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自己紹介ノート

初めましてこんにちは。
ぬこ尻ryoと申します。
ここはnoteの説明ページです。
※このページは定期的に更新をしていきます。


自己紹介

名は、ぬこ尻ryo、です。

日本人、未婚、一人暮らし歴約20年。
精神疾患持ち、です。

日本に住んでいた時、わたしは『精神障碍者手帳2級』取得者でした。
主な診断名は、『うつ病』と『発達障害』です。
また、それらによって発症する『摂食障害』(過食嘔吐)、などです。

バルセロナに来てから数回、精神科を受診しました。
診断記録を振り返ると、『アスペルガー』『うつ』と記載がありました。

来歴
2017年2月に初めてバルセロナに訪れたとき「この街に住みたい」と思い、ました。
2019年3月末に学生ビザを取得しました。
2024年5月現在、バルセロナの居住許可を取得しております。
バルセロナ在住歴約5年でございます。



コンテンツ内容

バルセロナでの日常生活を発達障碍者持ちの目線でお届けします。
特別なことは何もない、日常生活です。
情報系でもなんでもない、日常エッセイ系です。

真面目に不真面目に自分の言葉で綴る、なんてことはないバルセロナ日常生活、です。

文章のスタイルは、
『普段母親と電話で話すようなノリと勢いと感覚』で綴っています。


届けたい相手


 自分と同じような精神疾患で辛い日々を送っていたり、悩んでいたり悲しい思いを抱えている方々の目に留まっていただけたら嬉しいです。
 そしてついでにくすくすにやにやふふふと笑っていただけたら、超絶至極幸せです。嬉しょんです。
 だって自分がそれで救われたから。


なぜ書くのか

自分の言葉で自分の感じたことを文章化して記録に残すため。

なーんていうとカッコイイですが、読んだ方に笑ってほしいからです。
もう、それだけ。


信条は、
生まれつきのネガティブ後ろ向き発達障害だけと周りの人が笑ってくれるとめちゃくちゃ嬉しいから、笑えるような楽しいノリで話を書く。



わたしがバルセロナに来てから、ちょっとずつ、後ろ向きではありながらプラスベクトルに進んでいる様子を見て、
「こんな阿呆な変わり者も存在するんだな、こんなヘンテコな奴を受け入れるなんて、バルセロナって器がでかい街だな」と、少しでも感じていただけたら超絶至極幸いです。

※さらに日本を離れた場所からみることで気づいた、『日本のすばらしさ』についても紹介しています。わたしは、日本の社会になじめなかったけれど、日本の文化とか日本語とか食べ物とか設備とか店員さんの対応とか、ほんと全世界に誇っていいよ、むしろ誇りだよ。日本人ってすごい人種だよ。


バルセロナが、居心地がいいなと感じた理由


『個人の違い』に対して日本よりは寛容な街
なのではないかなあ、と思うから、です。気候もいいです。


日本にいたとき、小さいころから「自分はなんか周りと違うな」と感じておりました。
※あと母親曰く、「自分の世界に閉じこもりがちな子」だったそうです。

なんかよくわかんないんだけど、うまく説明できないけど、ほかの人たちとは『違う』
みんなができることが自分にはできない。
授業では体育、特に『球技』が絶望的にヘタクソ

だからなのか、いつも仲間外れにされる。
いじめの対象になる。
同世代の人とうまくコミュニケーションがとれない。

日本人なのに、日本語が母国語なのに、遺伝子も(多分)100パーセント日本人なのに、『自分が外国人か宇宙人』のように感じていた。

けれどバルセロナに来たときは、大前提として『自分は日本人という外国人』だった。
最初っから『外国人』なんじゃん。
「じゃあコミュニケーションヘタクソでも仕方がないよね。」
って、思えたんですね。

さらにちょうどよい具合にバルセロナは適度に多種多様な人種が住まうメトロポリタン。
ニューヨークほど大都市でもなく、東京ほど密度が高いわけではない。
観光地が集中している中心地を少し離れてしまえば、昼夜問わず観光客も少ない閑静な住宅街。
※家賃は高い

