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仕事をし過ぎて心が壊れた話

2023年1月、某飲食店て働いていた私は疲労困憊していた。コロナ禍ではあるが大分色々なことが緩くなった昨今、年末年始の飲食店は一日で時に売上が200万円もいく。
そんな多忙な毎日を送っていた2023年1月21日。

私の心は完璧にまで壊れた。

大前提として、私は発達障害で障がい者手帳も持っていて併発してうつを抱えている。それも20年くらい経っているので、なんとなくだが自分の苦手なことや好きなことはわかっているつもりだ。
まず私は割と接客が好きで、人生の大半は接客業をしている。つきっきりの接客ではなく、フロントで話をしてお客様をご案内する程度ではあるが一つの職場の歴はそこそこ長い。今の仕事ももう4年目に突入していた。

冷静に遡ると去年の3月に店長AさんとエリアマネージャーBさんに変わった時からおかしくなっていったんだと思う。
それまではフルタイム週3.4でもなんとなく働いていたしそこそこの信頼も得ていた、在籍が長いため仕事も殆ど慣れていてイレギュラーなことも普通に対応できていた。
うちの店舗は系列の中では大型店と呼ばれ、うちを経験することで出世に繋がると噂されているだけあって一年毎に店長が変わる。現時点の店長Cさんになるまで店長は5回変わっている。

店長Aになるまでは割と放任主義の店長が多く、特に私に何かを求めてくる人はいなかったので何とも思ってなかった。
店長Aになった途端「ここの従業員はマニュアルがなっていない」から始まり、事細かくマニュアルを決められてその通りに動かなければ許されなくなった。それでも私はその通り動き、店長の望んだ環境を作り上げるのに勝手に必死になっていた。
もちろん店長のためではない、ここで一緒に切磋琢磨して頑張ってきた同僚のためだった。
店長Aはパソコンに疎く、時には家でエクセルを駆使したテンプレートを作り、店長の突っ込むところがないところまで仕上げた。全くもって店長のためとか店のためとかではない。
他の従業員が嫌な思いをするのが何より嫌だった。

うちの店はパートやバイトでもランク制があり、それは最初から知っていたが私は自分のランクを上げようなんて微塵も思ってなかった。たった数十円の差で無駄な責任感を押し付けられるくらいだったら、一番下でやらなきゃならないことだけしている方が絶対に楽だと思っていた。今までの仕事でも所謂「リーダー」には何度かなったが、どれも何の得もなかったからだ。

6月あたり、店長Aにランク昇格の話を持ちかけられた。細かい理由は教わってないが、その前の週あたりで店からも頼りにされて、大量の雑務をこなしていた同僚が急に飛んだので「どうにか辞めさせたくない」という気持ちなんだろうなと勘づいてはいた。昇格は一応筆記と面談があるのだが、普通に筆記は一発合格して一つランクが上がった。
まあランクが上がったところで、今までやっていたことは相変わらずやらなきゃいけないし何も変わらなかった。あっという間に次の昇格も決まって、8月あたりにはもう私は最高ランク手前までになっていた。
そして店長Aはあまりに的外れなことしか言わない、仕事はランクが上のパートやアルバイトに投げっぱなし、上からの指示待ち人形と化していたため一年もたたず、他店に異動になった。正直Aでは年末年始の繁忙期をこなせる気がしなかったので、なんとなくそれまでにいなくなるんだろうなとは思っていた。
店長が異動になる寸前で、私は「自分について」という書面を提出して話し合いをした。
今の仕事に就いて一年あたりで障がい者手帳を持っていることはカミングアウトしていたが、事細かくどういう病気でどういう特性があるのかなんて話したことはなく、初めてそこで全てをお話しした。店長Aはマニュアル人間ではあったが、もはや今私が負けるわけないと思ったのでいい機会だった。店長が変わって話すと余計面倒くさいだろうなと思ったのもある。

ここで改めて私は会社的に障がい者雇用であることを確認して、それならばと初めて配慮をお願いした。
私の苦手なことは「人に頼ること」だ。
とにかく人目を気にして、気にして、気にしすぎる故に他の人に「手伝ってほしい」「これをやっておいて欲しい」と言うのがとても苦手で、それを言うくらいなら自分がやればいいやと思ってしまう。根本的に他人が何を考えているのか全く、本当に、普通の人が思っている以上に理解できないため、新人教育もすごく苦手で他のことはやるので私に新人教育を振らないで欲しい、指示出しができていなくても私を責めないで欲しい。みたいなことを「次の店長に引き継いでくれ」と文面にして店長AとマネージャーBに渡した。

