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ツクモリ屋は今日も忙しい(5-後編)

 びよーん。びよーん。

「せ、先輩……あの?」
 芹野さんが、不安そうに声を掛けてくる。まばらな通行人が、ときたまこちらを怪訝そうにチラ見する気配がする。そんな中、僕は、芹野さんの定規を軽く爪で弾いたり、振っていた。意外とたわむ。

 まあ、道端で男が定規をいじっていたら注目も集めるし、後輩に心配もされるのも無理はない。それでも、今の僕はそうせざるを得ない気分だった。

《ヤメロヨー! バカーッ!》

 定規の主であるモガミさんは、悪態を吐きながら、揺れる本体とバランスを取るようにうねうねと動いている。体幹がいいのか(そもそも体幹という概念はあるのか)激しい動きにも酔わないし弱らないし、態度も改めようとしない。

なんか生意気!

「荒木先輩!」
 芹野さんが、スッと近づいて、物差しをハシッと指で摘まんだ。モガミさんに気を取られていた僕は、彼女の行動にすっかり虚を突かれた。一呼吸の間、彼女の顔をまじまじと見つめる。

「ん? ……あ、あぁ、ごめん。人の物なのに」
「い、いえ、そうではなくっ。……危ないですよ?」
「危ない?」

 再び物差しを手にした芹野さんは、伏せがちの眼差しで、もじもじしながら躊躇いがちに言葉を紡ぐ。危ない、か。きっと、手が滑って定規を誰かにぶつけたりするのを恐れたのだろうと、僕は考えた。一瞬だけ。

「だって……そんなに刺激したら、何をされるか……」

 青ざめて、身から遠ざけるように定規を持ち、さらにその手をガタガタ震わせている芹野さん。明らかにモガミさんに怯えていた。

 ……なんか可哀想!!


(5)「タクマの新人教育」ナノ! -後編-


「あのさ、芹野さん。それ、しばらく僕が預かるよ」

 手を差し伸べながら告げると、芹野さんはギョッと目を見開いた。信じられないと言わんばかりに僕を凝視してくる。

「え!? で、でも、それだと荒木先輩が……」
「大丈夫、僕は平気だから」
「……あの。そういえば先輩も見えますよね、その」
 あっそうか。そもそもソコから言ってないよな。

「見えてるよ。なんかニョロンとしたやつだろ?」
《にょろんッテ言ウナー!》うるさい。
「そ、そうです! 先輩も霊感あるんですね!」
「いや霊感はないよ。それに幽霊じゃないし」
《違ウゾー! コワイオバケダゾー!》やかましい。

「幽霊じゃない……? 何を言ってるんですか?」
 徐々に落ち着きを取り戻してきた芹野さんは、首を傾げて定規をチラ見する。彼女の視線に気づいたモガミさんは、瞬時にチンピラのような雰囲気を醸してニタァと笑う。

《イヒヒ……》笑い声、ニタァじゃないんかい。
「モガミさん……駄目だからね?」

「え、最上さんっていう人なんですか?」
 戸惑う芹野さんの腕を、服の上からそっと掴み、物差しを取り上げる。固く握りしめられたままだった彼女の手は、脱力をするように開かれた。モガミさんに睨まれたまま、僕はにっこり微笑む。

「だから、幽霊じゃないんだってば。まぁ追々話すから、今は本社に戻ろうよ。……あと、今日の仕事が終わった後、予定はある? ちょっと、連れていきたい場所があるんだけれど」

「へっ……? な、ないです! 行きます!」
 間の抜けた声を出した後、芹野さんは慌てて誘いにOKしてくれる。でも、もしかして気を遣わせてしまったのだろうか。そんな食い気味に答えてくれなくてもいいのに。

「ちょっと電車に乗らなきゃだけど、いいかな。良かったらその後、ご飯も奢るし」
「……その後? あの、どこに行きたいんですか?」
《バカー! ドンカンー!》これ以上言うな。
 僕はモガミさんを静かに睨み黙らせた。……ったく、芹野さんに失礼だろうが!

