私はポガティブな人間だ。
自分ではポジティブなのかネガティブなのか、おそらく中間だろうからポガティブ。安直な発想だ。
自己紹介と文章を作る練習として作成した。
見る人によってはどっちかに捉えられると思うかもしれない。良かったらネガティブなのかポジティブなのか回答をいただきたい。
まず私は自分も含めて人間が嫌いだ。(いきなりネガティブ…)
前置きは長くなるが理由を話そう。
親が生きていた時に、新興宗教を信じさせられてた私はそれはそれは清い心で(今となっては作っていたんだと思える)人に接していた。
小学生の頃には公園のゴミ拾いを進んで一人でやってたほどだ。
宗教の名前はださないが安心して欲しい。あなたが心配するような危ない団体ではなく比較的無害な宗教団体だ。(危ない薬物なんて撒かないよ)
よくある押し売りするようなところでもないから安心して欲しい。
毎日親にほぼ強制で神棚に手をあわせて自分を見つめ相手がされて傷つくことはしないなど精神的教育を受けてマザコン気味の私は素直に受け入れていた。
ものすごく田舎だったこともあって自然に囲まれて素直に育った小学生の頃は同級生も素直な子ばかりでよかったが中学生に上がって学校の規模が大きくなると、喧嘩大好き支配欲丸出しの同級生と同じクラスに。
こんな血も涙もないクズがこの世にいるなんて…清らかな私は新興宗教の清らかな教えから争うことを禁じられていたため、本来ならぶつかって何らかの形で昇華させるべきだと思うのだが、もやもやしたストレスを祈願で無理やり押さえ込んでいた。(我ながら大したものだ)
こんな時に、私の精神的支柱(チンピラ的にいうとバックですな)の父親が脳溢血でこの世からバイバイした。
父親は亭主関白で、優しいところもあったが殴られることもあり怖かったのと、やはりマザコン気質が強かった私は父親が亡くなった時そこまでショックはなかった。
むしろ、せいせいしたところもあった。
ただ、精神的支柱が無くなったという喪失感はでかく、まずその頃から男らしさが無くなっていったように思う。
片親→不幸な男 というレッテルを自分に貼って、不吉なヤツという思いもあったし部活をやってたがそこでイジメ?らしきものにも遭遇してさらにネガティブに。
(今思えば虐められる自分の態度にも問題あったと思う)
小学生の頃は前向きで明るい性格だったと思うが、中学で父ちゃん死亡のイベント。さらに高校1年の夏頃に母親が後を追うように亡くなる。
理由はたくさん考えられるが、うちは貧乏で父親が亡くなる前から家計は火の車だったようで。それにうちは3人兄弟。3人ともとりあえず高校に生かせるためにも母さんは昼はデパートでレジ打ち、自宅で家事。家にいる時は姑とのバトル。兄弟3人の学校行事の参加。
今考えると相当なものだったと思う。よく頑張ったよ母さん。あなたは。
家に帰るといつも泣いてた記憶があるくらい。父親が亡くなったことが大きな傷になってたんだと思う。その頃、私はその母を慰めるのが日課になっていた。
ここで考えてみて欲しい。
こんなに立て続けに不幸が起きたら誰だって呪われてるんじゃないかって思わないか?
