見出し画像

zoomとカラダ

新型コロナの影響により、私たちはかなりの変化を迫られている。変化していく、のでは無く、変化を余儀なくされている、状態。

こうなったら良いよね、というゆるい夢の類ではなく、生存戦略としてこれまでの文化を変えていかなくちゃいけない、まったなしな状態。

やるべき事は本当にたくさんあるのだろうが、その中でも特に身体を仕事で扱う身として、気になった部分があったのでそこに対して考察してみたい。

それは、コミュニケーションについての部分。

zoomの時代

今のところ、リアルな接触を限りなく少なくするための策として、zoomやSkypeといったオンラインコミュニケーションツールの利用が物凄い勢いで増えているようだ。

私自身もzoomを利用したことがあるけれど、初めて使った時は、リアルに会ったことの無い人たちとも、顔を見ながら話をする事ができて感動した。

オンラインを活用するテクノロジーが発達した事で、誰とでも近い距離までワープできる状態になった。

ただ、感動と同時に覚えたのは、コミュニケーションツールの”稚拙さ“だった。コミュニケーションの“深さ”がまだまだリアルには程遠いと感じた。

zoom利用中は、リアルに会って話すよりも疲労感が強かった。なぜかと言えば、リアルよりも圧倒的に情報量が少ないからだ。

会話のリズムが合わない、表情が見えにくい、目が合わない。現実に会って会話をするというのは、実際にはとてつもない情報量が言語以外で交わされていたと感じた。

更にzoomを使用する前に、Slack(チャットのような文字ベースのコミュニケーションツール)を使ってコミュニケーションをとっていたのだが、文字だけになると更に情報量が少ない。

私は、話した相手の反応がわからない事が、こんなにも不安なものかと愕然とした。雰囲気をストレートに伝えることができる絵文字に、何度救われただろうか

今のzoomでは、コロナや、移動時間の削減、などの障壁があって初めて使用するもので、リアルにあって会話をするよりも圧倒的にレベルが低い。

だが、オンラインの可能性、テクノロジーの可能性はそんなものではないと思う。

アコースティックギターも良いけれど、アンプに通したエレキギターはそれに負けずとも劣らない。

コミュニケーションの本質をとらえたものになれば、従来の“会って会話”に負けず劣らず、それどころか、それよりも良質なコミュニケーション方法になりえるかもしれない。

zoomがより質を高めて行くためには、会話が何によって構成されていて、それぞれの優先順位はどうなっているのか、を知る必要がある。

血の通う人間が会話をするには、必ず特長のある、身体的な運動が含まれる。カラダのクセを無視して、心地よい会話にするのは不可能だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?