肌寒い季節に思い出すこと
茹だるような夏が過ぎ去りひやっとした空気が頬を撫でると、それまで暑さで思考停止していた頭がすっきりと研ぎ澄まされる。
暑くも寒くもない気温のなか久しぶりにお気に入りの長袖シャツに身を包んで、これからの日々に根拠もないわくわくを感じる季節。この季節になると自然とこんな気持ちになるのはたぶん、数年前の大好きな秋を心のどこかで覚えているから。
リーダーシップのリの字もなく、気ままにふらっと楽しく生きていたいなまけものマイペース人間の私は学生時代の生徒会とか委員会とかなんとか班長とかそういうのとは無縁の人生だった。どうやったらそういう面倒な役割を避けて通れるか、立候補してくれる人本当ありがとうと思って生きてきた。そんな私は念願だった大阪の大学に入り、ふらふらしているうちに気付いたらまったく興味のなかった学園祭の実行委員サークルに入っていた。サークルというものに特にこだわりもなく、適当に友達と見て回っていたら、友達は「せっかく4年間あるなら何かに打ち込みたい」と、あっというまによさこいサークルへの参加を決めた。それから友達のその言葉がなんとなく頭の中にあって、かつての部活動みたいな大変なことはしたくないけど、せっかくの4年間何かしたいかもなあ、でもよさこいサークルの雰囲気パワフルすぎてちょっとしんどい〜と悩んでいたら学部で先輩に呼び止められ、そのまま部室みたいなところに連れて行かれ、学園祭実行委員こんなことしてるよっていう話を聞かせてもらった。学園祭を仕切るとかそういうの興味ないし向いてないって思いながらも流れにのまれて部室まで来てしまい、先輩たちのゆるいけど面白くて面倒見のいいところと本格的な学祭ライブできるよ!という言葉に、なんか楽しそうかもって偶然の出会いで参加を決めたのでした。
学園祭は秋の終わりだった。それに向けて夏休みの終わりから秋にかけては朝から夜までずっと大学にいた。夏まではみんな各々の学部で各々のグループで授業を受けたりバイトをしたりしていたのが、秋になるとぞろぞろと部室に集まる。やってた内容は今思うとTHE学生クオリティだけど、その内容よりも大きなイベントを運営するやりがいやみんなで目標に向かって打ち込むっていうことを初めて経験して、今まで苦手だと思っていたことの楽しさに気づけたこと自体が私にとって貴重すぎることだった。それだけでも大学に行った価値があるって思えるくらいの。思っている以上に自分は自分のことわかってないし、やってみてやっぱり苦手興味ないって思うことも沢山だけど、そうやって何が好きで何が嫌かっていうのを知って自分の一番心地よいところを見つけるためには、いろいろやってみるしかない。それをしなければ人生はきっと自分の予測できる範囲までしか広がらない。
夏が終わって空気がひんやりしてくると、またこの季節が来たなってわくわくした。授業の空き時間があれば、今日誰がいるかな〜って部室に寄って、先輩について行ってコンビニで秋のスイーツ買ってもらって、初めてのIllustratorと格闘しながらフライヤーとか作って、授業も全て終わってすっかり日が落ちた大学の芝生で寒いからジャンパー羽織ってリハーサルして。みんなで夜ごはん食べて次の日も朝から集まって、早く行きたくなるような好きな場所があって、今日も何か楽しいことが起こりそうっていう予感でドキドキする感覚が、もう何年も経っていてあの頃のことは結構忘れちゃってるけど、この気温とこの季節の香り質感とともに自動的にふわっと蘇る。この前当時の友達と会う機会があって話していると、その子も今だにこの季節になると毎年思い出すんだよねって言っていた。私たちの中に深く焼きついているあの秋のこと。それだけがあの頃の過ごし方の大正解だったとは思わない。もしかしたらあの時この道を選んでなかったらもっと別の転機になっていたのかも。別の忘れられない秋があったのかもしれない。でも、意気込んで、とっておきの思い出作るぞって作り込んで得た経験じゃなくて、偶然の連続でそうなって、それがたまたま超楽しくて、そこで出来た友達も今でも大好きで、夢中になってたらその秋がずっと忘れられないくらいの思い出になっていたっていうそんな気楽さがきっと私にとってちょうどいいんだと思う。
何気なく決めた留学先のオーストラリアでの通学バスから見る景色が好きだった。街の人たちが気さくに挨拶を交わして、英語が飛び交うバスに揺られる時間。日本に帰ってきてからも、キリッと澄んだ早朝のバスに乗り込んだ瞬間、ふとあの日々が蘇る。
香ばしいコーヒーの香りは、大阪に住んでいた時に毎週のように通っていたお気に入りの喫茶店を思い出させる。そこでいろんな好きな本に出会ったり、パソコンを開いて考え事をつらつらと書いて頭の中整理してたなあ。あの時間があったから、楽しく自分らしく過ごせていた気がする。
今の私を形づくるもの。好きだと思えるもの。自分らしいと思うもの。今の何気ないこの瞬間も、いつの日か大切だったなと実感しているかもしれないし忘れ去っているのかもしれない。いろんな偶然が積み重なって、ドキドキしたり悩んだり嬉しくなったりを繰り返して今思うのは、思い通りにいかない毎日も、今までだってそうだったし、なるようにしかならないし、必要なのは戦略的に望む未来を作ることじゃなくて、転がっていく日々をまっすぐに楽しんだり悲しんだり、精一杯に過ごすことなんだなあ、ということ。
気持ちのいい秋の夜道、のんびりnoteを書いて近所のスタバから家までもりもりと木々が生い茂った公園を抜けて20分くらい歩いて帰るこの土曜日。こんな秋も、いいなあ。
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