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一方向ではなく、双方向〜これからの教育について考えたこと

オンラインによる美術教育を始めようにも、お手本になるモデルが無かったので、まずは講座のスタイルをどうしようか考えました。

たとえば大学の講義の場合、90分という授業時間内に、先生の話し言葉である音声、黒板へ板書するなどの文字情報、そしてスライドや映像などの視覚的な情報を加えるなどして、講義内容を対面する学生に伝達します。
一方的な授業スタイルですが、大学では多い時で数百人規模の生徒を相手に授業をしなければいけないので、このスタイルが最も効率的なのでしょう。

自分の場合は、子供たちを対象にすること、そしてオンライン形式で実施するため、大学の講義とは根本的に違うスタイルが必要だということはすぐに直観で分かりました。では子供たちには、どんな形式がいいのか?

そこで、世の中に、どんな教育方法や考え方があるのかを知るため、謙虚にリサーチするところから始めてみました。

まず、アクティブラーニングという学習方法があることを知りました。
いわゆる、双方向対話型授業と呼ばれているものですが、きっと自分が子供のときには無かった新しい考え方だと思います。先ほど、例に出した大学の講義スタイルが一方向型だとしたら、まさしくその反対のスタイルですね。

アクティブラーニングによる教育的メリットの一つが「コミュニケーション能力の向上」だと言われているようですが、たしかに「聴く力」に加えて「話す力」を自然に引き出す効果があるはずなので、頷けるところです。

もう一つ参考になったのはビジュアル・シンキング・ストラテジーズ(略してVTS)と呼ばれるニューヨーク近代美術館(MoMA)が開発した鑑賞方法です。日本では佐倉市立美術館が、VTSの方法を独自に発展させて「ミテ・ハナソウ」という文字通り、対話型美術鑑賞プロジェクトを数年前から実践しています。

子供達をはじめとする鑑賞者は、ファシリテーター役であるミテ・ハナさんとの対話を通して、作品鑑賞から観察したことや、感じたことを言語化していきます。この鑑賞方法の良い点は、アート作品の知識の有無を問わずに、「作品を観る」という体験を個別化することだと思います。
つまり、全員で一つの正解に向かうのではなく、鑑賞者の数だけ多様な見方や感じ方があることを、参加者全員(ファシリテーターも含めて)で共有できることが、一方向的な作品解説の場とは異なる鑑賞体験となります。

最後に参考になったのは、お世話になっている造形教室の先生から、お薦めしてもらった末永幸歩さんの『13歳からのアート思考』という本です。

「私たちは1枚の絵画すらもじっくり見られない」、「美術はいま大人が最優先で学び直すべき科目」などの目を引くパワーワードが並び、とても面白く一気に読ませてもらいました。美術教師である末永さんが実践しているのが、アウトプット鑑賞法という鑑賞方法です。本書の副題である「自分だけの答えが見つかる」という言葉が示すとおり、アート作品を観察し、思考、想像することによって発生する子供達の言葉(や反応)に耳を傾け、参加者それぞれの見方を育もうとしていることは、すでに紹介したアクティブラーニングやVTSが目指す双方向型の学習理念とも重なってきます。

こうした学習方法や教育メソットは、美術教育を本業としている方からしたら、基礎的で当たり前の方法論かもしれませんが、アーティストである自分にとっては、どれも目から鱗が落ちるような、新鮮な考え方でした。

基本的に、アーティストは受け手の反応を考えずに、自分がつくりたいものを生産します。もしも、受け手の反応を先読みして何かをつくるとしたら、それはアート作品ではなく、マーケティングを主体にした広告物のようなものになってしまうでしょう。

広告表現やプロパガンダが備える一方向的で力強い訴求力は、アート作品にはありませんが、その代わりに多様な読みとり方を許容する間口の広さがアートにはあります。自分が作家として、アートに携わる仕事をここまで長年つづけているのも、個別的に作用を及ぼしてくれるアートのあり方に学生時代から気づき、今もずっと惹かれているからだと言えます。

教育者や美術館が長い歴史のなかで開発をつづけてきた美術教育のメソットは、アート作品に対する複数的な読みとり方を、受け手側に積極的に促し、引き出してくれます。このようなアートを主体にした教育的な対話は、子供たちに本来備わっているはずの「まっさらな目」を磨かせる効力が、きっとあるのだと想像します。

反対に、画一的な教育とは子供たちの「まっさらな目」を曇らせてしまうものだと言えないでしょうか。「アート思考」という言葉が、世間で耳にすることが多くなってきましたが、この現象も画一的な教育方法から子供たちの創造力を守る処方箋として、多くの人が注目し、期待をしているからこそのブームのように思います(正直、アートは毒薬にもなりえますが…)。

【序】美術教育について書く」と題した記事では、「実験的な美術教育に取り組む」と意気揚々に語りましたが、実際にはすでに紹介した学習方法や対話型美術鑑賞の考え方を、大いに参考にさせてもらいました。
唯一オリジナリティがあるとすれば、何を提示して、どう語るのか、ということに尽きると思いますが、これについては追々紹介したいと思います。

特に重要なことは、講座という形式をとっていますが、受講してもらう子供たちには聴くだけでなく、能動的に発言してもらうなど、対話形式での参加を求めていくことだと思います。自分の意見を発信することに照れや、ためらいを感じる子も当然いるでしょう。実際に初回のオンラインレクチャーでは、ほとんど発言できない子がいました。

そうした子供たちにも、伸び伸びと発言できる工夫を取り入れたいとは思いますが、願わくば講座のなかで少しずつでも発言することで、自然と考えをアウトプットすることに慣れていけることを子供たちには期待しています。
なぜなら、正解が一つではないアートは、まさしく対話型のレクチャーにはぴったりの題材だと考えているからです。

一方向ではなく、双方向に
これは美術教育のスタイルを考察していくなかで気づかされた考え方です。
教育だけでなく、コミュニケーション、ビジネスでも、これからますます、そうした双方向型に学びあえる時代になるといいですよね。
まずは自分のできるところから始めたいと思います。

作品制作のための取材をはじめ、アーティストとしての活動費に使わせていただきます。