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ある板前の死より~⑧店主の見た地獄(幻覚妄想②)~

【店主の見た地獄(幻覚妄想②)】

 ご近所マダムたちに、店を気遣う配慮はない。ランチという安い買い物でも、お客様は神様です的な感覚だろうか?食後も長く個室を占拠し続けている。

 確かに、ご近所のマダムたちの評判は大切だが、今の店主には、マダムたちに気を利かせるような心のゆとりなどないし、またマダムたちにも、今の店主を思いやると言う気持ちはサラサラない。あくまで、私たちはお客様という心底である。

「味はいいのに、ここ暗くなったよね?」

「だから、奥さんとここの板前さんが…って話し本当なの?」

「大将、辛過ぎ~ってか、奥さん酷くない?」

 マダムたちは、ヒソヒソと話しているつもりだが、個室という油断が声のトーンを徐々にあげてゆく。うつ状態では特に、被害的な感情から、そういうヒソヒソ話しに過剰に反応する傾向がある。もちろん、店主もそれを悪口と過剰に感じ取っているが、その自覚はない。また、悪口とまでは言えない内容でも、そのように敏感に被害的な反応をしているところは、うつの最も苦しい症状の只中にいると言えるだろう。

 ギラッと光る血走った眼光は、飛びだして瞬きもしない。握った柳刃9寸を小刻みに、まな板の上で震わせながら、耳裏から首筋に油汗がゆっくりと流れ落ちる。ヒソヒソと話す声と、たまに混ざる笑い声が、店主をドンドン追い詰める。店主のことを言っているのに違いはないのだが…店主にその判断力はなかった。

「俺の悪口を…店の悪口をコイツらが言っている。悪口を広めている…コイツらは…許せない…」

柳刃9寸(刺身包丁30cm弱)
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 「バンッ」といきなり、個室の引き戸を開け放ち、部屋に入り始めるや、店主は刃渡り30cmの刺身包丁で、手前のマダムの首筋を刺すように一閃した。その悲鳴は声門が切られた為か、「フシュッ」と音が抜けて明確な声にはならなかった。店主は表情を変えず、更に踏み込む。

 首筋を切られたマダムの血しぶきは、逃げようと振り向いた先にいた奥側のマダムの顔面に降り掛かる。

 血しぶきを受けたマダムも真っ赤な血に染まったメガネとその現状を理解する間もなく、直後にメガネごと右目から後頚部に渡り、斜めに刺身包丁が貫通した。

 ビクッと身体を一回のけ反らせて、そのマダムは動かなくなった。3秒後、自らの身体の重さで倒れ始め、眼窩からズルズルと包丁が自然に引き抜かれた。身体は真っ赤な出血と伴に、畳の上にドンと倒れ込む。

 反対側に座っていたマダムだけは、恐ろしさから、逃げようにも逃げきれず、腰からずり落ちるように、堀ごたつの下に潜り込んだ。

「助けてください!殺さないでください!」

と絶叫して命乞いする最後のマダムの声が、柳刃9寸を持ったまま、血まみれの板場姿で呆然と立ち尽くす店主には、地獄から立ち上る呻き声のように聞こえた…


今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。m(_ _)m

この作品は、食べログコメントを元に、一部実話で作られていますが、ストーリーはフィクションです。

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