ここでネガティブの基盤と、ただ反対に後に繋がるポジティブの基盤も出来上がった。
これ以上の不幸はなかったから。
高校は一般的に同級生が考えないような「死とは何なのか」なんて哲学的なことを考えたり、そもそも生きるって何なのかとか。友達ができても「俺の気持ちは一生わからないだろうな」くらいに死が日常に普通に転がってることと周りの人間との価値観の違いや日々の生活に対する満足感の差を感じていて、学校で取っ組み合いの喧嘩してるやつを見てると「いつか死ぬのにくだらねぇ」なんて変な悟りの粋に達していた。
もしかしたら生きる理由は母親の為(結局マザコンだったみたい)ってのがあったせいなのか何に対してもやる気が起きなくて、本当にどうでもよかった。
就職に対してもそうで、普通の生活ができれば…と思いつつ、ネガティブは変わらなかったし、その時もバック(父親)がいないこともあってより一層新興宗教を頼って行った。
ぶつかって(喧嘩して)初めて相手の気持ちがわかる大事な時期に、すべてそれを避けて相手の気持ちを本当に知ろうともせず、自分が作り上げた良き対応(良いと思う人間関係の作り方)を神様の考えだと信じ込んで過ごすようになった。
この後 高校を卒業して自衛隊に入る。
ファッションが好きで、絵も得意だったからアパレルデザインの専門学校に興味があったが家に金がなかったのだ。
金がないなら自分で貯めるしかない。そこで自衛隊なら衣食住付きで給料は丸々もらえる。(寮があるから居住費も必要ない)
そこを狙った。
ポジティブはそこで作り上げられた。馬鹿みたいに熱い同期、みんな坊主にして同じ釜の飯を食べる。同じ部屋で過ごす。
敵は教官だからお互いに励まし合う。
高校時代にできなかったことが、そこにあった。自衛隊は初め教育隊というところにブチ込まれて、精神的にも体力的にも叩き上げられる。
毎日訓練と座学のあと夕方になると別課と言われる走り込みがある。
高校時代帰宅部で人生を投げ出していた自分にとっては体力的には相当にキツかった。自衛隊は教育隊を修業すると部隊に配属される。その部隊でもいじめられた。
宗教盲信してるような弱々しい考え方の人間は格好の的になる。今となっては考えなくてもわかることだ。
自衛隊は見栄えはいいが、仕事場はカゴの中のニワトリと同じ。お客様向かいの商売ではないから常に日々の業務はマンネリ化。発展性も面白味もないのだ。
ニワトリの習性をご存知だろうか。集団で囲って管理すると必ず一羽がストレスとの吐口になる。
もし死んでしまったら別の1羽が代わりになる。
つけ混みやすい奴がいればそいつは良いターゲットになるわけだ。ただここでターゲットにされたことが良かった。
どんなことをされたのかは、想像にお任せする。
これがきっかけで人間の闇(今思えばいい経験だったと思う)を嫌というほど見せられて、結果的に新興宗教を卒業できたのだ。
なんてことはない。誰でも自分が一番可愛い。
私もそうだ。
いろんな考えの人間がいるから世の中は面白いし、悪い奴がいるから良い奴がいる。
どれだけ誠心誠意を込めて対応しても、顔に泥を塗ってくる人間もいることが非常によくわかった。
人間性悪説がここで私の中に確立した。
よって、ネガティブなのかポジティブなのかわからない。
マイナスな見方は根っこにあるが、前向きだ。性悪である人間に対してどうポジティブに接して行こうか常に考えている。
人は本来、性悪だと思う。ただ余裕がある時はいい顔をする人が多いだけ。
余裕が無くなったり、まあ余裕があっても悪い奴は楽しんで悪いことをするものだ。
そこでどういう対応をするか。
脱線するが、うつ病になる人はいい人すぎるんだと思う。
多分私もうつ病になりかけてたと思うが、最後に自衛隊をやめると決めた時「あいつは一発殴って辞めてやろう」と決めて(今のご時世そんなことできないだろうが)行動に出てみた。※マネするのはお勧めしない※
大騒ぎになり、結局周りに押さえつけられて未遂に終わったが。
冷静に考えて、「どうせ最後だし」という考えで、今までおとなしくしてた私が初めて見せた怒りの感情と大胆な行動に周りは萎縮していた。そこから退職するまでは丁重に扱われた。
こうなるなら、今まで我慢するんじゃなかったというくらいにあっけないものだった。
殴る事はないが、怒るべき時に怒りを表現することは大事なのだ。
結論として何が言いたかったかというと、「そういうのが根っこにある人間だよ」ということ。
自分を説明するにはまだまだ足りないが
ひとまず若い時の私の記憶。
長くなってしまった。