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"かわいそう"ってどんな気持ちで言うのだろう


私は、「かわいそう」という言葉が苦手です。



かわいそう……って、何?(何?)


なんというか、「相手側の気持ちになったときにそう感じて言う」場面が多い言葉だとは思うのですが、そもそも当事者はそんな言葉では表されないほどのつらくて苦しい想いをしているかもしれなくて、逆に自分の状況がしんどいとは思っていないかもしれなくて。

"かわいそう" なんてこちら側が決めていいわけじゃないのでは?と思ってしまうのです……


これはもちろん、私個人の意見であるということが大前提なのですが🙇🏼‍♀️


どんな状況や場面であろうと、かわいそうだなんて他人に言われたくはないし、思わせたくないし、自分も誰かに言わないようにしています🙈🙊🙉
というよりも、私の感情の引き出しには"かわいそう"がないかもしれないです。

何かつらかったことととか、しんどかったこととか、ちょっとツイてなかったとか、ちょっと怪我しちゃったとか、そういう話をしたときに「え〜かわいそう〜!」と言われると、ん?ってなります。なりませんか?

私ってかわいそうなの…?って、なります。なりませんか?(2回目)


特に身近でいうと、母がよく口にするんですね。
ニュースとかドッキリ番組とか歌番組でも(なんで?笑)「かわいそう〜!」と、まあまあ大きめの声ですぐに言います。
母の中の「かわいそう」だと思う範囲が広すぎて聞かない日がないくらいなのですが、あまりにも続くと「どうして?どのへんが?」と思わず聞いてしまいます🌀

するとだいたい、説明はできないんですよね。

そんな境遇に生まれてしまったなんてかわいそうやんか」と返されたときは私が心苦しくなって…それ以上は何も聞きませんでした😇


「かわいそう」ってつめたく感じるというか、突き放された気がするというか…「私はそうじゃなくて良かった」「そんなことにならなくて良かった」という意味が含まれていて、まるでこちらが不幸だと決めつけられた気がして、胸の奥がチクッとなります🪡


私が話す側のときは、どんな状況の話であっても「そんなことがあったんだね」と、一先ず受け止めて返して欲しいなと思います。カウンセリングでよく使われる繰り返し、いわゆるオウム返しですが、話す側としてはこれがいちばん安心感があって"気づき"も得られるんですよね。

もちろん、私が話された側になったときは、寄り添うあたたかさが伝わるような、そんなお返事をこれからもしていきたいなと思います🤲🏼🌼




日常の中の"気づき"を、こうやって文字に綴ることで もやもやが晴れていくこの感覚は、大切にしていきたいですね。

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