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ジャズで、英語で、国際交流、ニューオリンズ・ラスカルズ のバンジョー 、ボーカル担当 川合純一氏(その4)


はじめに

(その1)(その2)(その3)に続くニューオリンズ・ラスカルズ、バンジョー、ボーカルの川合純一氏のインタビュー最終回です。2009年インタビュー時そのままお届けします。


ジャズで国際交流、アメリカ、スイス、スエーデン、ノルウエー、ベルギー、オランダなどなど多くの国で演奏

鈴木: ラスカルズのすごいところは、世界中に心を共にするグループがあり、そ の方たちとずっと交流が続いているということです。どのように出会われ たのですか。

川合: それはもちろんニューオリンズで。ニューオリンズに行くと、世界中から 同じ様な人が集まって来るんです。ジャズのメッカですからね。そこに集 まる人たちはものすごく似ているし、同じような年齢なので、少しくらい 英語わからんでも、共通のパワーであるジャズで友達になりました。40 何年間ずっと友達。そういう人たちが、それぞれの国でそこそこのミュー ジシャンになっても、今も同じ気持ちで付き合うてる。

鈴木: ヨーロッパのジャズ界はかなり盛大だと聞いていますが。

川合: 僕たちも時々招待されてね、スイスとかノルウェー、スウェーデン、ベル ギー、オランダも行きました。そういう国ではみんなそこそこになってい たり、プロデューサーになっていたりしてるから、顔が利く。僕たちも日 本でそこそこではないですけれどね、神戶に呼んだりして交流しています ね。

鈴木: 例えばドイツ人と日本人が、ジャズについて話すときは英語で話すわけで すよね。

川合: 僕らの音楽の場合は英語がしゃべれないとダメ。あのフランス人でも英語 をしゃべりますよ。同じテーマで、同じ感じ方をしますから、みな英語で しゃべります。でも演奏は言葉が要りませんからね、“ジャズターナショ ナル”! (jazz+international =jazz-ternational) 僕たちは楽器がありますから、音楽で通じます。

鈴木: ロシアはどうですか。

川合: ロシアにはジャズはあまりないですね。ハンガリーとかノルウェーとかではありますけれど。オーストラリアでも盛んです。

鈴木: やはり共産圏はあまりないのですね。

川合: やっぱりジャズというのは一つの文化、アートですから。僕たちはジャズ を一つの絵と思っているんですよ。僕たちはこのような絵を描いていて、 同じような絵を描くという意味では、スイングやモダンもひとつの絵です ね。色んな絵があるけれど、同じ絵を描く人たちが同じところに集まっ て、その技術を楽しむというような感じです。この間もラスカルズ結成 40周年のときに、25名の外国人が集まりました。


(1966年、カリフォルニアのニューオリンズ・ジャズ・クラブにて 提供 川合氏)

口羽: あとはボブ・グリーンというコラムニストがラスカルズが好きで、ここに もよく来ます。彼はケネディの演説の下書きを書いていた人ですけれど、 ニューヨークに居てるから、ラスカルズがニューヨークに来たら家に来い って言ってくれる。それとね、ラスカルズはほとんど譜面がないんです ね。川合さんは譜面が読めないから、どこに行ってもできる。本物のミュ ージシャンたちがどういう風に演奏したってことを彼はわかっているか ら、ベタですけど、メチャクチャ上手い。誰もできない世界ですもん。

鈴木: すごいですよね、とにかくレパートリーが広い。どんな曲でも演奏してく れる。譜面無しですか、曲が頭に入っているんでしょうね。

アメリカのウエストコーストのジャズフェスでトリを

口羽: 2、3年前にあったアメリカのウェストコーストのジャズ・フェスティバ ルで、トリがラスカルズだったんですよ。アメリカのフェスティバルで、 トリがラスカルズですよ。お客がすごく集まったらしいんですけど、最後 のステージに出たラスカルズは、始まった日からそれまでに他のバンドが やった曲と、1曲も同じ曲をやらなかったって言うんですよ。百何十曲も あったのに、同じ曲をやらない。そして譜面は読めない。今も川合純一さ んが用意するのはコード表だけです。コード表もほとんど見ないですけど ね。面白いもんでね、間違うてても、平気でやっているんですよ。「あ れ?」と思うんやけども、全体的に見るとなんともなってない。それがラ スカルズの魅力です。

