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強い好意

今でこそ日本茶を取り扱う事を仕事としているが、もともとはただお茶が好きなだけの人間だった。

大学でデジタル制作を学び、印刷、3DCG制作と仕事を選んできたが、お茶をやってみたくなった。
やってみたくなった、というのは適切ではないかもしれない。
お茶に仕事として関わったらどうなるのだろうか、という実験だったのかもしれない。

お茶は買って、急須で淹れて、飲む。それだけが関わりだった。日本茶インストラクターという資格の勉強もしたりしたが、接点は飲む、というところにしかない。
お茶を仕事にするにはどうしたら良いのだろうか。案の定、よくわからなかった。そもそも募集が少なすぎる。茶業の職種すら、なんだかよくわからない。茶師? その肩書きの方がしている業務内容はブラックボックスのままだ。

お茶を仕事にしたい、と色んな方に伺ってみた。茶業界の方々にも。純粋に喜んでくれる人もいたが、ほとんどの人は怪訝な顔をして、こう言う。
「茶業界なんて、入るもんじゃないよ」
なぜか。
「お茶はもう売れないから」
だそうだ。

紆余曲折あり、東京に住んでいた私は、縁もゆかりもない、福岡県八女市に引っ越しをした。そこで色んな方に助けられ縁があり、お茶屋さんに拾ってもらった。そこで初めて、製茶問屋という存在を知った。
問屋と言っても、立ち位置はメーカーに近い。八女は高級茶産地として有名で、産地の問屋だけあって、農家とも距離が近い。実験用の畑も持っていた。
畑、仕入れ、仕上げ、営業、販売、品質管理。これが茶業の仕事だ、と内側に入ってようやく分かった。同時に、毎年新入社員が入ってくるような業界ではないことも理解できた。私は運が良かった。

お茶が売れない時代。それは売れた時代を経験しているからこその言葉だと思う。
お茶が好きで業界に入った私はお茶が好きな人がたくさんいるのを知っている。ただ、日常にするきっかけがないだけだ、と。
大学時代、一人暮らしをする友人にお茶を淹れ続けていた。誰一人、それを毛嫌いすることはなかった。
「お茶、美味しいね」
「お前が淹れたお茶は、やっぱりホッとする」
でも自分ではしない、やれない。
であれば、お茶を再び日常に取り入れるにはどうしたら良いのか。
私にできることはそこにしかない、と感じてしまった。
その瞬間、一生お茶を仕事にしようと思いきれた。
それができればお茶は売れる。

お茶を淹れる、そのお茶を楽しむ、という行為はコミュニケーションだと思っている。それは目の前に人がいる時もそうだが、自分対自分でも成り立つコミュニケーションだ。
お茶が作る空間は人の心を柔らかく溶かし、開かせる準備をしてくれる。
元来の性格もあるが、お茶を挟むとよく人から相談を受ける。
その関係が、ある場面では人を救ったりもする。
コロナが世界を侵し、今までの日常は無くなってしまった。
だけど今だからこそ、お茶を飲むことで繋がる縁が大事になるのではないかと強く感じる。

茶葉の売上は年々下がり、栽培面積は年々減り、農家も減る一方で後継者がいない。
お茶が売れない時代、だ。
でも同時に、お茶にかつてない魅力を求めているニーズがあるのも事実だ。
日本人が大切にしてきた『縁と和』『侘びと寂び』。まさしく持続可能なものだと思える。
お茶を飲むという体験が、改めて新しいものへと変わっていっている。
急須で淹れたお茶を飲むことが、得難い体験になってきている。
お茶を淹れる人を増やしたい、お茶を飲む人を増やしたい。
そのためにできることは、ただお茶が好きで業界に入ってしまうような強い好意が必要だと思う。

「あなたのことが好きです」

常々、お茶に告白している。
それが広がっていくことを信じている。
今はまだ小さな和だけれど、10年20年先の、お茶を急須で飲むことが再び当たり前になる世界に向けて、今自分にできることはそれだけ。


#未来のためにできること

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