じゅう

あくまでも例えばの話である。

ある日、道を歩いていた時人が車に轢かれそうになっていた。それは子供でもいいし老人でもいいし健康な若者でもおっさんでも誰でもいいのだが、その人を助けて自分が轢かれてしまった。
幸い一命は取り留めたが、全身麻痺の大怪我を負ってしまい回復の望みは無い。
身内もいない状態だったが、私は周りから英雄視された。
最初のうちは色んな人がお見舞いに来て、同情の眼差しで君は立派だよと涙を流しながら話してくれる。
しかし、次第に人は来なくなるだろう。
ベッドの上で一人動かない体をくっつけたまま、何を考えるのか。

わからない。
私は多分、とても悔しいと思う。死にたいと思うだろうが体は動かない。
その時自分に何が出来るのだろうか。

と、考えた時に思いついたのは落語でも覚えるか、という事である。
出来ないことだらけになっても案外出来ることというのは思いつくものだ。
体は動かせないが、少し工夫を凝らして誰かに手伝ってもらいながら影絵に合わせて落語をやったら面白いかもしれない。
特段私は口がうまいわけでもないし演技もできなければ伝統芸能にどっぷりという訳でもないし気に入った人の落語しか聞かないのだが、噺家の江戸っ子口調を何の気なしに真似してみると、てやんでいべらぼうめみたいな気分になるので案外楽しかったりする。

いや本当は暗い事を思いついたから暗いまま行こうと思ったのだが、途中で面倒くさくなってしまった。書いててあまり楽しくもなかったしオチも思いつかない。確か書き始め当初、私は天涯孤独で悲しく寂しい人間なのだ〜と言おうと思っていた気がするが、そんな内容書いてどうするというのだ。犬に食わせておけ。

世の中の大抵の事は出来ることと出来ないことに振り分けられるだろうが、出来ないことの大半は「やらない事」とおそらく同義である。
やらない事の中にもやりたくないからやらない、やりたいけどいろんな制約があってやらないなど面倒くさいことばっかである。
特にこのいろんな制約というのが非常に厄介だ。やりたいならやってみればいいんだよ、なんて言う輩もいるがそれで出来たら苦労はしない。現状維持するだけで精一杯であるし、複数の欲望は矛盾していても成り立つのに、複数の結果は矛盾していると成り立たないのだ。
自分の欲望を一つ一つ取捨選択して、妥協と諦めで人生を成り立たせていくしかない。
非常に悲しい事だ。私も常に頭の中が金策でいっぱいである。私が嫌いな話題一位は仕事の話で二位はお金の話で三位は人の悪口だ。社会生活がそもそも向いていない。

昔、10万でいいからくれるおじさん現れないかなと常に思っていたがまさか総理大臣だとは思いもしなかった。しかし10万円というのはあっという間になくなってしまうものだったので30万円くれるおじさんが現れてほしいなと思っている。

お金の話ばかりしていると心が貧しくなってしまう気がするのでもうやめよう。
今日で夜勤もおわりなのでこれからは明るくなる前に寝られると思うとウキウキするものだ。やはり人間、日が出ているうちはあまり寝られない。
徹夜は体に悪いので、皆さんちゃんと寝た方がいい。
私はまだ起きてるがそのうち寝る。今は自由を噛み締めたい。

何にも制約されない自由を得てみたいものだ。

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