的なクセ、つまり身体運動と思考運動の「クセ」により、「その人らしさ」が構築されていきます。 猫背の人は内向的、胸郭が大きく厚い人は自信家で人情に厚い。 なで肩の人は世

          アートと身体性

          zoomとカラダ

          新型コロナの影響により、私たちはかなりの変化を迫られている。変化していく、のでは無く、変化を余儀なくされている、状態。 こうなったら良いよね、というゆるい夢の類ではなく、生存戦略としてこれまでの文化を変えていかなくちゃいけない、まったなしな状態。 やるべき事は本当にたくさんあるのだろうが、その中でも特に身体を仕事で扱う身として、気になった部分があったのでそこに対して考察してみたい。 それは、コミュニケーションについての部分。 zoomの時代今のところ、リア

          母と洗濯機

          そのむかし、洗濯は当たり前に“手洗い”だった。 世のお母さんは、子供の世話に家の事など、忙しいがために、他の事に時間を割くなんてできなかったんだ。 いつからか洗濯機が発明され、母の仕事である”手洗い“はこの機械にお任せすることができるようになった。 母は、洗濯物の量と質を見極めて、適切な洗剤の量とボタンを押すという新しい仕事を担い、洗濯という仕事は『洗濯機と母』のチームによって行うものになった。 母はめでたく余暇を手に入れ、新たな仕事へ時間を割くことができるようになっ

          “我慢”が身体を殺す

           “我慢はカラダに悪い。ここでいう“我慢”とは、外敵から身を守るための“反射”に歯向かう行為とも言えるかもしれない。  人は負荷を感じた時、身体を硬くしてストレスから身を守ろうとする。これは、動物が外敵に遭遇した際、瞬時に鋭敏な動きで外敵を交わしたり戦ったりできるようにプログラムされた反応で、予備緊張と言われるものだ。この反応が過剰に働いてしまうことで、必要以上に身体を固めてしまうのである。かかったストレスを適切に把握し、そのストレスに対して適切な対応を自ら行う。柔軟に受け

          “我慢”が身体を殺す

          「身体感覚」自分を知っているか?

          己を知れば、百戦殆うからず -孫子 もしあなたの肩が、硬く辛い状態が続いたならば、普段よりも少し気が短くなったり、集中力が続かなかったりするだろう。 それと同じ事が、身体の至る所で起きている。 呼吸に関わる筋肉が硬くなると、息は浅くなり落ち着いた精神は保てない。血液内酸素量も低下し、常にボーッとする事になる。 生きていく上で必要十分な量のストレスでさえ、許容できる量をいとも簡単に超えてパンクしてしまう。 本来であれば、感覚的に「これ以上はまずい。」「嫌な感じがする。」

          「身体感覚」自分を知っているか?

          知情意

          一般に精神力の話をするときに使われる言葉。 精神力にも種類があって、 ・知 ・情 ・意 と分けているのが日本ぽい考え方らしい。 『知』は知識。頭の中に入っている知識を、必要に合わせて組み合わせたり、引き出したり、いわゆる地頭の事を言うそうな。 『情』は「情熱」「愛情」「情け」ともいうように、熱い心だとか人間くさい部分のこと。この話をするときはいつも松岡修造さんを思いだす。 『意』は意志。ぶれない強さだったり、自分を通すチカラを言う。日本では特に重要視されていた精神