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心にハルを 〜命と向き合った先に観えた一筋の光〜

酒谷晃生/NPOココハル

はじめまして。

わたしは、
特定非営利活動法人ココロにハルを、
代表理事の、酒谷晃生(サカヤ コウキ)、と申します。

本記事は、
2020年12月4日Facebook投稿(一部改変)を元に、
当法人の設立に至った
わたし個人の動機、理由、ビジョンを綴っています。

私事の内容で大変恐縮ではありますが、
最後までお付き合い頂けたのであれば幸いです。

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◉はじめに

特定非営利活動法人ココロにハルを(NPOココハル)設立に至った

もう一つの大きな想いを、

『今日という日』

だからこそ共有させて頂こうと思いました。

ですが、

想像以上の長文であること、

そして、かなりプライベートな内容ですので、

もし、この先も読み進めて頂ける方がおりましたら、

途中まで、ではなく、

全文をお読み頂けますと幸いに存じます。

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◉ペナ・ショッカー症候群I型(Pena-Shokeir syndrome)


わたしは2019年2月に
長男を病気で亡くす経験をしております。

死亡前後、数多くの検査と診察の結果、

死亡診断は、

ペナ・ショッカー症候群I型(Pena-Shokeir syndrome)

と、医師より告げられました。

google検索でも殆どヒットしない疾患であり、

数少ない情報の中でも、そこに表記されていたのは、

有病率は100万出生に1未満である。胎児の約30%が子宮内で死亡し、新生児の大多数は肺低形成のために新生児期初期に死亡

medic.jp

との事でした。

「100万分の1の確率。。。なんでわたしたちの子が。。。」

わたしたち夫婦は、絶望と落胆と共に、人生のドン底を味わいました。

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◉初めての妊娠


『今日という日』から約2年半前まで話は遡ります。

2018年、北海道札幌の地に少し遅い夏が訪れた頃、

妻のお腹に初めての生命が宿りました。

夫婦共々、妊娠を涙ながらに喜んだことを鮮明に覚えております。

それ以降、

わたしはそんな柔らかな嬉しさと共に、

定期検診のたびに妻の付き添いをしておりました。

そして、

エコー画面上に写る小さな命が徐々に育っていく姿に、
言葉ではなんとも表現し難い喜びを感じておりました。

ただ自宅では、
事あるたびにトイレに駆け込んでは胃液を吐き出しており、

「あんなに吐いてるけど、本当に大丈夫なのかな、、、?」

とどうして良いのかわからずオロオロしてしまい、
まるで役に立たない夫だなぁと、自分を情けなく思っておりました。


妊娠5ヶ月を過ぎた頃、
流産のリスクは減少し安定期に向かう、
ということはなんとなく知っておりましたので、

もう既に、

「きっとこのまま順調に生まれてくるんだろう」と、
ホッと安堵感を胸に、
”我が子と出逢えるその日”の為に、
親としての心構えや溢れる喜びが
私たち夫婦中でスクスクと育っておりました。