公共交通機関もそれなりに便利だし、何より運賃の値下げが続いててありがたいうえに、夜間バスがある。
※最近はすっかり夜に出歩くことはなくなりました。

あくまでも個人的な意見として、ですが、
『自分自身がどうしたいか、何をしたいかを主張するのは当たり前』な社会だから、『自分が動かなければ何の変化も起きないのは当たり前』な国なんだろうなあと思います。
デモもしょっちゅうありますし。
(西語:MANIFESTACION、マニフェスタシオン)
※当然地域差、年代差もありますし、差別や偏見にも遭遇しまくります。

そんなわけで、最初に述べたように、『個人の違い』に対して日本よりは寛容な街なのではないかなあ、と思います。
なによりもやっぱり気候がいいのはよいですよね。


以下、これまでのお話

日本在住編

わたしも、日本にいた時は毎日苦しくて辛くて、毎日のように母やに電話しては「なんでわたしなんかを産んだんだ。早く殺してよ、産んだ責任を取ってよ」と叫びまくっていました。

そのたびに母親からは
「なんでママが人殺しにならなきゃならないのよ、厭だよ。」
「あと、死ぬなら奨学金を返してから死んでよね。ママたちは一切関与しないからね」

ありがたいことに私は小さいころからお金に関してはそれなりに厳しくしっかと母親から教育を受けたと思います。

「借りたものはきちんと返す」
「お金は絶対に借りてはいけない」
「そもそも借金は作らない」

このようなことを幼少期からつねづね言われ続けていたように思います。

そんな母親とわたしの、お金に関するエピソードを一つ紹介します。

生まれて初めて同人誌即売会に行った日、購入したものを母親の前に広げて、いくら使ったのか金額を聞かれて、
「一万円」と答えたら、
「一万円あったら、一か月生活ができるんだよ」と言われました。

今でこそ、「いや一か月で一万円生活は、バラエティ番組の企画レベルの話だろ」と笑い話にできますが、当時中学生だった私には、脳裏にしっかりと刻み込まれました。
「一万円はめちゃくちゃ貴重」
当たり前ですよね。
この時の話は今でも映画のワンシーンのように脳裏にありありと思い出すことができます。

※別に母親を糾弾する意図は一切合切ございません。ただこういう事実が過去に存在していたのですよ、という一例の紹介です。ホント、深い意味はありませんし、母親大好きすぎて精神的に依存しまくっています。ママ、愛が重すぎてごめんね、愛しています。ママ大好きー。
※ってことあるごとに言ってます(事実、まごうことなき、事実)

 と、そんな記憶もありまして、我が家はお金に関してはどちらかというと厳しい家庭でした。
 そのため大学に進学しようと決めたときは
「国公立大学以外はお金は出せません」と、はっきりと言われました。

 当時のわたしは、山田詠美氏の小説と原田宗典氏のエッセイと二次創作同人誌の沼にどっぷりとハマっていました。
 当然、受験勉強なんてやる気は全く起きませんでした。
 結果、(今はないのかな?)大学入試センター試験で失敗して、地元の私立の大学に通うことになりました。

私立大学、、、

 我が家ではとてもとても支払うことは不可能な領域の金額です。
 ゼロの数が間違って印字されているのではないかと思うくらいの額です。

 そのため、わたしは、、、奨学金に手を出しました。

 奨学金(当時は日本育英会)の説明会に行ったとき、まず最初にはっきりと言われました。

「奨学金は借金です」

今でもはっきりしっかり記憶しております。
返すことができなければ、両親親族に督促状が届きます。

※実際に、期日までに返金ができなくて両親と姉のもとに督促状が届いてしまったことがあります。恐怖でしたねー。

そんな覚悟をもって借金の申し込みをして通った大学。
今は自分が通った学科は、『就職できる先が少ないから』という理由で学科統合だか合併だかによって、消されてしまいました。
当時は、日本国内に3つしかなかった学科(学部)だったのに、、、ね。
私立大学あるある事情です。タブンネ。