そして、9月から店長Cさんがやってきた。
店長Cは何年も前にうちの店で店長をしていた経験もあり、Aとは真逆で「マニュアル通りにやらなくても店が円滑に動けば問題ない」みたいな考えで臨機応変に動くタイプで私にも特に何も求めてこなかった。というより、店長C曰く「〇〇さん(私)の話は前から聞いており、信頼しているから何も言うことはない」と言われた。でも「そんなに一人で仕事をやらなくていい」とは言われていないので、店長Aの時代と変わらず私は通常業務以外の業務を一人で猛烈にこなしていた。なんかもうそれが当たり前になっていたし、店長Cも「〇〇さん(私)には直接教えるから他の人は彼女に教わって下さい」とか言っていた。私は人に教えたりするのがとても苦手という話は知っているはずだったが、これくらい大丈夫とか思っていたんだろうな。全然大丈夫ではなかったけど。

数ヶ月経って臨機応変に動くCの本質が見えてきた。私はCに一度も褒められたことなんてなかったがいつもはぼーっと立ってる従業員が「暇な時間ビラ配りをしてもいいか」と提案し、それをわざわざグループラインで褒め称えた。めちゃくちゃ嫌な気持ちになった。Cは売上に貢献するような人を可愛がる、売上しか見てない、数字で判断していることが分かってしまった。
私は朝の8時から17時勤務なのだが、朝昼の客単価は夜に比べてめちゃくちゃ低い。値段設定が安すぎるため、朝昼で100人のお客さんに対応したところで夜30人のお客さんの売上には遠く及ばない。
うちの会社の社員は基本シフトに入って仕事をするのが夜勤メインなので、ほぼ社員と会うことはない。なので、やりとりはほぼラインで済ましていた。
でも本当に嫌な気持ちになったので、たまたま昼に店長が来ていた時に私も今の雑務だけでなく売上を考えた方がいいのか相談した。「別にそんなこと考えなくていい、今のままで充分だ、貴方には期待しているから年末年始頑張ろう」とか言われた。
期待しているは死にたいくらい更に嫌になった。
もう充分やっている自覚はあったのに、更に期待されて私は何をすればいいのか。どこを目指しているのか、ただのパート社員なはずなのに全然分からなくなった。そして、ついにアルバイトとパートの最高ランクの話まできてしまった。

12月は忙し過ぎてもう殆ど記憶にない。
私はひたすら頑張っていた。あの時は自分で自分のことを頑張っていると思っていなかったが、今考えるとめちゃくちゃ頑張っていた。
12月30日から1月3日の5連勤は最終日腰が痛過ぎてしんどかったことくらいしか覚えていないくらいには忙しかった。当たり前のように残業もしていた。
私の心の支えは1月前半に大阪にライブに行くことで、それまで必死に耐えた。結果楽しい大阪遠征、ライブではあったしこのために頑張ったという達成感はあった。よく「オタクは推しの現場に行くとMPは回復するがHPは回復しないから注意しろ」と言われているが(言葉の意味がわからない人は調べてください)まさしくそんな感じだ。
ライブが終わると途端頑張れる目標がなくなり、疲労が回復しないまままだ繁忙期の仕事をこなしていた。3月に次のライブは決まっていたが、その時の私には「今頑張れる直近の楽しみ」がないとダメになっていた。ここらへんで「鬱っぽい」と初めて思った。
思うのがめちゃくちゃ遅い。

疲労困憊が酷過ぎて熱が出てしまった日があった。とは言え、シフトを交代する人も見つからず重たい体を引きずって出勤した。結局すぐに帰らされたのだが私の中で「休んでしまった」「迷惑をかけた」「死にたい」と鬱が酷くなっていくのが手に取るようにわかった。
私はオタクでアニメも漫画もゲームも好きで、ハードなゲームをしながらスマホでゲームを回していたり、大好きなアニメは無理矢理にでもリアタイしてタイムラインに阿鼻叫喚を投げて楽しんでいたはずだった。多分10月くらいまでは。
徐々にアニメのリアタイがしんどくて見られなくなり、録画しっぱなしになった。ゲームもただ日課をこなして終わるという作業になり、前まで楽しいと思えていたことが全然楽しいものではなくなっていた。
以前楽しいと思えていたものが楽しくなくなってしまうのは本当に重症なのでみんな気をつけて欲しい

