ツクモリ屋は今日も忙しい(6‐後編)
「ニレノさんって、ジャニーズもできそうでさ」
「……」
「いっつも、なっちゃんのこと気にかけてて~」
「……」
「ねぇ、聞いてる? 室井玄」
「…………ああ」
駄目だ、気を失いそうだ。
俺はたぶん、今ものすごく情けない顔をしている。悪魔の笑みを湛える筑守美礼を認識してはいるが、はっきり言って何も感じないほどの虚無に陥っている。まさに生ける屍。ゾンビ。
《クロー? 何カガ口カラ出ソウダヨ……?》
あ、それ俺の魂かも。
(6)「頑張れ、クロ店長!」ナノ! -後編-
だってイケメンの業者なんて! 定期的に会うし、業務内容も共有するし、なんなら連絡先もスケジュールも把握できるし、そして菜恵さんに気があるんなら、超強敵だろー!
「あらあら。とうとう崩れちゃった」
レジカウンターのスペースに突っ伏して、俺は項垂れる。菜恵さんに出会い、ツクモリ屋で働いて早8年。美人で性格もいいあの人と、俺じゃない誰かが恋人同士になったらと、考えたことは何度もある。
でも、菜恵さんはずっと変わらなくて。ずっと付かず離れずで。ずっと好きでいられた。……重いよな、俺。8年分だもんな。オリンピック、2回できるもんな。余程のことがなきゃ。
……踏ん張っていたつもりだが、自分でも気づかないくらいに疲れていたようだ。不運続きの身に、この情報は辛い。
絞り出すように、俺は生存報告をする。
「あージャニーズかぁ。きっと爽やかで、年上で洋楽好きで、何一つ勝てない相手なんだろう、な……」
「あっなんか、そういう歌、知ってるかも……」
すっかり絶望の沼に浸りきった頃、玄関が開いた。
入ってきたのは客ではない。菜恵さんだった。
「ただいまーっ♪ みーちゃん、ようこそ!」
……今くるかー。ちょっとまだ心の準備がー。
机に突っ伏したまま、俺はすぐに動けずにいた。彼女の眩しい笑顔に目眩みするのが怖いのか、自分がどういう顔をすればいいのか戸惑っているのか、ただ現実と向き合う勇気がないのか、わからない。
「……あれ? クロくん、どうしたの?」
「あー。なっちゃん、これはね……」
不思議そうに俺を眺めている菜恵さんと、言いよどむ奴の気配を頭上に感じる。沈黙は一瞬だった。
「室井玄がね、ニレノさんに会いたいんだって」
「――はぁああっ!?」
お前は馬鹿なのかあ筑守美礼!!
反射的に顔を上げてしまい、真顔でドヤを匂わせている筑守美礼と、予想以上に近くで俺を覗き込もうとしている菜恵さんに視線がかち合う。俺の叫びは中途半端に音声がミュートされ、口だけがパクパク動く。
「そうなの? クロくん」
「いえ、あの……その人の話を聞いていたのは事実ですが……」
真っ直ぐな瞳の菜恵さんに内心パニックし、助けを求めて筑守美礼をチラ見する。対する奴は、腕組をしてドヤを続行していた。
当てにした俺が悪い。でも、後で覚えてろよ……。
「そうなんだ。……良い機会かもしれないね」
あれ? もしかして、もう行く前提です??
「クロくんは店の大切なメンバーだし、ニレノさんにも知って貰った方がいいのかもだね」
……「店の大切なメンバー」か。菜恵さんにとって、やっぱり俺は従業員でしかないのか。センチメンタルのスイッチを押しかけた俺の耳に、菜恵さんの声がエコーする。
「だって、いつも筑守家の人間しか会いに行かないんだもの。クロくんみたいな、一族以外の人とも話ができるって、安心してもらった方がいいし♪」
どゆこと?
