太陽が一つである事についてのいくつかの考察

日常を捲ってみると僕が写っていた。

本日は夏至である。
日本古来より引き継がれるお祭り野郎の血は順調に私にも引き継がれているらしく、基本的にイベント事というものが大好きである訳だが、こと夏至についてはおそらく1年で1番嫌いな日であり、五本の指に含まれるくらいには待ち望んでいる日である。
というのも、どうにも昼間というものが苦手であり、そして私は夜中が大好きなのである。
ここ数日、夜勤でバイトをしており朝方まで働いているのだが、四時の時点で明るみ出してくる。明るみ出すのはいいのだが地下鉄から出てくると目が痛くなるほど明るくなっている。これ以上私の時間をなくさないでくれ、と悲しくなるのである。朝になったら寝なければならないな、と夜更かしをしていると四時にはもう明るみ始めるものだから早く寝ろと世界から急かされているような気がして非常に落ち着かないのである。
私の昼間嫌いはなかなか筋金入りで、昨年両親とハワイに旅行に行ったのだが日差しの強さが日本の非ではない。太陽系に太陽は1つのはずであるのに、少し距離が近くなるだけであそこまで変わるというのは末恐ろしいものを感じる。両親は行動的な人種で、2人して朝からどこかに散歩したりプールに入ったりしていたのだが、日差しが強すぎて日が落ちてからじゃないと動かない!と固く心に誓昼間は寝て過ごしていた。ハワイの醍醐味である海もプールも全て放棄したのである。親にねだって買ってもらったウクレレを真夜中の浜辺で1人弾いていたのが一番ハワイらしい時間であった。団体行動をしろ、私。
夏の昼間というのがどうにも苦手であり、全人類がソワソワと浮き足立ち活気に溢れている気がする。それに当てられて多少馬鹿な事をしても、夏だし!という魔法の一言で何事も無かったかのように水に流している人達も出てくる始末。全員正座をさせて一人一人やってはいけないことはやってはいけないのである!と説教をしてやりたいものだが、大抵そういった時間帯は部屋の中でクーラーと二人きりである。
しかし、私は夏が嫌いではない。むしろ好きすぎるくらいである。好きすぎてもはや嫌いである。
私の中には確固たる「最高の夏」というものが存在していて、それを実現させる事を長年夢見ているのだが毎年金か時間か人が足りない。基本的に全て足りていない。それは生活の中で夏を迎える準備を怠り続けている結果であり、つま先から頭の先まで私が悪いのだがしかし実現出来ないものは実現出来ないのであり、現実と理想のギャップに打ちひしがれるのである。
私はこんなに夏を愛しているのに何故だ、とひねくれた頭で斜に構え周りを呪ってしまうのであった。私は夏を楽しむ人ごとまるっと夏を愛していたい。
しかしその点冬というものは良い、空はどんよりし街ゆく人は肩を竦めて、大人数で歩いている人達も体が強ばっているせいか大きな声も出せずひそひそとしている。実に一人で過ごしやすい。町中で身を寄せあっているアベックを見ても、心も寒さにやられているので穏やかな気分で過ごしていける。
しかし、駅の改札で今にもおっぱじめそうな人達というのは年中いる訳だが、あれはもはや前戯ではないのか。時間と金があるのならば然るべきホテルに行くほうが良いのではないか、と思うわけだが恥ずかしながら私も恋人がいる時は似たようなことをしてしまうので人のことはいえない。暖かく見守ることにしている。
そもそも、直行でホテルに行くのは些か情緒にかけるものがある。男女の情事というものは、この後どうする?アタシなんだか眠くなっちゃったワ……?のような駆け引きというものが肝心なのではないのだろうか。むしろそれこそが本番であると私は声を大にしていいたい!

無駄な勢いで乗り切ろうとするには無理がある。そんなことは無い。その段階は前戯の前戯である。したい人はすれば良いのだ。私はすごく好きだ。
私は男尊女卑の思想の持ち主でもなければフェミニズムもそれに類する思想も一切持っていないが、やはり男の子たるもの頑張らなければならない時というのはあると思っている。この後どうする、の後駆け引きがだらける前に下心を包み込めないオブラートで行動を起こさなければならないのである。嫌われたらどうしよう、引かれたらどうしよう、これまでの関係が全て消えてなくなってしまうのではないか、という臆病風が爆弾低気圧の様に吹き荒れながらも絞り出した渾身の誘い文句というのは、それに乗るかどうか、実際の気持ち悪さ、余りにも酷い一言であるとか、そういう事は置いておいて、男の子の汗と涙といろんな汁が混ざりあった尊いものなのである。

今日は調子がいまいちであったが、今年の夏こそ素晴らしいものになるよう祈っている。

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