毎日しんどいな、きついな、死にたいなと思いながらも一度無理矢理帰らされた以外無欠勤無早退無遅刻で働いていた1月21日。土曜日だった。
午前中客が暴れて警察沙汰になった。が、前職はしょっちゅう客が暴れただのなんだので警察沙汰になっていたので、私は何とも思ってなかったし、面倒くさいから警察沙汰にしたくないすら思っていたのに他の従業員が通報してしまった。
まあ、普通フロントで恐喝まがいなことを叫び散らしながら壁だのを蹴っている場面を見たら普通警察を呼ぶのか。少し私は麻痺している気がする。
午前中警察対応で疲れてしまったが午後は三時間延々と満室だった。ずーっとお客さんが並ぶフロントで私は一人でインカムを使いながら、店を回していた。
その間厨房で他従業員が楽しそうに会話していたのも分かっていたが、正直「手伝って」と言うのが苦手とかいう話ではなくただ単純にお客様対応から離れることができないため手伝ってを言うタイミングを失っていた。

夕方頃滅多に顔を出さないマネージャーが視察に来てすぐに状況を把握しフロントに入ってくれて、ようやく一人ではなくなった。が、お客さんは途切れないため二人体制でも結局30分は残業した。
マネージャーから「落ち着いたら話したいことがある」と言われていたので、そのまま事務所で話した。
マネージャーの話は簡単に言うとこうだった。
・お客さんを待たせすぎている
・一人で回す必要はない
・後ろに暇そうな人がいるのに何故頼らないのか
・手伝ってもらいたい時手伝ってもらえ

そもそも手伝ってとか言える状況じゃなかったのもあるが、マネージャーには私が苦手でどうしてもできないことは伝わっているはずだ。
その場で泣き叫びそうになった。
それが簡単にできてれば、ここ一年何の苦労もなかったかもしれない。でも私にはできなかった。
因みにこの日の朝昼の売上は17時台で20万円、クレームもなかったし、待たせてまで入店をかけていた。
マネージャーからは「今後の課題を考えてほしい」とかで話が終わったが、もう最高に死にたくなった。それまでなんとか保っていた線が切れた音がした。

二日後、毎月通院している病院の日だった。
最近の状況を話すとすぐに「診断書を書くので休んでください」になった。とは言え二週間後までシフトが出ていることも言ったし、来月からかなとか思っていたら「明日から二ヶ月は休みなさい」でビックリした。

マネージャーと店長に診断書をもらって明日から二ヶ月は休みなさいと言われたことを連絡すると、マネージャーからすぐに連絡がきて明日から休みで大丈夫なので自分が手続き全部やるとかそんなんだった。まあマネージャーはいくつも店舗を持っているので、一人休職したところでどれだけシフトに影響出るのかなんて知らないんだろうな〜とは思ったが、結果傷病手当もらって休むことになった。
二時間後くらいに店長から「二ヶ月はシフトはお休みということですか?」と聞かれた。
当たり前だろ。

今は少しずつやりたくてもできなかったことをやり始めて、楽しくなくなってしまったことを楽しめるようにのんびりしているつもりだ。
仕事のグループラインも全部抜けたし、たまにチラつくあたり嫌な気持ちになるが週4.5をフルタイムで入って、みんなが知らない雑務をやっていた私の穴はきっと誰も埋められないだろう。
がまあ知ったこっちゃない、ここまで追い詰めたのは仕事で、職場で、上司と一部の同僚のせいだと思っている。
少し前にキャパオーバーして倒れて入院してした同じく発達障害持ちの友人が「結局頼れるのは診断書を書いてくれるお医者さんだけ」と言っていた。

忙しくて、楽しい時間もろくになくて、漠然とした不安とか、まあとにかく「きつい」と思ったらちゃんと休まなければならなくなることを知った。本当にみんな頑張ってると思うけど、無理はしないでほしいし、そんなこと言っても無理するのが人間だと私は思うので、強制的に止められる何かは大事だ。
傷病手当金とかもあるし、調べれば満額もらえなくともお金をもらって休む方法はある。
体を壊す前に心が壊れたら本当に何もできなくなるので、きつい人、病院行って!診断書もらって!一緒に休もう!楽しいことだけしよう!


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