「……ぶふっ」「……説明してくれ? 筑守美礼」
菜恵さんの言葉と俺の認識にズレを感じたその時、笑いを禁じ得なかった奴が吹き出すのを、視界の外に感じ取った。ゆっくりと、俺は振り向く。
菜恵さんは嬉しそうに話し続けている。
「クロくん、ニレノさんに会いたいなんて、さすがだねっ。いつもモガミさんのことを考えてる♪」
「モガミさん……? ニレノさんってまさか」
「だから、ハル公園にいるモガミさんだってば」
「筑守美礼ー!!」
静かな店内に、マジキレした俺の絶叫が響き渡る。
《……ハラハラ》《……どきどき》
後から呟くモガミさんの声が聞こえたので、モガミさん達も黙り込んでの静寂だったと、心のどこかで冷静に分析していた。
「……言っておくけど、嘘はついていないわ」
「どこかだよ! モガミさんだとは言ってないだろ!」
「ちゃんと言おうとしたってば。その前に、勝手に勘違いしたんでしょが」
「いや、でも訂正するチャンスはあった!」
「どっぷり勘違いしてたくせに人のせいにするな!」
「自分は清廉潔白みたいな言い方すんな! 俺の勘違いを、途中から最大限楽しんでいただろが!」
「何それ気づいてて泳がせてたの!?」
「ああん!?」
「ああん!?」
「……おほん」
「はっ」×2。躊躇いがちに掛けられた咳払いに、俺たちは全く同じタイミングで口喧嘩を静止した。
すっかり菜恵さんがいることを失念していた。
「す、すいません菜恵さん! 営業中なのに!」
「なっちゃんごめん! 室井玄のせいで!」
「まだ言うか!」
自分だけいい子ぶる奴を叱ろうとした、その時。ずっと様子見をしていた菜恵さんは「ぷっ」と笑い出した。必死に抑えようとしているようだが、ククッと声が零れているし、体が小刻みに震えている。
「な、菜恵さん……怒っているんじゃ?」
「ううん……っ。びっくりは、したけどっ。なんか、面白くって」
菜恵さんは普段は穏やかな方で、爆笑するイメージはない。だからここまでツボに入り笑っているのは珍しい方だ。俺はただただ新鮮な気分で彼女を見守る。なんだか、こういうのも良い。
笑われているの、俺たちだけどな。
はいはい、わかっている。
ひとしきり笑撃の波をやり過ごした後、菜恵さんは、俺たちに向き直って、ストレートに言った。
「2人とも、仲が良いよね!」
「はい!?」×2。見事にシンクロした返しに、菜恵さんは一層にっこりと微笑んで続ける。「こんな風にケンカできるなんて、本当に仲が悪かったらムリだよ! 羨ましいなっ♪」
そうきたかー。全然嬉しくないな。筑守美礼も同じ心境のようで、ジト目になっている。嫌なときだけよく気が合う仲。
「あ、みーちゃんはニレノさんとこの件だったよね? 打合せしよっか」
「あ……うん……」
「あ、あのっ」
話をするため店奥に移動しようとしていた菜恵さんに、俺はつい声を掛けていた。菜恵さん(と筑守美礼)が振り向く。とはいえ目ぼしい用事はない。ほとんど無意識の行動だった。
「なにー?」「あ……えっと……」
台詞が続かずに視線を彷徨わせていると、なっちゃんはピンと閃いたように目を見開いた。
「あ! もしかして私ともケンカしようとしてくれてる?」
うん? どうしました菜恵さん?
彼女は満面の笑みで続ける。
「私もクロくんとケンカできるようになりたいな!」
訳が分からない。……でも、ケンカできるほど仲が良くなりたい、という意味だったら。やばいなコレ。じわじわくる。心の底から、エナジー的なものが湧いてくる気がする。
「クロくん、店内のことはよろしくね!」
「……ケンカなんてしないよな? 室井玄」
菜恵さんの明るい声と、奴の舌打ち交じりの低音ボイスが交互に通り過ぎて、店内は静けさを取り戻した。
むしろモガミさんも、固唾をのんだまま、静かに俺の様子を観察していた。とんだ野次馬どもだ。これでは落ち着かない。……調子を戻そうか。
「よし。頑張るぞ、みんな」
《ハァーイ!》《キャッホーゥ!》
ぼそりと呟き、浮かれたような歓声を迎える。
いろいろあったが……俺の中で、峠は越えたようだ。今日はあと少し、仕事を頑張ろうと思う。それができれば、きっと今夜の酒は美味いはずだ。
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