連載小説 逃避行
文=青西04 (N高7期生・ネットコース)
第三話 家庭から逃げたい先生
細長い木の枝みたいなやつ、どこかに落ちてないかな。
SAの自販機の前にひざまづいて途方にくれる。
ここで十円を失うのは痛い。
かといって自販機の下に手は入れたくない。毒蜘蛛とか、いるらしいし。
「あの、すみません。助けてくれませんか。」
助けてもらいたいのはこっちなんだよな。
そう思って振り返ると、そこには眼鏡をかけた男性。
なんか先生みたいな人だな。
「海まで行きたいんです。乗せていってもらえませんか。」
「免許持ってる? 」
「...一応持ってます。」
「運転してくれるなら車貸してもいいよ。
海、行こう。」
「あ、ほんとに先生なんだ。」
「そうなんです。女子高に勤めてて。」
「...女子高。むずかしいでしょ、いろいろと。」
「...むずかしいです。」
海へと向かうセレナの車内である。
「あんまり女の子に好かれそうな感じじゃないもんね。」
「...なんかそういう雰囲気って漏れ出てます? 僕のどこがいけないんだろう。
自分ではわからないんです。」
「うーん、何だろう。優柔不断そうなところ? 何でもわがまま聞いてくれちゃいそうなのに割とそうでもないところ? 」
「....。」
だまっちゃった。ちょっといじめすぎたかな。
「...助けてくださいって、言ってたよね? さっき。なんで海に行きたいの? 」
「...猫がメスだったんです。」
「は? 猫?」
「我が家は、僕以外全員女性なんです。妻と、3歳になる娘と僕の3人家族。
最近、娘が猫を飼いたいって言い始めて。
妻も動物が好きみたいで、それに賛成して。
僕はオスだったらいいよって言ったんです。
僕はどうも女性に好かれない質だから。
職場でも女性に囲まれて、家に帰っても女性しかいなくて。
だからせめて、猫には気を遣わないで過ごしたかったんです。
それで『オス猫がいい』って、初めて妻に自分の意見を言ってみたんですけど。
昨日家に帰ったら、生後8ヶ月の『みいちゃん』が、我が家のソファの上に鎮座してました。
ちょうど同じ頃に、漁師をしている父が腰を悪くしたっていう連絡があって。
実家にいるのは父だけなので心配で、帰ろうと思ったんです。」
「...それで、家出してきたと。」
「家出じゃありません。帰省するだけです。」
「家出くらいじゃないとヒッチハイクなんてしないでしょ。
奥さん、今日先生が帰ってこないこと知らないんでしょ。」
「....。というか、出発してからこんなこと言うのもあれなんですけど、僕の実家の方向に向かっていいんですか? あなたはもともとどこにいく予定だったんですか? 」
「同じだから大丈夫。」
「同じ? 」
「うん。この車も、もともと海に向かう予定だったから。」
車は、高速道路を海へと向かってただ走る。
「本当にここまででいいの? 」
「大丈夫です。ちょっと散歩してから父に会おうと思うので。
乗せてくれてありがとうございました。」
先生はそう言って小さな漁港に車を停めた。
目の前に広がる海は、まもなく日没を迎えようとしている。
「あ、猫。」
「あ、長谷川さん。」
運転席でドアを開けようとしていた先生と声がかぶる。
「長谷川さん? 誰? 」
「今そこで、猫にツナ缶あげてる女の子です。僕が担任してる生徒で。
...どうしてここに。」
夕日で赤く染まった防波堤の上で女子高生は優しく猫を見つめている。
「え、すごい偶然じゃん。声かけてきなよ。」
「いや、長谷川さんは僕のことあんまり...。気を遣わせちゃうと思うので。」
「あ、そうなの。むずかしい子なんだね。」
「むずかしいっていう訳じゃないんですけどね...。」
猫はすっかり長谷川さんになついている様子でツナ缶にがっついている。
防波堤の上には、穏やかな時間が流れていた。
きっと、夕暮れ時だからっていうだけじゃないんだろうな。
「...素敵な生徒さんだね。」
「はい、素敵な生徒です。」
先生は長谷川さんと猫をしばらく眺めてから、夕暮れの故郷へと去っていった。
「今日は実家に一泊しようと思います。心配させたから、妻にも電話して。
明日になったら、みいちゃんにここらでとれた美味しい魚でも買って帰ろうかな。」
静かな決意表明のような、そんな言葉を残して。
いいなあ。逃げたくなるほど切実な、大切な帰る場所があって。
そんな思いも、赤く燃える太陽とともに、静かな海に飲み込まれた。
第三話 完
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