ツクモリ屋は今日も忙しい(12‐後編)
夕と夜の間。影と闇の間。神妙な淡い時間帯のことを、人間は「逢魔が時」と呼ぶらしい。何か魔物や、人外のものに出くわしそうな時刻だと。いかにも上等な発想だの。
我は屋根上で朱色の木漏れ日を眺めていた。周囲は静かなもので、人はおろか、小動物の気配さえない。つまらんの。
まぁ、来ぬなら、こちらから出向けばいいのだが。
《行くのか?》
すとんと地面に降りると、マツノキが声を掛けてきた。
《そろそろ頃合いだろうよ。軽く挨拶をしてくるかの》
素っ気なく言を紡いだが、内心、期待で胸がいっぱいだ。心中を察しているのか、小屋もマツノキも問い返さなかった。
《では、お二方。留守を頼むの!》
《……ああ。わかった》《せいぜい頑張ってくれ》
(12)「ニレノさんの或る1日」ナノ! -後編-
足取りは軽く、兎のように跳ねて斜面を下った。
意識体として自ら歩むことはほぼない。普段はせいぜい日向ぼっこや、小屋周辺を探検するくらいだ。されど道を違えることはない。なぜならば、この高台は、我が仕えた主達一族の、庭のようなものだから。
主に携えられながら道を覚えた日々が、懐かしい。
かくして辿り着いた「公園」の広間。辺りは、日差しの消えかける宵闇の時分だった。時期尚早か、と目を凝らしていると、何やら騒々しい人影を小さく捕らえる。
「でさー、アイツこのまえ失敗って」
「あははダセー!」
「サツに見つかったのかよ? ないわー」
少し近づき確認すると、人影は3つあった。
いずれも若い男。
出で立ちは似たようなもので、なんと言おうか……黒獣の皮のような衣を身に付けている(※ライダースジャケット)。そして、髪色はなかなか奇抜な色(※ブリーチ染め)で、不自然に天に向かい癖がついていた(※ワックス使用)。そして何より不思議なのが、点火された小枝を口に咥えている(※タバコ)。
うむ。我の好奇心が、源泉の如く湧き出している。
ツクモリの面々は、かような着こなしはしないからな。実に興味がある。
《に、ニレノさーん、こっちに!》
若者たちから目を逸らせずにいると、我のすぐそばに生えていた若木が、気遣わし気に声を掛けてくる。お互いに初対面のはずなので、彼奴が名を知っているのは、マツノキからの伝言だろうと察しがついた。
《待たせたの。かの者たちが、件の?》
《はい! ……その、毎晩ああして居座るんです》
言葉を選びながら、若木の声はどんどん弱くなる。
《夜通し大きな声で騒ぎ、その間に持ち込んで飲み食いしたものは、そのまま残して帰る。おかげで残し物に蟻がたかるし、近所のマダムは、迷惑そうに井戸端会議をする。もしも自分が草花ならとっくに萎れている……と、あの新入りが訴えるのです》
《あの、かの者たちが寄りかかる、あの木か?》
《はい、まさに! ああ、僕なら枯れてしまう……》
ふむ。木々の精神的苦痛は計り知れないかの。
ここで改めて確認すべきことがある。それは、この高台における秩序というか、掟のようなものだ。
曰く『カミの存在を示してはならない』。
我や小屋のような付喪神も、マツノキのような自然神も、人間に対して力を誇示すべきではない。ここは常より人気のある方ではない。「心霊すぽっと」として悪目立ちするような真似は御法度、というわけだ。
つまり、やるなら上手く隠せ、という算段。
《今までは、何か策を打ったのかの?》
《皆で相談し実行したのです。わざと近距離に毛虫を落としたり、ざわめいてみたり》
《……》獣に毛虫か。焼け石に水。そういう感じかの。
《若木よ。我はこれより動く》
《はい……あのでも。僕、一番年長ですよ。公園の中ではリーダー的存在でして……》
彼奴は呟くが、リーダーの意味が解せぬ我は、もはや動いていた。
「……ん? なんだあいつ?」
「え、なんだって?」
面妖な3人組が、怪訝そうに顔を向ける。
我は、にこやかに挨拶する。人間のように。
《お初お目に掛かる。愚衆どもよ》
「ええー!? なんだコイツ! 侍かよ!」
サムライとは何だ?
