思考をこねる
小さい頃から、ものをつくるのが好きだった。
粘土でウルトラマンの敵をこねたり、庭にザリガニ用の池をほったり、漫画を描いて友達にまわして読んでもらったり、峯田和伸に憧れて曲を書いたり。
しかし、「つくる」ことはすごく好きだったけど、残念ながらその完成品は好きになれなかった。
自分の満足できる「できあがり」が得られなくて、どれも飯の種ほどにはなりそうもない。
「つくる人」に憧れ、何かを生み出せる人になりたいと、人並みにいわゆる厨二病も経験した。苦しいよねあれって。
でもこうして今がある。いろいろなものに自分なりに触れて、ハマって、のめり込んで、今ははっきり言えるのが、僕は思考をこねるのが好きらしい。
それっぽくいえば、ある事象に対して、持っている知識-と知識-点と点を繋げる作業。
明らかにここに点があるはずだろう、という場所に点がないときは、そこに何が当てはまるのか、うんうん推理予測してみたり、調べるのも好きだ。
点が増えれば増えるほど、頭の中の世界は広くなり、こねるものが大きくなる。
大きくなればなるほど、出来上がるものは解像度が高くてテクスチャも豊かになる。言葉の数が、解像度の高さと等しくなる。脳で思考するには、つまりこねるには、「言葉」が必要不可欠だと思い知らされる。
こういった文章表現では、ボディランゲージやアイコンタクト、会話の間やテンポなど、対峙したときもコミュニケーションに比べるとだいぶ情報量が少なくなるからだ。(だから、Twitterなどの文章でのコミュニケーションというのは、良い様に捉える人と悪い様に捉える人でかなり受け取り方が変わり、炎上も多いのかなと察する。)
なにより思考は他者の目に入りにくいというのが、カッコつけたい自分のちっぽけなプライドを傷つけないためには良かったような気がする。おかげで悶々と育めたものは大きかったのだと今は思う。
いろんなことが重なって興味を持ち始めた「からだ」のことと「こころ」のこと。知識が溜まれば溜まるほど、自分の「頭の中の世界」が広がっていく事が楽しくてしょうがなかった。それは今も続いている。
独立して患者をとり、僕の「頭の中の世界」を面白がってくれる方々に出会えた。皆さんにその発信を後押しして頂き、僕の不安を退けてくれた。
Instagramを本格的にやるにあたって、アルゴリズムやこうするとバズる!みたいな記事も読みまくった。でもどれもキャッチーだがチープに感じてしまう。
よくフィードに流れてくる、テンプレートに沿った表現。これは表現なのか?単なる集客にツールなのか?
ひねくれた性格を恨みつつ、自分が楽しいようにやってみよう。
あの人が見てくれさえすれば良いや、とはじめてみたらするすると、当時の僕には(今もだけれど)びっくりするような人数にフォローを頂いたり、コメントやDM、時には会いに来てくれたり、大袈裟じゃなく人生が変わった気がする。
投稿数も100を超えた事だし、あえて長文を書く機会を設けて、振り返るタイミングをつくるのもアリかもな、と思い、noteをやってみることにしたのであります。
リクエスト頂いていた投稿の深掘り。
なかなかInstagramだけでは書ききれないもの。
時事ネタだったり、生活の中で起きたこと気づいた事、経営だったり鍼灸だったり、ファッションや映画や音楽、僕自身が好きな事、好きな人、そしてそれはどういう捉え方をしているのか。
などなどをつらつら書くので、どうかお付き合いいただけると嬉しいです。
身体ケアに携わる専門職の方、職は別だが心身を理解することに興味がある方は、ぜひ応援頂けるとこの上なく幸せです。
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