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営業最後の地、大分

私の営業生活の最後の地は、大分だと思っている。
千葉に転勤したが、わずか2か月で退職したからだ。
大分県の担当は1年だけだったが、今もその景色が心のなかにしっかりと残る。
どうしてだろうか、とふっと思うことがある。

36年前に戻るが、1988年のある日、大分市から佐賀関にあったJX金属(旧日鉱)佐賀関製錬所内にあった社員向け販売部門(スーパー形式だったように思うが)を取引先の担当者と同行して訪問したことがあった。
途中、山道を車で走っていくのだが、突如、豊後水道の海が見えてくる。
眼下に小さく見えるのが佐賀関精錬所だった。
ほんとうは小さくないのだが、私には精錬所が小さくみえた。
目の前に広がる海は、まさに圧巻という言葉がふさわしかった。
今も感動的だったその景色が浮かぶ。

臼杵の町も心に残った。
町に近づくと高くそびえる古い煙突が突如現れた。
臼杵に本社があるフンドーキン醤油の煙突だった。
古くて時代を感じさせてくれた。
臼杵川近くに新規開店したスーパーの応援手伝いのためにいたっただけだったが、その景色が印象的で忘れることができない。
今、わが家が生協で購入するドレッシングは、この会社が製造している。
ドレッシングの表示内容をみるたびに、臼杵の町が私の心に蘇る。
臼杵の町は、2000年代、大林宜彦監督によって映画がつくられたようだ。
私は知らなかった。
私はゆっくりと町をみることができなかったが、今朝(6/16)、読売新聞の「よみほっと」で臼杵の町と映画について書いてあった。
今度「なごり雪」と「22歳の別れ」をみてみようと思う。

よみほっと by 読売新聞

竹田市も印象に残る町だ。
岡城は瀧廉太郎が「荒城の月」の構想を練ったことで知られている。
竹田までの道すがらにみることができる川がよい。
また、中津では、取引先の責任者と同行した際、宇佐市にある宇佐神宮を訪ねたことがあった。
有名な神社だが、立ち寄ったときは平日で人が少なく整然としたたたずまいがそこにあるだけだった。
厳かさと静寂だけが強く記憶にある。

福岡県の甘木や杷木という町を通り、最初に出会う大きな町が日田市だ。
私の故郷福岡から一番近い大分県の町だろうか。
すぐに行ける町だ。
やはり古い町並みが筑後川沿いにあり、仕事で歩いているときに見とれてしまった。
日田から大分へ向かえば、仕事以外で何度もいったことがある湯布院だ。
久住山を望む眺望と温泉がすばらしい。
この地で食べた鯉の洗い(あらい)の味は、今も記憶に残る。
湯布院駅を右手にみながらさらに車で山を下れば別府温泉がある。
多くの源泉から湯気が沸いているのがみえる。
別府の温泉群だ。
日田から中津にもよく通ったが、車が少なく山国川沿いを走るのだが、景色にみとれてスピード違反で捕まった。
道路が整備されていて気持ちよく車を走らせていた。
途中には、耶馬渓町に有名な青の洞門がある。
別府に戻るが、別府温泉からは、別府湾を正面に眺めながら右折して左手に海、右手に高崎山(餌付けのおさるさんで有名)をみながら車を走らせれば大分市だ。
この道は、別大マラソンのコースでもある。
定宿だったビジネスホテルは温泉だった。
毎日、朝風呂へはいって取引先に出かけた。
贅沢な時間だった。

大分は魚料理がとにかくうまかった。
城下かれい、関サバ、関あじ、フグとよく食べた。
今でも忘れらないのだから、本当においしかったのだろう。
飲み屋さんにもよく通ったが、みな親切で安かった。
カラオケでよく歌った。
ゴルフもよくやった。
勿論、仕事はそれ以上にやってきた。
わずか1年間だけだったが、いろいろなことが深く心に刻まれた時間だった。

大分県以外で記憶に残るのは、先輩の手伝いでいった熊本県天草だ。
きれいな海が続く景色だが、天草五橋からの風景はとくにすばらしい。
どれも仕事でいった景色だけだが、強く印象に残っているから不思議だ。
それだけ九州には、印象に残る風景が多いということだろう。
苦しい(嫌いな)営業時代だったが、このような出会いと思い出が残ったことは幸運だった。
私の人生を豊かにしてくれている。
今、ただ感謝しかない。




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