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「自分らしく」なんて言わなくても

 前回の投稿から2か月ほど時間が空いてしまって情けないやらなんやら。今回は「自分らしさ」に関する一冊。

カルチャーショック?

 人生で数回「カルチャーショック」のようなことを経験してきた。父親が海外で働いていて転勤が多いから住む場所も通う学校も転々としてきた、なんてことはなくて、九州生まれの九州育ち。いわゆる「九州男児」なのかもしれない。それでもやっぱり、僕が経験したことは紛れもなく「カルチャーショック」だっただろうと思うし、であるならば、ほとんどの人が同じことを経験したことがあるとも思う。

 特に、大きな「カルチャーショック」を経験したのは、大学に入学した時だった。大学が東京にあったこと、当時の学力からしてまあまあ背伸びして合格した大学だったこと、などなどが理由として考えられる。が、それにしても、話し方、話す内容、人間関係の作り方、趣味、育ってきた環境など本当に何もかもが今まで(高校まで)とはかけ離れていて、ショックどころの話ではなかった。正直「まじで友達できないかもな…」と思っていたし、ただでさえ慣れない一人暮らし。そこに高校の時に思い描いていた「キャンパスライフ」とのギャップまで加わって1秒でも早く家に帰りたいと思っていた毎日。過度な愛想笑いのせいで顔面の筋肉が疲弊するよな毎日がキャンパスライフだったのか?

2人の自分

 それでも人間の適応力というのは凄くて、一年目の夏を過ぎるとなかなか楽しくなってきた。周りが、あまりに優秀な人たちだったので、たかだか地方の進学校で人よりすこーしお勉強ができたくらいで大天狗になっていた僕は、劣等感を感じてはいたものの、なんだか心地よい劣等感だったと思う。環境のおかげで、少しでも成長できている気がしたのだ。本の感想をちょっと真面目に語ってみたり、授業の内容をみんなで掘り下げてみたり、そんなちょっと「マジメ」なことが、なんだか楽しくなってきた。

 ところが、帰省したり、東京で高校の頃の友達と会うと、なぜか、彼ら彼女らに、いわゆる「マジメ」な話をするのが気恥ずかしくなって、「当時の自分」に戻ってくだらないことで大騒ぎしたりするのが、これまたとんでもなく楽しくて、心地よかった。

 さて、この二つの「場所」にいる自分は同じ「自分」だろうか?
 いやいや全く違うでしょ。

「仮面」とか「武装」とか

 「じゃあお前は仮面を被って大学時代を過ごしたのか?」「良い子ぶるな」「どこにいても誰といても自分らしくいこうぜ!!」なんて声が今にも聞こえてきそうだ。

 正直、こうした声は他ならぬ自分の中から絶えず聞こえてきていた。しかし、納得のいく答えは出ないまま大学を卒業してしまい、大学では、「強がっていた」のでは?「武装」した自分だったのでは?ってな感じのモヤモヤした答えに辿り着こうとしていた。

「分人」という考え方

そんなとき、友達がこの本を紹介してくれた。

平野啓一郎(2012)『私とは何か 「個人」から「分人」へ』講談社現代新書

 とにかく衝撃・共感の嵐。直球ど真ん中ストライク。共感しすぎて、「俺がもしかして作者に悩みを相談する手紙を送ったことがあって、この本はそれに対する回答なのか?」なんて愚かな妄想をしてしまうくらい。

 この本が提唱しているのは「分人主義」という考え方。ざっくり言うと、

「分人」とは「常に環境や対人関係の中で形成される」「個人を分けた、その下の更に小さな」人格であり、「個性」や「本当の自分」というのはその「集合体」であるにすぎない。(第2章を筆者が要約)

 という考え方だ。

 この考え方が素晴らしいのは、

「『自分らしく』生きてない」=「相手に嘘の自分を見せている」
=「罪悪感」

という方程式を、否定できる点にある。なぜなら、「自分らしさ」も「嘘の自分」も存在しないのだから。だから、大学の友達といるときの自分も高校の友達といる時の自分も全て、無数にある自分の中の「分人」の一つに過ぎない。
 大学入学当初に感じていた、違和感やストレスは、その環境に合わせた「分人」が形成される前段階(平野さんは「社会的な分人」と呼ぶ)に自然に現れるものだったのだ。
 僕は、大学にいたときに「良い子」ぶっていたわけでもなければ、旧友と会うときに意識して「悪い子」ぶっていたわけでもないのだ。そう考えられると、とんでもなくすっきりした。

 また平野さんは以下のようにも述べている。

 分人のモデルには、自我や「本当の自分」といった中心は存在しない。しかし、その時々に大きな比率を占めている分人はある。高校時代は、部活の顧問かもしれないし、会社に入ってからは上司かもしれない。私たちは、足場となるような重要な分人を一時的に中心として、その他の分人の構成を整理することも出来る。(p.91)

 これもまた、たとえ「足場となる」分人が否定されても、その足場を柔軟に移していける、という点で、人間関係に悩む多くの人の助けになる考え方であると思う。

 教員になって、早いことで1か月が過ぎた。憎きウイルスのせいで、未だ生徒には会えていないが、彼ら彼女らに会えたらおすすめしてあげたい本がまた一冊増えた。

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