見出し画像

モザイクの都市バルセロナ

今回、初の海外一人旅で行った先はバルセロナ。人生初のヨーロッパ。
行く前には知らなかった多くのことを学び、日本では味わえない体験もして、バルセロナという街の深さ楽しさにすっかり魅了されて帰ってきた。

神戸に似ている?

バルセロナは僕が住む神戸市の姉妹都市。
街が一望できるモンジュイックの高台から最初に見たバルセロナの第一印象は「神戸に似ている」だった。

画像1

高台に囲まれたエリアに市街地があり、海に面していて大きな港があるその眺めは、六甲山系の高台から見下ろす神戸の街並みと共通点がある。

でも、有名なサグラダ・ファミリアをはじめとするガウディが残した数々の建築を見て、中世そのままの街並みのゴシック地区を歩き、夏には世界中からリゾート客が集まるビーチエリアやFCバルセロナの本拠地カンプ・ノウを訪れ、バルセロナ市民の暮らしを眺め、そして少し足を伸ばしてカタルーニャの聖地であるモンサラットまで訪問して理解できてきたのは、モザイクの街バルセロナの独自性だ。

画像3

モザイクはガウディ建築の中で重要な意味を持っているが、ガウディ建築に限らずバルセロナ市内のあらゆるところにモザイクのデザインが使われている。

画像2

様々な要素が深みを持ってモザイクのように混ざり合っている都市バルセロナ。街中に溢れるモザイクのデザインは、まさにバルセロナのあり方を象徴している。

カタルーニャ独立問題

バルセロナを語るにあたっては、まずその歴史と、カタルーニャ人の特性について踏まえておかねばならない。

(1)ローマ時代まで遡る歴史

バルセロナの起源はローマ時代まで遡り、少なくとも2000年以上の歴史がある。バルセロナの旧市街地と呼ばれるエリアには、中世に迷い込んだかのような街並みの中にローマ時代から残る城壁が現在も点在して残っている。歴史好きにはたまらない史跡だ。

画像4

12世紀のころには地中海一円に多大な影響力を持つ都市でもあった。
しかしながら、15世紀にマドリードを含むカスティーリャ王国と統一王朝が形成されてから、スペインの中心はマドリードに移り苦難の歴史が始まる。特に、20世紀に入ってからのスペイン内戦の結果誕生したフランコ独裁政権により1970年まで自分たちの言葉であるカタルーニャ語を話すことを禁じられるという時代があった。半世紀ほど前のそう遠くない過去のことである。
現在では、バルセロナの人たちはスペイン語に加えてカタルーニャ語を使い、いつかはスペインから独立したいという気持ちを秘めてスペイン国民として暮らしている。

(2)カタルーニャ人は闘牛もフラメンコも興味がない

スペインといえば思い浮かべる闘牛やフラメンコ。実は、どちらもバルセロナに元々縁のなかったもの。
1900年に造られた闘牛場だが、今ではその闘牛場の外壁だけを利用して内部はおしゃれなデパートとして使われていたりする。屋上はバルセロナ市街が見渡せる気持ちの良い場所だ。日本食を始め良い感じのレストランもある。

画像5

画像8

フラメンコも観光客向けのショーはやっているが、カタルーニャ人のガイドさん曰く「地元の人たちは興味もなく、踊らないし見ない」とのことだった。(でもバルセロナのフラメンコショーのレベルは高いらしい)

(3)街中に溢れるカタルーニャ語と旗、そして特別なチームFCバルセロナ

街中のサインの多くは実はカタルーニャ語。そもそもスペイン語がわからないので、カタルーニャ語とスペイン語の違いもわからないのだが、スペイン語の表示と思って見ていると何を書いているのかわからない場合が多々あるらしい。
カタルーニャ語はイタリア語に近く、文化的にも他のスペインの地域よりもフランスなどに近いものがあるということだ。
カタルーニャ人は誇り高き民族。フランコ政権時の抑圧の記憶もあって、今はカタルーニャ語は必ず学校で習う。基本的にスペイン語と英語も話せるトリリンガルで、加えてイタリア語やフランス語などの合わせて4つの言葉を話せる人が多いようだ。
また、バルセロナの街を歩いていると、赤と黄色のボーダーが印象的なカタルーニャの旗を掲げている家が多いのに気づく。(スペイン国旗は一つも見かけなかった)
かつてのフランコ時代にはカタルーニャの旗すら掲げることが許されなかった。その時、カタルーニャの解放を願う人々が掲げていたのがFCバルセロナの旗。また、FCバルセロナの本拠地であるカンプ・ノウでは禁止されていたカタルーニャ語が認められていたということもあり、FCバルセロナはカタルーニャの人たちにとって単なる特別なチームという以上の存在だ。

