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ごめん、が別の言葉に変わる時まで。

去年の今頃にこんな記事を書いていました。

子供が小さい時にはよくこんな気持ちになっていた。

よそと比べて自分のできていない部分ばかりが浮き彫りになり、やってもやっても足りない気持ちを持っていた時期が長くある気がするし、仕事は子供のいない同級生がどんどんとやれることが増えていくのが羨ましかった。

この羨ましいという感情を持つことにもすごく罪悪感があり、他のことを良いなと思う→今の自分や子供へごめんの感情がぐるぐると回ることが多かった。

この「ごめん」が別の言葉に変わる時は、気持ちに余白がある時だと思う。

例えば、出来ないと思っていたことが出来るようになった。人の役に立つと実感できることが増えた。子供は色んなことができるようになってきた。

その過程に気づくためには、少し見る場所を移動しなければいけない。そのためには小さな円の中に足を閉じ込めず、大きな円にして動き回る。他にもどこかへよじ登って上から眺める。そのための動ける余白が大切なのだと思う。

「ごめん」の気持ちには怒り、寂しさ、かなしさ、憤り、投げやり、色んな気持ちがミックスされているけれど、この気持ちをずっと持っていたいほど好きな人は居ないと思っている。

別の言葉に変わる時まで、一緒に別の言葉を考え、余白を作るお手伝いをしながら寄り添える人でいたいと思います。

「ごめん」の気持ちが棘のまま心の中に残らないよう、自分のことを知る。余白を作って人を近づける。円と円が重なる時に相手を知り、自分を知る。そんなワークを来年は作って行けたらいいなと、「ごめん」からそんなことをふと考える冬です。

ここまでお読みいただきありがとうございました(*´꒳`*)

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