ツクモリ屋は今日も忙しい(18-後編)
【side:室井玄】
そうかもしれない。夢かもしれない。
しばらく接客と商品陳列の並行作業が続き、俺はいつしか、そんな言葉が浮かぶ心境に至っていた。
「パイセ~ン」
ふと仕事が一段落したころ。西松が間の抜けた声を出しながら、俺の方へ歩いてくる。これも夢かも。眠い気すらする。
ガシッ!!
「うっ!? な、何すんだ、西松」
それまでの能天気な物腰からは想像できない握力で、西松は両肩を掴んできた。なぜかジト目だ。
「パイセン……これだけは言っておきますよ!」
えっ、何? こわっ。
「逃げちゃ駄目。逃げちゃダメだぁ、逃げちゃ駄目」
五七五のリズム。真面目な顔で朗々と詠み上げる西松に、今度は俺がジト目になる。馬鹿にするな。
「……3回も同じことを言うなよ」
「これでも少ないっすよ。本来なら5回なんで!」
「短歌かよ!?」
《逃ゲチャ駄目ナノ~》《喧嘩モだめナノ~》
モガミさん達が、じゃれ合いながら俺たちの真似をする。そういえば、何から逃げてはいけない話だったか──。目を覚まさなくちゃ駄目だ。
(18)「ボスのボスは母」ナノ! -後編-
とてつもなく今更だが、話を整理しよう。
《一緒ニ考エルノ~♪》
多恵さんは、菜恵さんに見合いをさせたい。
その候補に俺も入っているらしい。
菜恵さんは、見合いの話をまだ知らない。
俺が承諾すれば、俺と菜恵さんは見合いする……?
「俺と菜恵さんが見合い、ねぇ」
《ミアイ? 明日ノコトナノ?》
「それは未来」……西松とモガミさんがうるさい。
正直なところ、今いちピンとこないのが本音だ。見合いをしている姿がまったく想像できない。というか……見合いって初対面同士でやるイメージなんだよな。本当に「見合い」でいいのか? 今さらだが。
そして菜恵さんは……見合い話にどう反応するのか。受けるのか、それとも断るのか。
どちらかと言えば断りそうだが、案外、のほほんと見合いしそうにも見えるし……。他の男と見合いさせるくらいなら、俺が立候補するか。あ、でも……それで見合いを断られたら、俺自身が断られたことに??
それはダメ。それだけは駄目だ!!
せめて菜恵さんがどちらを選ぶのか、事前に予測できればいいのだが。今日はもう店には戻らないのか。……あれ、そもそも菜恵さんは、自分の母親がここにいるっていうのも知らないのか?
……考える程に、疑問が増えていく。
どうすればいいのか、さっぱり判らない。
《オヨヨ》《……クロガ死ニソウナノ!》
《誰カ! 医者ハイナイノ!?》《クロ~》
余程ひどい表情になっていたようだ。気づくとモガミさんが随分とわらわら寄って来ていた。
「あ……なんかすまない」
さすがに今のは、店が営業中なのを忘れていたと、自覚できる。これでは見合い云々以前に、店長として失格だ。菜恵さんに面目が立たない!
ふと横を見ると、珍しく真顔な西松と目が合った。いつものように、面白おかしく観察していたのだろう。今さらだ。
「そういえば、もう運ぶ物はないのか? なら……」
「パイセン、まだ心が決まっていないっすよね?」
それは、いい天気ですね、ぐらいの軽快な口調だった。気づけば俺は、豪速の矢で核心を射止められていたのだった。いや、訳が分からん。
「す、すぐには決まらないだろ……」
「いやでも、今日中に答えるんすよね?」
何この矢継ぎ早。普段は能天気そうなくせして、生意気だぞ西松のくせに。なんでだ? どうしてこんなに的確?
「どうせパイセン、どちらかを選ぶ『べき』かで悩んでいるんしょ?」
3本目の矢。グサグサと刺さり、俺の心は満身創痍だ。3本の矢……西松はまさか、毛利元就の生まれ変わりか? なるべく取り留めのないことを考えて、気を保った。ちなみに、戦国武将はわりと好きだ。
「わかった風なこと、言うなよ。怒るぞ」
俺が目を吊り上げると、西松は目尻を下げた。
「そうですね、すいません。でもあと一つだけ」
「どちらを選ぶ『べき』ではなく、どちらを選び『たい』かで、選んでください。お願いします」
ぺこりと頭を下げられ、俺は目を瞬かせた。どうした? さっきまで、グサグサに刺されていたのに。
「パイセンには、失敗して欲しくないんす」
西松の言葉に、俺は、西松が過去に離婚していたことを思い出した。
「自分の気持ちを伝えなかったら、こういうのはダメ。自分の気持ちから逃げちゃ駄目だ。だって、これはナエセンだけじゃなくて、パイセンにも関係があることだから」
「西松……」
奴はキュッと口元を結ぶと、ペコっと頭を下げた。そして店奥に引っ込んでいく。無駄のない動作だった。そして直後、客が入って、俺は声を掛けられないのだった。
まさか、タイミングも計算づくとか、ないよな?
