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『夜にあやまってくれ』

床に散乱する紙類を整理してると、ある冊子が目に止まった。それは何年か前に葉ね文庫に置いてあったからなんとなく持って帰った(と思う)フリーペーパーのようなもの。パラパラと読んでるとひとつの短歌に目が止まった。

目覚めたら喉が渇いていてだれも魚の頃の話をしない

"まどろみ"というテーマで寄せられた鈴木晴香さんの短歌。この感性そして世界の見方にハッとした。化粧も落とさずコンタクトも外さずソファで寝てしまって、夜中に目が覚めて、喉渇いた…と、まどろみのあの時間。それが私たちがずっとずっと昔、魚だった頃の記憶の欠片だとしたら?逆に、魚だった頃の記憶はもう誰にもないのに、どれだけ進化しても進歩しても人間はいつまでも渇きに敏感で、水を欲しているのだとしたら?そのまどろみは一瞬にして海底の揺らぎとなる。

これをきっかけに鈴木晴香さんに興味が湧いた。そして次の日には彼女の歌集を買っていた。『夜にあやまってくれ』だ。

どちらかというと恋の歌が多いなという印象だった。今回は自己満足で好きな短歌5選に私の経験に沿った解釈と自分語りをする。

まずは、

脇役の多い映画を見た後は悲しみが誰かに似てしまう

わたしは他者の感情に少し敏感で、誰かの悲しみがまるで自分の悲しみのように感じてその感情が液体のように流れ込んで同化する。自分と他者の境界線がすごく曖昧。そして、それは主人公よりも脇役たちの悲しみに同化する。これはきっと私なんだろうなと思いながら、この悲しみは私の悲しみなのかそれとも彼や彼女の悲しみなのかわからなくなる。どうしてスポットライトの当たらない人たちの悲しみはいちばんリアルなのに、いちばん"ない"ことにされてしまうんだろう。

お彼岸の花屋に集う蝶々のどれもこれもが命に見えた

お彼岸に(お彼岸でなくとも)、私の周りをうろちょろする蝶々がいると、だれかな?と心の中で呟いてみる。それは母がお彼岸に蝶々を見ると誰かが帰ってきているといつも言っていたからだ。もしかしたらこの人もお彼岸に帰ってきた蝶たちに誰かの魂を見ていていたかもしれない。

キスをしたあとに眼鏡がずれている君が目を伏せながら吸う息

情景が浮かぶ。そして重なる。ずれてる眼鏡をかけ直す余裕もないほどに。くさいけど、一瞬が永遠に感じたあの時間。時を止めて君の匂いで肺を埋める。このまま呼吸を止めてたらずっと君といれるだろうか。だけど君が吸う息で時間は動き出す。彼女のこの歌集には眼鏡の恋人がよく出てきた。眼鏡かけてる人が好きなのかな…と勝手な共感もあって気に入ってしまった。。。

いつか君を思わなくなる朝が来て牛乳は透明になるだろう

これが一番好き。牛乳を透明するにはどうすればいいだろう?それはろ過だ。牛乳の白さはタンパク質とカルシウムイオンが結合したカゼインミセル脂肪球という物質があるかららしい。だからその"不純物"をろ過すれば簡単に透明になる。つまりこれは君へ抱いた色んな想いはどんどんろ過されて透明になっていく、ということなんじゃないか。そうやって人はあんなに深く抱いた愛しさも心がちぎれそうになった苦しみもだんだんと忘れて、いつか君を思い出すこともなくなって、未来に進んでしまうんだろう。それはとても寂しいことだけど、背負い続けるのはつらいから。私もきっとぜんぶ透明にしてしまうんだ。

悲しいと言ってしまえばそれまでの夜なら夜にあやまってくれ

これはタイトルにもなっている短歌。あやまってくれ、というのが平仮名なのに色々可能性を考えてしまう。謝ってくれかもしれないし過ってくれかもしれないし誤ってくれかもしれない。あるいはどれとも。短歌が好きなのは余韻と余白があるから。31音に込められた想いは時に何万字よりも多くを語る。不在がその存在をより濃くするように。

他にもたくさん素敵な歌があった。何回も読み返して咀嚼して飲み込みたい。これもまた私の心の奥底をつついては、すぅっと救いぎゅうっと苦しめる本になる。

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