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「きれいな写真」と言われてショックな私は”きれい”の正体と、何を表現したいのかを改めて見つめたら前向きになれた

「きれいな写真を撮ってもらってうらやましい」

こう声をかけていただいたとき、正直ショックでした。ありがたかったのですが、喜べませんでした。

ほめてくださっていることは十分伝わりますので、そのことに関してはうれしいです。喜べないのは私の解釈の問題です。

スポーツ写真で「きれいな写真」ってどう感じますか?

そもそも何が「きれい」なのか。

・背景がボケている
・色
・ピントがきちんと合っている
・明るさが適正
・画質

おそらくこの辺りの条件がそろっていたら「きれい」なのだと思います。

これらはそれなりの機材を使えば可能です。私は撮る仕事をしてるからもちろんそれなりの機材は使っています。

高い機材を使っているプロが撮ったから「きれい」

わかります。よくわかります。
ですが、感じてほしいのはそこじゃない。

「きれいな写真」と言われてショックだったのは、私の写真の表面的な部分しか見てもらえてないのではないか、というところ。

選手の気持ちも、撮り手の思いも伝わっていない。感じ取ってもらえていない。

野球を真剣に撮って20年。プロカメラマンとして15年。まだまだ力不足なのだと感じました。

「きれい」な条件は機材がよければ揃いますが、それらをコントロールするのは撮り手です。

誰の何を見せたいのか(主役)を常に意識して、主役を引き立てるわき役の存在や背景を選びます。さらには技術的なことでいうとボケや明るさ、コントラストや色温度に至るまで全てを決めているのは私です。

それも撮影時から写真を編集して公開するまで、その時のリアルが色あせないように残すことを考えています。

そう考えてみると「きれいな写真」と言われてショックだった思いも、少し違って捉えることができそうです。

私は選手の表情や、そこに写された一挙手一投足、背景まで全てから彼らの思いや、撮り手である私がその場で感じたことを全て詰め込み表現しようとしています。そこに確かにあった物語の一部を残したい。

そのために写真だけ並べるのではなく、絵解き(写真説明・キャプション)や文を添えています。

写真だけ見て感じるのは難しいと私は思っています。想像するのは面白いけれど、そこに行きつかなければ、どういう場面だったのかわからぬまま。

先程の写真は「久保田選手(写真手前)に勝ち越し3ランを浴び、呆然としゃがみ込む川又投手」という1枚です。あえて絵解きをつけませんでしたが、どのように見えていたのか気になります。

「きれい」「かっこいい」に補足して、見る助けになってくれるのが絵解きであり、写真をよりリアルに感じてもらうために文章は必要と考えます。

最後の打者を打ち取り、優勝を決め喜ぶ高崎市役所の堤投手

(上の写真のように、補足すると情景がわかりやすくなります)

見る人の感じ方は人それぞれ。
写真を見る人の経験、求めているもので感想も変わります。「きれい」の向こう側にある感情までは、残念ながら知ることができません。

機材は撮り手の思いをサポートしてくれる相棒で、決して機材がいいから残せるわけではないのです。

「きれい」も撮り手の意思によって作られる。

いただいた言葉はそう前向きに変換し、これからも精進していきます。

写真を見てくださった方の、もっと奥底の感情に触れられるような1枚を残せるように。

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