「なんか着物、着てるし!」
これは初代の一張羅の模倣だ!
「なんか古い言葉を使ってっし!」
……まさか、自らが愚衆呼ばわりしたことに思い至らないのか? 貴様らの語彙力はどうなっておるのだ?
「あはははは!」猿のように笑い、男たちは腹を抱える。
解せないというより、面倒な心持に、いささか支配される。これまでは、うまく説き伏せれば上出来と考えていたが、話が通じなければ別だ。思えば、2代目が言っていたではないか。
──最後は、拳で通じ合えればよいと。
《ああ、マツノキ。あの喧嘩が役に立つぞ》
呟きながら、ゆっくり三者に近づく。我の気迫に気づいたのか、不機嫌そうな声を上げる。
「……ああ? やんのかよ。トノサマ」
《買い被ってくれるのかの。嬉しいの》
寄りにも寄って、殿様など。
我は、2代目を真似て、習得した波動拳を構えた。
***
結果、圧勝。
3人の若造人間は、我の波動拳に打たれ、呻きながら横たわるのだった。
……少し拍子抜けだの。
我の体は、通常、常人の体には触れられぬ。ただし、強い気迫や思念は伝わることを知っていたので、気合いを入れたのだが、入れ過ぎたのかの?
まぁ、波動拳が効かぬとも、うまく逃げ延びて終わりにしようと目論んでいたので、気楽で良いのだが。
《ニレノさーん! すごいです! ブラボー!》
先程の若木が、興奮した様子で呼びかける。周囲からも絶賛の吹雪が舞い踊る。どうやら我は、英雄になったようだ。
《まるでジャッキーチェンみたい!》
じゃっき……はわからぬが、褒められている気はする。
《じゃっきんとは何かの? 鋏の音かの?》
「うう……くそ」
雑音が聞こえる。
《危ない、ニレノさん!》
3人組のうちの1人が、力を振り絞って、我に背後から掴みかかったのは直後だった。我の精神体は捕まらず、その者は倒れ込む。が、その者は気丈にも、疑わし気な声音を上げる。
「まさかこいつ、……人間じゃない?」
奴が尚もこちらに振り向こうとした、その時だった。
「誰が人間じゃないって?」
振り向く奴の胸倉を、横から掴んだ者がいた。
それは、新登場の男だった。
その者は、とにかく眼光が凄まじかった。
「え、あ……違います……間違えました……寝ます」
謀反者は戦意を削がれ、気を失う。
「……ったく、妙な喧嘩してんじゃねえよ」
場に訪れた新人は、自らの手を自由にすると、思い出したように我の方を見て、顔を顰める。
「……あんたも、さっさと帰れよ。今から警察呼ぶから、こいつらのことは心配しなくてもいいし」
《ふむ。そうは言うが、我を悪とは思わぬのか?》
不思議な心地で、我は彼に問いかける。何か、どこかが引っかかっているような気がする。
男は事も無げに返した。
「あんたは巻き込まれた、ただのカミサマだろ?」
──『あんたは、カミサマだろ?』
《あ……》
「いいから、ここは行ってくれ。……ここは俺の通勤路なんだ。道の安全は、俺も守りたい」
《そうか。ならば……任せよう》
《ニレノさん、ありがとうございます!》
若木たちの改まった声援の中、我は「公園」を後にした。
「……ふぅ。いいことをしました、菜恵さん」
名もなき男の呟きは、風に紛れて聞こえなかった。
***
《おかえり、斧よ。ご苦労だったな》
《……おかえり》
帰還するなり、マツノキと小屋が、声を掛けてくれた。
《ああ、ただいま》
最低限の挨拶のみを返し、我は本体に還る。
《……なんだ。もっと自慢するものと思ったが》
《……ああ》
様子がおかしいことに気づいたのだろう。どちらも多少、不服そうだったが、それ以上は咎めずにいてくれる。さすがは、腐らない縁だ。
一人の空間の中で、ぼんやりと考えた。
あの者。眼光の鋭い、青年。
まるで、3代目のようだった。
不幸にも急逝した、若き最後の当主に。
3人の主の中で、一番早く、縁が切れてしまった。
その主に、青年が似ていた。とても瓜二つ。とても気になる。
また会えるといいがの。
そしたら……。考えていたつもりが微睡んでいて、我の意識は途切れていったのだった。
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