鈴木: 今でも毎年そういう世界中のジャズメンが集まる交流があるんですか。

ラスカルズのメンバーの殆どは川合氏も含めて会社の社長、ジョージ・ルイスも昼間は仕事


口羽: そうですね、それに近い交流はあるのかな。ただラスカルズはほとんどの人が、川合純一も一会社の社⻑ですし、自分たちのペースに合わせてね。

鈴木: ジョージ・ルイスなども昼間は他の仕事をしながら音楽をやっていました ね。

川合: 基本的にニューオリンズ・ミュージシャンはプロフェッショナルだったん ですけれど、それだけではやっぱり収入がないから生活できなくて、左官 屋とか港での荷揚げ作業とかそういう仕事をやっていたんです。ほとんど ミュージシャンは、昼は音楽ではないことをして、夜からバンドを楽しん でいるということでね。

鈴木: その日の鬱憤をはらしたり。

川合: 鬱憤というよりは、単純に音楽が好きだったからでしょうね。例えばル イ・アームストロングを見て、自分もあんなふうにお金持ちになりたい と、そりゃあみんな思いますよ。でも音楽ではルイと同じくらい素晴らし いものをやっています。お金が欲しい、お金持ちになりたいって言うのは そうだけれども、もちろんそれでお金をもらっていますけれども、お金の ためにジャズをやってない。それがニューオリンズ・ジャズなんです。

鈴木: だから心に響くのですね。

ニューオリンズ・ジャズを残していくこと


鈴木: ところで2005年にニューオリンズ市がハリケーン・カトリーナに襲われ て、今はどのようになっているのでしょうか。

川合: あれで創成期のニューオリンズ・ミュージシャンはみな亡くなりました。 次のジェネレーションの人たちはいますけれど、どうしても違うスタイル になっています。それは仕方がない。カトリーナで街がめちゃくちゃにな りましたけれど、プリザベーション・ホールの辺りは少し高台になってい るんですよね。水が来てもすぐ引いたから、建物は残っています。だけど もあのダメージで観光客は20%程度減ったそうです。今でも落ちていま すね。今じゃ日本の旅行会社でニューオリンズ・ツアーなんてないんちゃ うかな。街は残っていますけれど、カトリーナ前のようなああいう雰囲気 はないですよ。それは残念ですね。


(ラスカルズ プリザベーション・ホールのエントランスで 提供 川合氏)

鈴木: プリザベーション・ホールは残っているのですね。

川合: はい、あります。ただ建物は残っていますけれども、活気がまずない。ハ リケーンは毎年来ているんだけど、あの時のは人災といわれているんです よね。国が防波堤を作らないといけなかったのに、貧⺠街を取りのぞくた めにこうしたのではないかとかね。でも悲観視ですかね、僕はまず復興は 出来ないと思っています。ミュージックがないんだから。若い人で復興し ても、昔のニューオリンズではなくて、また違う形のニューオリンズがで きるかも知れんけどね。

鈴木: 日本も含め各国は、それぞれの主流文化を残そうという動きはあるでしょ うが、黑人文化はアメリカではどうしてもサブカルチャーとして扱われて います。でも基本的には世界の若者の音楽文化は、よくよく調べてみると 結局はブルースとかニューオリンズに戻るわけですし、ぜひ何とか形とし て残してもらいたいなと思うのですが。

川合: ジャズ・アーカイブは、スウェーデンとかドイツでファンがやっていて、 ちょこちょこあるんです。もちろんニューオリンズでもジャズ・アーカイ ブを残そうということになって、全部デジタル化してちゃんと残そうと一 応資料はあります。ただ問題はそれを見る人がどれだけいるかです。ブル ースは今でも大勢ファンがいますね。でも僕たちのジャズは、ほとんど僕 たちの年代の人たちに限ります。だからどんなにこの音楽が素晴らしいか ということを、若い人たちにも伝えていかにゃあかん。今若い人たちもブ ラスバンドでどんどんジャズをするでしょう。でも問題は、その指導をし てる人が見る譜面がみんなモダンなんですよ。昔のディキシーランド・ジ ャズとかはそんな譜面見ないけど、スイングジャズ、それも今のスイング じゃなくて、1930、40年代の本場のダンスの時の譜面を出したらいい。 その譜面を完成してやったらどれだけ音が違うものなのか、やっぱりそれ なりに変わってるということはあると思うんですよね。今の若い人たちは 楽器を触るのが大好きです。ブラスバンドとかとにかくすごいし、皆上手 いの!あとはどういう風に引っ張っていくかって事だよね。全員でなくて もいいですよ、その中でジャズが好きな人をピックアップしてね。ただそ こまで手をかける人がどれだけいるか。それをしなくちゃだめなんです。

鈴木: そういうのは皆さんおやりにはならないんですか?