「こいつにピッタリな店があるんだよ」
 物差しをぎゅっと握りながら、僕は芹野さんに返した。事情を詳しく知らない彼女は、澄んだ瞳で僕とモガミさんを見つめていた。


   ***


 こうして僕は、芹野さんとツクモリ屋に来た。

「……なるほどな。正しい判断だな」

 僕の説明を聞いた室井さんは、定規モガミさんを睨み……いや見ながら、そう返した。対するモガミさんは、一度は仰け反ったが、負けじとタイマンを張ろうとしている。なかなか骨のある定規だ。たわむけど。

「付喪神のモガミさん……。まだ信じられないです。私にもそんなものが見えるなんて」

 そわそわと辺りを見渡しながら、芹野さんが話す。ツクモリ屋に来るまでに、少しずつツクモリ屋やモガミさんについて教えたのだが、あまりしっくりはこないようだ。仕方ないことだと思う。僕も最初はそうだったから。

「芹野さんは、モガミさんが見えたのが初めてなんだよね。僕も最初に見えたのは高校に入ってからだよ」
「え、そうなんですか?」
「うん。たまに、そういう人がいるみたい」

 ツクモリ屋のオーナー・なっちゃんは、家系的に、幼い頃より見えるようだ。でも、僕や室井さんのように、突然変異のようにポツポツと見える人も、確かにいる。

「さて。こいつは預かるよ。きっちり教育してやる」
《ヤダー! ヤダー!》
 心底に嫌そうな顔でモガミさんは抵抗していたが、室井さんと目が合うと無言でタイマンを張り直す。
 少し、面白いと思ってしまった。

「あ、そうだ室井さん。今、定規は置いています?」
「おう。あっちだ」

 室井さんに示された場所に行き、定規を品定めする。芹野さんに見てもらうと、ちょうど良い物があった。それをレジに持っていく。

「ちょちょちょっと待ってください……!」
 会計の直前に、芹野さんが必死の形相で止めにかかってきた。彼女は肩で息をしている。

「え、どうしたの?」
「その物差し、3000円はするじゃないですか……! ブランド品ですか? とにかくそんな高い物、いりません!」
 あっそうか。ここの値段設定、言うの忘れてた。

「いや、ノーメーカーだと思うよ。でも、定規がないと、芹野さんも困るでしょ?」
「まだ昔のやつが残っているし、大丈夫です!」
 なんだ、そうなのか。
「ごめん、早とちりした! それならいっか」

「あ……はい」

 頷く彼女に納得して、僕は室井さんに向き直る。
「すいません、そういうことなので、戻しますね。モガミさんもゴメンね」
「あ……あぁ」
《イイッテコトナノヨー♪》
 僕は、とばっちりを受けたモガミさんを元の場所に置く。察しが悪くて本当に申し訳ない。


「じゃあ芹野さん、行こうか。何が食べたい?」
「えっ……。イタリアン系はありますか?」
「あるよ。この近く、店が多いんだ」
「そうなんですね……!!」

 ぱぁっと華やいだ彼女を連れて行く。
 やっぱり、悩みごとが解決すると嬉しいよな。僕も戸惑ったから、すごく気持ちがわかるんだ。せめて美味しいものを食べてもらおう!


   ***


 2人を見送った後、2人、厳密には1人と1モガミが、悶々としていた。

「なんだあいつら。楽しそうに飯の相談なんかしやがって……」
《ツマンネーノ》
「俺なんて、菜恵さんと食事デートもしたことないんだぞ。それなのに、あいつは……ぶつぶつ」
《ツマンネーノ》

「……まずはお前から、片付けるからな?」
《……まじナノ?》

 フフフ、と低い笑い声がツクモリ屋に響き渡った。



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