画像6

だから、マドリードを本拠地とするレアル・マドリードとのクラシコと呼ばれる試合は大変なことになる。ここのところの独立運動の盛り上がりを受けて、クラシコの試合日程が変更されたというのも最近のトピックだ。

画像7

(4)現在の状況

ニュースで見るとカタルーニャ独立問題でバルセロナは騒然としているように感じるが、激しい運動をしているのは一部の人であり、街は基本的に平穏だ。今回の騒ぎのきっかけは、2年前にカタルーニャ独立の国民投票を実施した当時のカタルーニャ州政府の幹部が裁判の結果10年前後の禁固刑という重刑が言い渡されたことだ。
カタルーニャ州の人々の多くは、根っこの部分では独立の思いを抱きながら、経済力もある世界的な観光都市バルセロナを失ったらスペインという国は立ち行かなくなるということを理解しており、現実問題としては独立は難しいということをなんとか心の中で折り合いをつけながら生きているように感じた。  
一方で、実際に独立はしないまでも「独立の意思」を示す国民投票の実施自体は問題ないのではないかと多くの人が思っており、それを実施したというだけで10年前後という重い量刑は理不尽だと感じていることから今回の騒ぎにつながっている。スペイン政府は難しいかじ取りを強いられているのが現状だ。

余談だが、日本からバルセロナに行こうとした時に直行便がない。日本人にも人気の都市だというのに不思議に思う人も多いことだろう。
その理由として、バルセロナに直行便を飛ばすためにはまずマドリードへの直行便を飛ばすことが条件とされており、それがハードルになっているという話を聞いた。スペインで一番人気の都市はバルセロナ。マドリードとバルセロナの関係は単純ではない

画像9

人間が主役の社会

バルセロナで感じたことは、一人一人の人間が主役の生き方をしているということ。
スーパーはあるが日本のようなコンビニはない。そこら中にあるのはカフェやバル。日本だと特別な感じのするオープンカフェがない歩道を見つけるのが難しいくらいで、多くの人が歩道に設置されたお洒落なテントの中にあるテーブルを囲んで楽しそうに食事し、飲んで話をしている。
テイクアウトもできるので、コーヒーやパンなどもそこで買う。安いし美味しい。

画像15

注文するにしても、そのような店では必ずコミュニケーションが必要になる。人間らしい生活をしていると感じた一番の要因は、きっとコミュニケーションをとっている人の多さだろう。人々は実に楽しそうに話をしている

画像16

お店の店員さんもそうだし、タクシーの運転手も、空港での出入国の手続きに携わる人でさえ、フレンドリーで気さく。女性が元気に楽しそうに仕事している場面が多いように感じるのも日本と違う部分かもしれない。

未来志向の街

バルセロナは長い歴史を持ち、旧市街地では中世の街並みそのものの中で人々は暮らしている。

画像14

一方で、かつてはその城壁に囲まれた旧市街地の中に収まっていた街も、発展とともに城壁を撤去して街を拡張させてきた。
バルセロナは街の大改造も継続的に行ってきた未来志向の街でもある。
大きな契機としては、過去に2回開催された万博(最初の万博の際にパリにあるエッフェル塔がバルセロナに建設される予定だった)や、約30年前のバルセロナオリンピックがあった。その都度、大きく街のインフラを整え街の改造に取り組むことで街を発展させてきた。

画像18

行政もまたスマートシティの取り組みに積極的で、先端のIT技術を生かしたまちづくりを進めており、そういう背景もあってかグーグルなどの最先端の企業も拠点を置いている。バルセロナに滞在している期間にスマートシティEXPOが開催されており立ち寄ってきたが、世界中から最先端の企業や自治体がきて様々な取り組みのプレゼンや情報交換を行なっていた。(毎年開催されている)

画像17

19世紀の終わりから20世紀にかけて地域の有力者の支援を受けたガウディの建築の数々も街に大きな変化をもたらせたものだろう。今やガウディの建築が世界遺産となり、バルセロナの代名詞にもなっている。