川合: 仕事の方が手一杯で、もう歳いってるし、あと頼むって(笑)。いや、僕 は興味を持っていますよ。古いディキシーバンドの古い譜面がありますか ら、それをお金出して買うんです。後からみんなで割ればいいんですか ら。

鈴木: LAのディズニーランドにも確かFirehouse Five Plus Twoというジャズ バンドがいましたよね。ああいうのを子どもたちは聞いていながら、それ がディキシーランドかどうかというのがわからないのでしょう。アメリカ には少し形を変えて残っている。でも、元を知らないということでは、ち ょっと悲しくなりますが。

川合: そうそう。やっぱり伝え方、そういうことですよね。それとそれに対して 価値を認めなければ。やっぱり一つの芸術ですから。たまたま僕たちはこ の音楽をやっていますから、それをそれなりに残していかないけない、そ ういうことを考えていますよ。一人でも多くの人が音楽を好きであればい いなと。ホンマにいいものを聴いたら、なんでも人間通じちゃうんです よ。美味しいものは美味しいですよ。だから値段を安くして美味しいもの をたくさん提供する。ニューサントリー5だと敷居が高いとか、怖くて入 れないとかあるんで、フリーコンサートが一番ええですよ。小学校とか中 学校でのコンサートとか。そういった機会をどんどん促進していくのも一 つの方法でしょうね。今ラジオをかけてもなかなかかかんないから。

鈴木: やっぱりアメリカでもこれらを残す努力をしないとね。自分たちのルーツ なんですから。多分大方の人たちがある時点で忘れてしまった音楽を、日 本で大阪のジャズ・ミュージッシャンの皆さんが演奏をしているって、こ れは彼らにとっても非常に貴重なことだと思います。

川合: いやあ、そんなこと言ってもらって本当にありがとうございます。僕たち このニューオリンズ・ジャズをやって幸せですけれど、なんで日本人の僕 たちが50年近くこの音楽をやっているのかということは、これはもう言 葉では説明できない。ニューオリンズで出会った友達がいて、ニューオリ ンズで感じたこれがニューオリンズという音楽だと。そういうことです ね。

鈴木: 今日は音楽的にも英語的にもこれだけ本質をつくお話をきけて、とても貴 重な機会でした。どうもありがとうございました。


(川合氏と鈴木)

鈴木の感想

ニューオリンズ・ジャズを語る川合さんの目は終始輝いておりました。 「でも演奏は言葉が要りませんからね、“ジャズターナショナル”! 僕 たちは楽器がありますから、音楽で通じます。」川合さんのこのことば がとても印象的でした。楽器を奏でることにより曲を通して、頭に浮か ぶ考えや感情を伝え合う、コミュニケーションがことばだけではないこ とを教えてくれます。ニューオリンズ・ジャズが結ぶグローバル・ネットワークがあり、ラスカルズを筆頭に大阪や神戶のミュージッシャンが その中で大活躍をしています。ジョージ・ルイスが1960年代に厚生年金 ホールで演奏しましたが、その厚生年金ホールも幕を閉じます。若かり し日の川合さんたちも観衆の中にいたことでしょう。本国であのように 音響効果の優れたホールで演奏した経験がないジョージ・ルイスの一行 は感激したようです。あれから50年余、ルイスの伝統を守り磨き続けた ラスカルズに敬意を払います。さて、最近日本でもゴスペルが浸透して きました。ゴスペルの語源は古代英語のgodspel、現代英語にすると good spellすなわち「福音」を意味します。ジョージ・ルイスやルイ・ アームストロングの同じ世代のゴスペル・シンガーにマヘリア・ジャク ソンがいました。ゴスペルと同様に、実は、ジャズも神への祈りから始 まりました。そのことは多くのジャズの楽曲からも窺えます。ラスカル ズも時には教会でも演奏します、ジャズの原点に戻れます。ぜひライブ を聞いてみてください。

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