気分変調症日記④

朝、清々しい気分だった。生理が来てしまって体はダルく重いものの、頭はいい意味で働いていた。結論、所謂フリーランスみたいな事を始める事にしたのだが、決まった収入源などまだないのにも関わらず何から始めようか、何がしたいかと、ずっとワクワクしていた。仕事をしていた頃はお金が無い生活が苦しいと縛られてあんまに絶望感があったのに、不安定になった現状の方が不安が殆ど無いことに驚いた。ずっと、安定した生活の先に、健康があるのだと思っていた。



お金が無いお金が無いと言われて育った。自身も16になった誕生日の翌日には求人バイトに電話をして、その2日後に派遣の登録をした。高校に行かず働いて、定時制高校に行き学費は当然の如く支払い、進学の為の貯金もした。
働かざる者食うべからず。それが私にとっての人生だった。


お金があれば大抵の事は解決出来ると、どこかで思っていた。自由で豊かな生活に憧れていた。その為の労働で、理想の人生の為には我武者羅に働くしか無いのだと思っていた。その先に安心と安定と幸せがあるのだと信じていた。
だから今まで働く事を止められ無かった。生活が出来なくなったら病気の治療などできない。いま以上に下降しないようにとしがみついた。結果、もう限界まで来てしまって遂に労働を手放した。不安で動けなくなってしまうと思っていたのに、現実は違った。こんなに見違えるほど気持ちが軽くなるなんて思ってもみなかった。

適正は、本当にあるのだと思った。環境選びはとても大切で、自分のポテンシャルを最大限に発揮出来る場所を見つけられた気がした。謎の自信に満ちている。ここでなら闘えると感じている。


絵を描く事が好きだった。それは誰かとのコミュニケーションとしてではなく手を動かして紙で遊ぶ行為が好きなだけで、デザインやコンセプト、伝えたい事などはあまりピンと来なかった。仕事としてはやっていけない気がして放棄したけれど、今はあまり難しく考えずに出来るから始めようと前向きな気持ちで居られる。理由は、時間を忘れて没頭出来るからだった。


仕事をしながら絵を描く事が出来ないのは、着手すると時間が溶けてしまうからだった。絵が描けるならいいのでは無いか、と思われるかも知れないけれど、絵を描く事は活動であって、休息では無い。働きながら絵を描くという行為を出来るほどの体力は私には無かった。


けれどもそれは、一日中向き合い続ける仕事としては適正かなと思った。その事について考え続けるのは苦ではないし、むしろ好きだった。考え出すと色んなアイデアが浮かぶのが楽しいしワクワクした。現状ではまだ仕事にありつけた訳では無いけれど、進むのがまるで怖くない現状であれば続けていけるのではないかなと思っている。


随分浮かれていて恥ずかしいけれど、こんなに清々しい気持ちは16の頃ぶりだと思う。現在私は25歳なので、凡そ9年ぶりである。少しくらいこの感覚に身を委ねてもバチは当たらないのでは無いかなと思う。


現在私に診断されている、気分変調症、またの名を持続性抑うつ障害と呼ばれる病気は、抑うつ状態を含む心体における症状が数年間という長い期間発症し続ける状態の事らしい。今回は日記なので、病気についてはまた詳しく別で記事を書こうと思うけれど、これだけ長い期間気分が晴れないまま過ごして来たので、もう治らないのでは無いかと投げやりになっていた頃だった。寛解出来るかもという希望が見えるのは本当に本当にうれしい。


精神疾患は、今までの生活、環境が合っていない事を教える為に発症すると思っている。なので回復の為には自分にとってどんな環境が合っているのか、どんな事ならストレスを溜め込まなくても済むのかが大切になってくる。今回の選択は人生において大きな発見だったと思う。これからも何が起こるか分からないけれど、今は楽しめる環境に感謝しようと思う。


上手くまとめられないや。今日はこの辺で。


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