腰痛・ヘルニア体験談【第1話】その日は突然やってきた
ぎっくり腰
その日は突然やってきた。あれは32歳の夏だった。
休みだったその日、私はパソコンで調べ物をしようと何気なくいつものように椅子に座った。
その瞬間だった。
”ピキッ”という鈍い感覚が腰に走った。
すぐに違和感に気づいたが、特に痛みはなかったので私はそのまま作業を続けた。
それは10分ほど経った頃だった。
腰の様子がどうもおかしい。
なんとなくだが、少し痛みも出てきた感じがする。
私はパソコンの作業をやめると、ベッドで横になることにした。
”少し休んだら治るだろう”
そう思ったのだ。
前日あまり寝ていなかったこともあり、横になるとすぐに寝入った。
30分位経った頃だろうか、私は自然に目を覚ました。
”またテーブルに戻って作業を続けよう”
そう思って立とうとした瞬間だった。
”えっ!?”
腰に激痛が走り、立ち上がることができなかった。
すぐにぎっくり腰だと分かった。
実は7年前に1度ぎっくり腰になったことがあったからだ。
一瞬にしてその時の恐怖が蘇った。
激痛でトイレに行くこともできず、ずっと横になっていたことを。
確かあの時は2〜3日したら治ったはずだ。
激痛の中、そこだけは冷静に考えられたのを覚えている。
当時、私は一人暮らし。腰の痛みで動くことと眠ることができなかったのでその日は真っ暗闇の中、ただ天井を見て一晩を明かした。
助けを呼ぶ
異変に気付き始めたのは翌日の夕方だった。
痛みが全く取れないのだ。
当然、激痛で睡眠も取れなし、ご飯も取れない。
”このままだとやばい”
そう本能的に思った私は、助けを呼ぶことにした。
助けの先は近くに住む家族。
もしもの時のために家のスペアキーを渡していたのだ。
携帯電話が置いてある3m先のテーブルまで這いつくばって1時間ほどかけて移動し、やっとの事で実家へ電話した。
電話に出たのは、たまたま里帰りしていた姉だった。
状況を説明すると姉と母がポカリスエットや流動食などを袋いっぱいに買って持ってきてくれた。
久しぶりの飲食。
この時は喉が渇いたと言う感覚はなく、栄養を取らなければと言う本能的な行動だった気がする。
その後、姉は帰って母がしばらくの間、家に残り看病をしてくれることになった。
私も母も、あと1,2日したら治るだろうと思っていた。
その時、まさかあのようなことになるとは思わずに。
おしっこが出ない
それはぎっくり腰を発症して2日目の夜だった。
実はあることを私はずっと我慢していた。
それは、おしっこだ。
ずっと尿意があったものの、予想以上の激痛でトイレに行けないでいた。
しかし、もう限界だ。
通常だと5秒ほどで行けるトイレまで母の力も借り、30分くらいして辿り着いた。
便座に腰掛けるのもままならない状態だった。
ここで人生初めての経験をすることになる。
それはなんとも不思議な感覚だった。
かなりの尿意があるのに、おしっこが出ないのだ。
1分、2分と時間は経過する。
次第に焦りが出てきて変な汗を掻く。
夏なのでトイレ内はかなり暑い。
”今は出ないようだ。また後でにしよう”
そう思い、来た通路を帰ろうとした瞬間だった。
”ズトン”
私は気を失って廊下に倒れてしまった。
ぎっくり腰だったので相当の痛みがあったはずだ。
しかし、意識がなかったのでその衝撃に気付く余裕さえなかった。
次に目を開けた瞬間、そこにあったのは心配する母の姿。
「救急車を呼ぼう」
母は私に向かって何度もそう語りかけていた。
普段、あまりことを大事にしたくない私はそのような案は受け入れないタイプだ。
だが、その時の私は、全身の力を振り絞って首を縦に振っていた。
即座に119を押す母。
15分程して救急車の音が遠くからだんだん近くにやってくる。
それは私にとって人生初の救急車だった。
腰痛体験談の続きはこちらです↓
【腰痛体験談】椎間板ヘルニアを手術せずに治した話
是非、ご覧ください。
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