あなたとわたしの間にあるもの。

ものすごいはやさで駆け抜けていったひかり。

昨日の投稿は話題に困った時の天気の話と勢いで乗り切ろうとして失敗している下の話、というおそらく人に対してしてはいけないであろう話題を選んでしまった後悔が私を襲っている。
書き出しを考えている時に考えが二転三転して忘れてしまうのだが、この書き出しは昨日投稿してからずっと頭の中にあった。ギリギリなんとかなったような気もするが、このなんとかなったも私が勝手に私の心を守っているだけだ。おそらく何ともなってはいない。

コミュニケーション。会話。とても大事なものである。私はネガティブで自信もない陰気な男であるが、なぜだか人に一方的に喋りたおすのがとても好きだ。おそらく自分がその場を支配していると錯覚するのが大好きなのだろう。最悪である。
基本的に人間が嫌いであり見知らぬ他人に怯えて生きているのだが、街ですれ違う程度のこの先の人生で一切かかわらなさそうな人間は問題ない。が、関わりが深くなりそうになればなるほど、しっかりしなければ、仲良くならなければ、変なやつだと思われないようにしなければ、嫌われたくない。というような焦燥感に襲われる。私は本当に人間が嫌いなのだろうか……?これについては後日気が向いた時に考える事にする。
そういった焦燥感に駆られながら人とコミュニケーションを取ろうとするものだから、いつも過剰に喋り倒してしまうか、うめき声一つ挙げられず硬直してしまうかの極端な反応になってしまう。
更には酒なんか入った時にはもう、思ってもない事を言うのならばまだしも、思ったことが片っ端から出てくる脊椎反射の化物と化してしまう。またそれを覚えているのなら反省と修正のしようがあるのだが大体何を言ったのかなんて覚えていない。おそらく色んな方に色んな反感を買われている事だろう。私自身は売っているつもりも店を開いているつもりでもないのだが、緊張により口がリニアモーターカーになってしまう。本当に宜しくない。

私のように苦手な人も多いであろうコミュニケーション。これは非常に大切な事だ。人に何かを伝えたい時はしっかりと口にしなければならないのである。我々の視界には地の文や括弧のついた字幕なんてものは見えない。言いたいことがあれば言い、聞きたいことがあれば聞くのが大切である。
そうは言っても人間には感情というものがあって、聞かれたくない事を聞かれたり言いたくない事を言うのは多大なストレスや恐怖を感じてしまうだろう。
しかし、言わなければ何もわからないのである。察してくれなんてそんなことは言葉の怠慢であり、人間関係の放棄だ。
だから、告白しようとした時にそんな空気を察知してそれとなくそういった話題を避け、なあなあにするのはやめるのだ。告白をしようと思ってできなかった後の処理に困る恋心は、やがて変質し執着や恨みなどの歪んだものになってしまうのである。
そしてフラれる方よ、ふる方も辛いのだ。人の好意を無下にする事が辛いのではない、後処理だ。中途半端に関わりがある状態で玉砕された日には今後の関わり方や、アイツ○○の事振ったんだってヨ、というような噂が蔓延し、優しくするのも違うが冷たくすると嫌な奴みたいに思われるしナ、といった打算で友達のような体裁を整えてくれているだけである。
何回も告白すれば希望が叶うなんて思わない事だ。確かに結ばれる事もあるだろう、しかし基本的には無理である。諦めろ。そして小粋な会話術を学んでみたり、清潔感溢れるよう身だしなみに気を使い、さり気ない気配りや優しさを身につければ分相応な人と結ばれることもあるかもしれない。それでも無理ならもう一人で生きていく覚悟を決めるのだ。私はもう決めた。

諦めない美徳というものも確かに存在するが、そんなのはもうダメで元々である。勝手に一人で相手の言動に一喜一憂しながら右往左往していればいいのだ。極力相手に迷惑をかけない事が第一条件である。早くこの第一条件をクリアしたい。

双方にプラスの感情が生まれるコミュニケーションというのは非常に稀なものであり、そういった関係があるのならばおそらく人生の中でとても大事にしていかなければならないものだ。
言葉は人を傷つけ、時には命を奪う。使えば摩耗し消滅していく。生ものでありまた質量を持たない武器なのだ。
無自覚に毎日使っているものであるが、そういった性質を持つことを自覚し大切に扱っていかなければならない。
なぜならば、言葉というのは互いに傷つけあってしまうものであるが、好意や救いなども確かに得られるものでもあるからだ。

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