……いやしかし、恐るべし。結婚経験者・西松。
見合い話をどうすべきではなく、どうしたいか。
自分がどうしたいのかなら、少しは分かる……か?
***
「じゃあ、あたし、そろそろ戻らないと」
夕方。もうすぐ営業も終わりそうな時間帯に、多恵さんが言い出した。ちょうど客の入りも収まってきていた。
「お疲れ様っす~!」
「お疲れ様です! 助かりました!」
口々に言う俺と西松に多恵さんは微笑むと、少し声のトーンを落として、俺に向き合った。
「ところで、見合いの件って、まだ返事は決められない?」
「いえ、考えは纏まりました」
多恵さんは、目を見開いてから頷く。
「そう。受けてくれる?」
「私は、菜恵さんが見合いをしたくないなら、承諾したくないです」
きっぱりと言った。菜恵さんと西松は、似たような表情をしていた。少しだけ驚き、少しだけ納得している顔だ。
「そう……。見合いがやっぱり嫌?」
「見合いじゃなくて、菜恵さんが嫌がることに加担したくないのです」
「……ふぅん。そう」
続けて多恵さんは、複雑そうな顔をした。娘のために何かしたいという、さっきの言葉に嘘はないのだろう。そんな少し、悲しさも感じる顔だ。
だから俺は、多恵さんを安心させたかった。
「もし、菜恵さんが見合いを嫌がっても大丈夫です」
「……え?」
「そのときは、──俺がなんとかします!」
決意を込めて断言した。今度は2人は揃って、豆鉄砲を喰らったような顔になる。……ん? どうして西松まで、そんな顔をする? お前だろ、自分のしたいようにしろって言ったの。
俺は、菜恵さんが幸せなら、100%自分も幸せだ。
だから俺は、菜恵さんの幸せのために選びたい。
菜恵さんの幸せな選択が、俺の選択だ。文句があるのか。
「ぶふっ、くくっ……あはは!」
今度は多恵さんまで、おかしな様子になってきた。なんなんだ今日は。そういう日か?
「やっぱりね! クロくんはそうだと思った!」
腹を抱えて笑いながら多恵さんは言う。
「やっぱり、菜恵のことが大好きよね!!」
「…………?」
お母様、何をいきなり。口が全く動かない。
「だって、菜恵に相手が見つからなかったら、貰ってくれるんでしょ? あたしねぇ、そういう人、好きなの。夫もそういう人よ!」
ん?
「パイセン、ぼかぁ惚れ直しました。人として」
ん? とりあえず西松は黙れ。
「わかったわ、クロくん。あたしは、菜恵に正直にすべてを話して、きちんと本人に判断を委ねる。それで駄目なら、そのときはお願いね♪」
多恵さんは機嫌も良さそうにウィンクしながら、スキップをせんばかりの勢いで去って行く。菜恵さんばりのチャーミング……はぁ。
ん?
「つまり、どういうこと?」
「そういう所も含めて、マジ先輩リスペクトっす!」
西松はニヤニヤしながら言う。いやだから、説明してくれよ。西松のくせによ。怒っていると、ぽつりと零した言葉が、耳に届く。
「こういうの撮れたら、バズるんすかね~……」
「そう言うんなら、今度チャンネル教えろよ。お前の動画を全部観て、全部バズらせてやる」
だから、今の状況も解説してくれよ。
西松は再び目尻を下げて、笑った。
「ほんとそういうの、人として、惚れるっす」
「お前は惚れるなーっ!」
俺は怒り、西松はどんどん笑った。モガミさん達もずっと楽しそうで、多恵さんは跡形もなくいなくなっていた。
なんか……なんか見逃している気もするのだが、俺にはそれを追う余裕がもう残っていない。仕事が終わり、帰宅したら、すぐに眠ってしまう気がする。そのぐらい、体力も気力も削がれていた。
まぁ、また明日でいいだろう。健康第一からの、睡眠優先でいい気がする。できることはやったはずだ。
とにかく、今日は、ツクモリ屋が忙しかった。
つくづくと俺は、そればかり考えていた。
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