ちなみに大学は、勉強すればするほど教授から可愛がってもらえたので、めちゃくちゃ楽しくて、勉強しかしていませんでした。
あと、アルバイト。
当時から自分がどこかの企業に勤めている姿が想像できなかったのですね。
そのため就職活動なんてものは、最初一回、東京で行われた全体説明会に参加した、くらいです。

就職するイメージもなかったですし、すでに小説を書きたい気持ちがあったので大学院に進学しました。

結論から言うと、摂食障害が悪化しました。
それで大学院を辞めました。

それからのことは話すと長くなるので省略しますが、(ここがまた個人的には超絶面白話です)、紆余曲折があって、性風俗業に従事して奨学金を完済しました。
大学院進学で借りた第一種奨学金も返した。
専門学校に行こうとして借りた教育ローンも、全部返したよ!
自分偉い、偉いよ自分!!

それからはもう、生きる気力がありませんでした。
それまでのわたしは「借金返済」が生きる目的になっていました。
生きる目的を失った今、もう、自らの人生に終止符を打ってもいいよね、と母親にまーた、めんどくさい電話をかけまくりました。

そんなときにふと、「あとはもう死ぬだけなんだったら、死ぬ前に一度やってみたいことや行ってみたいことに挑戦してみようかな」と思いました。

具体的には


  • 美容整形で二重まぶたにしたい

  • 小学生の時に国語の教科書に掲載されていた『屋久島の杉の木』という文章を読んで「千年以上も生きた木にだきついてみたい」と思ったことを実現したい

  • DESIGUAL』という服飾ブランドが大好きだから、このブランドの発祥地であるバルセロナに行ってみたい。


ということでした。

やりました。
実行しました。

そして人生の終止符を打つ前にバルセロナという街を訪れて、この街に住みたいと思いました。

だから実はバルセロナに住むときめたきっかけは『DESIGUAL』さんです。
最近のデザインはあんまり、、、ごにょごにょ、、、ですが、相変わらず鞄やコートは可愛らしいし、店内自体のデザインがポップでキュートでビタミン詰め込み!な感じのときがあるので、何も買わなくても見ているだけで元気になれます。

それからは、バルセロナに住むためにはどんな方法があるのかを調べました。再び働く意欲が生まれました。
※同時にうつ病や過食嘔吐も悪化しました。まあ人生なんてそんなものですよね。万事塞翁が馬的なアレ。



バルセロナ編

さらにさらに住んでみてからは、、、ほんっとーにいろんな出来事がありました。紆余曲折を経まくりました。楽しいこともいっぱいありましたが、当然のように、楽しくないこと、ヤバいこと、まずい状況、四面楚歌、、、なこともありました。

当時はほんっとーに苦しくて辛くてどうしようもなかったこともあります。
貯金額ゼロにも陥りました。
※ですが、今思えばすべて、『ネタにできるな』と思えます。


それから、自分自身にも変化が起きてきました。

具体的には...

  • 自分の部屋の床が見えるようになった

  • 植物を育てるようになった。

  • 自炊するようになった。

  • 空や海やお花がキレイだな、と思えるようになった。

  • 病院に行くことや仕事を休むことに抵抗がなくなってきた。


などなどなどなど、日本ではあり得なかったポジティブな変化です。

自分で自分にびっくりしております。




そして現在...(※2024年5月)

銀行残高がヤバい状況です。

精神疾患に加えて『乾癬』診断も受けました。
人生万事塞翁が馬、ですね。

今は精神疾患申請にも挑戦中です。

あとはなんだろう、、、

と、考え出したら厭になる、人生辞めたくなるような状況ではありますが、
『バルセロナに合法的に住んでいること』
がすごく幸せです。

長々とここまでお付き合いいただきありがとうございます。


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