ガウディはバルセロナの結晶

世界遺産にも指定され、今も建設工事が続くサグラダ・ファミリア(2026年完成予定)は誰もが知っているガウディの代表作だ。

画像27

他にもグエル公園の世界一長いベンチや、バルセロナ市街地にあるカサ・ミラなどの写真は見たことがある方も多いことだろう。

画像26

バルセロナ市内には、それらの建築物を始め、歩道のタイルやベンチのデザインまで、いたるところにガウディの息吹を感じられるものが点在している。
ガウディの建築の特徴は、全ての建築デザインの背景には物語が設定されていて、直線は少なく曲線中心に空間は構成されており、いたるところにモザイクが散りばめられていることだ。
どれも個性的なデザインとなっているが、それらのデザインが「バルセロナという街の結晶」なんだということだということをこの街で感じた。

画像30

様々な背景が混ざり合い、人々は自分が主人公として伸びやかに生きることができるモザイクの街バルセロナ。ものさしが一つではない人間中心の街。そもそも直線でないものはものさしでは測れない。ローマ時代まで遡るその歴史の積み重ねが街に様々な彩りを加えてきたが、その歩みは一直線ではなく深みがある。そこに溢れるのは本当の豊かな生活。その「豊かさ」とは、数字で説明できるものではなく、実際にその空気に触れてないと感覚的に理解することが不可能なもの。

画像36

ガウディがあれだけの建築物をたくさん残せたのは当時のバルセロナの有力者たち(市長や富豪など)が徹底的にガウディを支援したからだ。当時の有力者たちがガウディをそこまで応援していた理由は、ガウディのデザインが「バルセロナそのもの」だということを見抜いていたからなんだろう。
その時代の才能が思う存分力を発揮するには、その才能を認める支援者の存在が不可欠であり、時代の巡り合わせによってバルセロナの街にガウディの理想が詰まった建築群が残されたことは、世界にとっても本当に幸せなことだったと思う。

画像29

やっかいなスリもモザイクを構成するもの

世界的な観光地でもあるバルセロナにはスリや窃盗が多いというイメージを持つ人もいるかもしれない。

画像27

実際、サグラダ・ファミリアやグエル公園、カテドラル、サン・ジョセップ市場のように観光客で溢れる場所には必ずスリがいる

画像34

でも注意して備えればスリは怖くない。何も備えをしていない「ボーッとしている人」がスリの被害にあうとのことだ。
スリの大半がバルセロナ以外からやってきた移民。
生粋のバルセロナの人たちはスリのことを当然快くは思っていないけど、完全に排除しようともしていないようにも感じる。そこはモザイクの街らしい懐の深さだと思う。変な言い方だけど、スリにはスリの生き方があって、その被害にあわないでおこうとすればちゃんと備えればいいだけの話でしょ、と。

画像31

実は、最終日前日の夜遅く、サグラダ・ファミリアのライトアップを見に行ったところ、窃盗の被害にあいかけた。
手口は、観光客の頭などにケチャップなどをかけて、観光客が困っているところに「これで拭きなよ」と親切そうにティッシュを渡し、油断して拭いている時に荷物などを持ち去るというものだ。
僕は、ライトアップされたサグラダ・ファミリアの引きの写真が撮りたくて、(一応周りを確認した上で)人気の少ない公園の中から建物を見上げて写真を撮っていた所に頭に水がかかったような気がして触ると黄色い液体(マスタードだった)がついていて、それを通りがかった人がこっちにテッシュがあるよと車の方に誘導しようとしたので、自分のハンカチで頭を拭いて立ちさり、事なき?を得たというものだ。
この件は、夜遅くに有名な観光地周辺の暗がりに一人で不用意に入った自分が悪かっただけの話だ。マスタードをかけた怪しげな男には特に怒りは感じていない。

画像28

スリについてもう少し話をすると、スリが狙っているのは「現金」のみだ。
観光客としてはパスポートやクレジットカードが取られたら困るわけだが、スリの方もそんな「大物」を取って犯罪のレベルが大きくなることは避けたいと思っていて、財布などを盗んで現金を抜いたらパスポートやクレジットカードが入っていてもそのままポイっとするらしい。
パスポートやクレジットカードを盗んだ方も盗まれた方も困るという不思議な話に、なんとなく微笑ましさを感じてしまうのは、感性が少しバルセロナイズされたからかもしれない。

