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誠実であること。 道徳的であること。 大人らしくいること。 子供らしくいるということ。…

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誠実であること。 道徳的であること。 大人らしくいること。 子供らしくいるということ。 続けること。 怖がらないこと。 躊躇わないこと。 楽観的でいること。 これらは私を作り上げる上でとても大事なことである。

最近の記事

肌に染み渡る冷気と、肺に籠るその熱の在処は

仕事が収まり酒を飲んだ日 別に何も話すことなんかないけど無意味に文章を書きたくなる。 一人で生きていけるようにと気をつけていた訳だけど、根っからの寂しがり屋である私はどうにも他人を巻き込んでしまいたくなる。 人と人との関わりは、摩擦を産み傷つけ傷つけられの繰り返しだと思っていたわけだけど、そんなことは無いのだと思った。 信頼関係とか相手からの好意とかがある事が前提となっていた。 一人で生きていくなんて豪語したくせに他人に甘えていた事を自覚する。不甲斐ないことこの上ない。

    • 寝言 1

      今日も眠いまま明日が回っている気がする 疲れたなぁと思いながら鉛色の感情が泣いてる めがなかった彼 花に食べられたと聞いた 足が言うんだよ。 きっと、大丈夫さ 大丈夫なんだよ よく分からないなぁって相槌をうつ 本当によく分からないんだ 足はきっと信用しちゃいけないのさ 悲しそうに笑ってるから 無性に悲しくなってしまった ごめんね。

      • じゅう

        あくまでも例えばの話である。 ある日、道を歩いていた時人が車に轢かれそうになっていた。それは子供でもいいし老人でもいいし健康な若者でもおっさんでも誰でもいいのだが、その人を助けて自分が轢かれてしまった。 幸い一命は取り留めたが、全身麻痺の大怪我を負ってしまい回復の望みは無い。 身内もいない状態だったが、私は周りから英雄視された。 最初のうちは色んな人がお見舞いに来て、同情の眼差しで君は立派だよと涙を流しながら話してくれる。 しかし、次第に人は来なくなるだろう。 ベッド

        • 雨‐達磨のパラドクス‐

          寂れた商店街を歩いていると、雨の気配を感じた。 そういえば今日の予報は雨だった気がする、傘も持っていないしどうしたものかと途方に暮れる。 することも無いのでアーケード内の喫煙所を探していると人目につかなさそうな路地裏を見つけた。缶コーヒーを買い灰皿にしながら雨が止むのを待つことに決めた。 平日の昼間だがそれにしても人の気配を感じず、トタンに当たる雨粒の音と煙草の葉っぱが燃える音が異様に大きく聞こえた。 定期的に落ちる雨粒を八十七回程数えたところで、達磨が路地裏の奥からや

        肌に染み渡る冷気と、肺に籠るその熱の在処は

          休息

          めちゃくちゃよく寝てしまったな。 なんだか、悲しい気持ちになってしまった。 色んな原因はあるのだが私にもよくわからない。 なんというかやはり、1人でいるは寂しいものであるなぁ、と実感している。 悲しいなあ。 明日からちゃんと書きます……

          ねむい

          布団の中は幸せ。 いやぁもうとても眠い。 しかし頑張って書くぞ。えらい。 別に、だである体にする必要は全くないんだけど、長い文章を書く時ですます使うとなんか、書いてますよ感が強くていやで、口語だとそもそもの違和感が凄すぎてしまうのだよなあ。 口語をそのまま文章にするのはやっぱり結構むつかしくて、一応普段から間違った日本語はあまり使わないようにしているのでギリギリ成り立つかもしれないけど、むつかしいね。 だめだほんとうにねむい。 とりあえず今日はここまで、明日がんばる

          電気信号の中で夢を見る。

          吐いた煙が夢の形をしていた。 思考実験というものがある。シュレディンガーの猫やラプラスの悪魔、ヘンペルのカラスなどが有名であるが、これらは実際に行う実験ではなく頭の中で行うものである。現実には存在できないかもしれない物を使ったあくまでも例えばの話であるが、物理学などでは定説を覆す際に使われたりしているらしい。特殊相対性理論の双子のパラドクスなどだ。 私はそういった学問の思考実験は欠片もわからないのだが、哲学などに使われている物を調べ考えるのがとても好きである。 世界五分

          電気信号の中で夢を見る。

          あなたとわたしの間にあるもの。

          ものすごいはやさで駆け抜けていったひかり。 昨日の投稿は話題に困った時の天気の話と勢いで乗り切ろうとして失敗している下の話、というおそらく人に対してしてはいけないであろう話題を選んでしまった後悔が私を襲っている。 書き出しを考えている時に考えが二転三転して忘れてしまうのだが、この書き出しは昨日投稿してからずっと頭の中にあった。ギリギリなんとかなったような気もするが、このなんとかなったも私が勝手に私の心を守っているだけだ。おそらく何ともなってはいない。 コミュニケーション

          あなたとわたしの間にあるもの。

          太陽が一つである事についてのいくつかの考察

          日常を捲ってみると僕が写っていた。 本日は夏至である。 日本古来より引き継がれるお祭り野郎の血は順調に私にも引き継がれているらしく、基本的にイベント事というものが大好きである訳だが、こと夏至についてはおそらく1年で1番嫌いな日であり、五本の指に含まれるくらいには待ち望んでいる日である。 というのも、どうにも昼間というものが苦手であり、そして私は夜中が大好きなのである。 ここ数日、夜勤でバイトをしており朝方まで働いているのだが、四時の時点で明るみ出してくる。明るみ出すのはい

          太陽が一つである事についてのいくつかの考察

          その時僕は言ってやったんだ。

          空飛ぶ観覧車の内側で。 書き出しというものは非常に難しく、最初の1行から書き始めるのは気恥しいものがある。 気恥しいので最初に特に意味の無い一文を書いているのだが、なんならそちらの方が恥ずかしいことになっている気がしないでもない。 しかしまぁTwitter歴も10年ほどになってくるとポエムなんてものは吐き出してなんぼのものである。心を強く持っていこう。 気恥しいといえば、私はよく過去に起こした若気の至り故の浅はかな言動や、取り返しのつかないような事を思い出してどうしよ

          その時僕は言ってやったんだ。

          生きるということ

          そして私は転がっていく。 夜勤バイトが終わり、始発まで1時間ほどあったので歩いてきた。乗りたい電車には余裕で乗れたし、雨も降っていて非常に気分が良い(私は晴れより雨の方が好きだ)。 気圧の気だるさも散歩によって解消されている、運動とは良いものだ。 荒川だか江戸川だか分からない(さして重要ではない)が大きい橋を渡っている時、二股に別れた川の上に建っている無機質なビルディングの群れが霧雨に包まれている光景があり、右手には遠くにスカイツリーが見えた。歩いている途中に大きな神社が

          生きるということ

          才能について

          これは訓練である。繰り返す、これは訓練である。 人生が拓けたという気がした。 状況も何も変わっていないわけなのだが、気の持ちようという言葉は気休めではなく本当なのかもしれない。 いきなりnoteを作ったのは承認欲求が爆発した訳ではなく、私なりにしっかりとした理由が存在していて、御一読頂ければ最後の方に書く予定なのだが、最後まで読んだ所で大したことは書いていない。 平均的で凡庸かつ底も浅ければ思慮も浅い私なのだが、十人十色の答えがあるような物事に自分なりの結論を出すのが趣

          才能について