観光地でも休みの日は休み

世界的な観光地のバルセロナだが、日曜日には主要な店の多くが休みだ。多くの観光客が利用するカタルーニャ広場横にある大きな百貨店エル・コルテ・イングレスですら。(日本のデパ地下的に食材が揃ってとても便利)

画像10

大観光地だけど、日曜日は休む。そこは人間の暮らしを中心に考えるバルセロナの街の性格を知れば観光に来る側が受け入れるべきことだ。
でも、なんでも揃うエル・コルテ・イングレスを当てにして晩御飯も調達しようなどと考えている者にとっては日曜日は要注意。夕方、ホテルから散歩がてら買い出しに行ってから休みと知り、ちょっとだけ途方にくれた僕のような人間もいるので(笑)

画像11

少し足を伸ばして聖地モンセラット

バルセロナ滞在中には、少し足を伸ばしてカタルーニャの聖地と言われるモンセラットにも行った。
フランコ独裁時代にも、モンセラット修道院でのミサの時にはカタルーニャ語を話すことが許されていた場所。

画像12

地中から生えるような巨大な奇岩に囲まれており、不思議な力を感じる場所だ。有名な少年聖歌隊の歌声には心を洗われた。
ガウディもインスピレーションを得るために足繁く通った場所というのもうなづける。ここに来れば何かを得て帰ることができるだろう。

画像35

画像13

モンセラットに行く途中に立ち寄ったバルセロナ郊外のコロニアル・グエルでは、サグラダ・ファミリアの原型となった教会にも足を運んだ。

画像33

ガウディはこの上にサグラダ・ファミリアのような塔を建設することを計画していたが、依頼主のグエル氏が亡くなり、事情が変わったため地下の礼拝堂のみ完成した状態で残っている教会だ。ガウディらしさを存分に感じられる場所なので、ガウディの足跡を辿りたい方にはおすすめだ。

画像32

バルセロナの中の日本

今回は一人旅。初めてのヨーロッパということもあり、事前に知人から情報収拾をしていた。
その中で、現地に知り合いがいるよということで紹介してもらったのが、日本料理店YASHIMAのオーナー。なんとFCバルセロナのメッシなども常連の名店で、恐縮しながら初日の夜に食事に行ったのだが、今まで食べた中で一番美味しい鉄板焼きをいただけた。

画像22

バルセロナ市内には多数の日本料理店があるが、実はその多くが中国人などが経営する「なんちゃって日本料理店」。その中にあってYASHIMAは本物の日本の味を提供してくれる安心して行けるお店だ。
お店で働いている日本人の従業員の方々も、バルセロナでアートの勉強をしながら料理人をしている男性や、日本の有名大学の理工学部を卒業したもののひとまず海外で生活してみたくてバイトしている女性など、個性的で魅力的な人たちだった。バルセロナを訪れて日本食が恋しくなった時や、素敵な日本人に会いたくなった時、この店を訪問すれば間違いない。
オーナーさんには、3日目の朝ごはんで地元の人が使う美味しいお店を教えてもらった。ビーチ近くの地元の人しか利用しないようなお店での朝食は今回の旅の大きな思い出の一つだ。

画像23

朝食をとったお店の近くは地中海に面したビーチで少し散策をした。本格的なリゾートで、夏には世界中から観光客が来るのも頷ける。ビーチ自体は、バルセロナオリンピックの時に人工的に造成されたものらしい。

画像24

画像25

旅を終えて

今まで海外への旅行は旅行代理店を通じたものだったが、今回は飛行機のチケットから現地のホテル、個人ツアーの申し込みまで全て個人でネット予約して行った。
旅に出る前は色々と不安もあったのだが、行ってしまえばその緊張感すら楽しいというのが旅の醍醐味だと感じた。
また、歴史にはとても興味があるもの、欧州は遠いし行くのがめんどくさいと思っていたのだが、今回利用したエミレーツ航空のエアバスA380の機体はエコノミーでも快適だったし、ドバイでのトランジットで一息つけることもあってあっと言う間についた印象だ。

画像21

何で今まで行かなかったのかというくらい、欧州の国々をたくさん巡りたいと思っている。帰りに飛行機の窓から見えたイタリアの夜景はとても美しく、すぐにまた欧州を旅したいという病を発症してしまった(笑)、今回のバルセロナ行きだった。

画像26

グラシアス、バルセローナ♪ 

サグラダ・ファミリアが完成したら必ずまた訪問します!(それまでに行っている可能性大だけど)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?