ただ、
お腹を蹴る、といった胎動の感覚がまるで感じられず、
「なんでだろうね?」
そんな小さな疑問を除いては。

◉青天の霹靂

2018年12月、妊娠7ヶ月の頃
月に2回訪れる定期検診にて主治医より告げられた言葉。

「お腹の子が全身水ぶくれのように膨れています。」

「えっ?どういうこと???」

わたしたち夫婦は気持ちを整える時間も猶予も与えて貰えず、

訳も分からず、市内の大きな病院に緊急搬送。

病院の医師からは

「非常に危険な状態です。」

翌日に、
妻のお腹の中にいる状態のまま、
子供の小さな小さな肺にバイパスを通す緊急手術、を行ないました。

「無事でありますように、、、。」

と、天に祈りました。

術後より、

妻も心不全と危険な状態となりましたが、

妻とお腹の中にいる子供は、

医療スタッフの懸命な関わりもあり、なんとか一命を取り留めました。

その瞬間より、

子供との出逢いを待ち望んでいた日々が、

何気ない日常やホッと安堵感を感じていた時間が、

命は当たり前のように生まれてくる、といった安易な誤解が、

その全てが
まるでパラレルワールドに迷い込んだかのように、

夫婦の間には、
生き地獄とも取れる辛く苦しく耐え難い時間が流れ始めました。

少しでも子供の体調の変化を望み、改善して欲しいと願い、
医療従事者にただただ頼る毎日。

それも全ては、我が子が無事に生まれてきて欲しい、と
願い続ける夫婦の想い、からでした。

◉こんなクリスマスプレゼントは要らない

病院での入院生活も2週間程経過し、
妻の心不全の状態も快方に向かっており、

北海道の真冬シーズン、
わたし自身も仕事と病院への見舞いの日々に、
僅かばかりの慣れが生まれ始めたそんな時期。

主治医より告げられた言葉。

「奇跡が起きないと、生まれてきても生きられない子供です。」

この言葉と共に、自宅安静、そして退院が、

2018年12月25日のクリスマスに、
わたしたち夫婦が与えられた贈り物、でした。

退院後より、途方に暮れる暇を惜しみ、

その"奇跡"っていう、かすかな光だけを頼りに、

参拝に行ったり、安産祈願のお守りを買い足しに行ったり、

神社で祈祷をしたり。目に見えないものに拝み、願いまくる日々。

”肺の低形成”も医師より指摘されていたので、

「今、お腹にいて苦しくないかな、、、?」と
そんなことを考えるとグッと涙が溢れてしまう。

胎児に効くと言われる高額な酸素クリームを買い、

「呼吸が少しでも楽になりますように」と願いを込めて
お腹に優しく塗ってみたり。

この頭で考えうる、あらゆる事を実践してみました。

藁にもすがる想い、とはきっとこのようなことを言うのでしょう。

わたしたち夫婦が悪戦苦闘している中、

TVを点ければ、カウントダウンと共に、

2019年HAPPY NEW YEAR!!と世間巷は賑わっていました。

まるで、わたしたち夫婦がこの世界の住人ではないかのように。

年を明けて以降、

妻のお腹は羊水の過剰分泌によりパンパンに大きくなり、
腰の激しい痛みや全身のダルさ、ストレスの蓄積、

母体への負担も増えていく日々。

床から起き上がるのも手を貸さないと出来ず、
歩いていてもふらふらで今にも倒れそうな状態。

もう見てられない。
出来ることならその辛さを代わってあげたいと天に願えど、
何も出来ない自分自身への無力感。

全て夢だったら良いのに、と思い、
幾度となく朝を迎えたとしても、
結局、この現実からは逃れることは出来ず。

永遠に続くかの如き、この苦痛の時間。

辛さや苦しさを耐える為の夫婦の唯一のモチベーションは、

”我が子が無事に産まれて欲しい”

という、小さな小さな小さな ”奇跡” だけでした。

◉願いは儚くも

2019年2月初旬、主治医より告げられた言葉。

「非常に残念ですが、産まれてきても、生きられない命です。」

千切れんばかりに緊張しボロボロになっていた、
私たち夫婦の心の糸は、
プツッ、と音を立てて切れました。

2019年2月19日

わたしは、病院の手術室で立会いをさせて頂き、

帝王切開での出生後、この耳で産声を聴くことなく、

我が子は、わたしの腕の中で15分後に安らかに息を引き取りました。

わたしは涙が溢れて止まりませんでした。

初めての我が子の、生の誕生と死の別れ。

それを同時に体験し、

言葉っていうモノが安っぽく感じてしまうくらい、

表現し切れない感情が心の奥に溢れてきました。

そして、それよりも、何よりも、心配だったのは、

妻の心が壊れてしまわないか。

やはりそれ以降、
意気消沈し自暴自棄となった妻。

そして側に寄り添い支え続けながらの日々。
夫婦の間の哀しみ。
いつ終わるかわからないこの暗闇。
時が解決してくれるという、そんな言葉を信じるしかなくて。

◉命の意味とその先へ

長男の死から、

わたしの脳裏からこびりついて離れなかったのは、

「死にゆく命だったのであれば、我が子は何故産まれてきたのか?」

「生命の価値はどこにあるのか?」

「生きるとはなにか?」

「命とはなにか?」という問い。

学童期にわたし自身の大怪我により将来の夢を見失い、
家族との亀裂、人生のすべてに絶望していた頃、

毎日のように、いや、むしろ毎時毎分毎秒、
わたし自身が想い悩み続けた問い、が
絶望の最中を漂うわたしの元へ、再び現れてきました。

『生と死の間にあるもの』

その正体が知りたい。

わたしはその答えが知りたかった。

何処に進めば良いのかわからず、

ここが何処かもわからず、

この苦しさがいつ無くなるかもわからず、

ただただ、ひたすら、

出口のない暗闇の中でその問いの答えを模索し続けました。


そして、そんなわたしは、『今日という日』

2020年12月4日。

哀しみと苦しさで溢れていた、

同じ病院の、同じ病棟の、同じ待合室で、
溢れる涙と共に、パソコンに向かい、この文章をタイプしています。

今から3時間ほど前に、

次男、が産声をあげて、
この世界に大きな産声をあげ出生しました。

まるで、この世の全ての闇を吹き飛ばすかのように。


あの時とは、明らかに違う涙を流しながら、

わたしは、今、同じ場所、にいます。

この文章を投稿してまでも、

みんなに届いて欲しい本当の想いは、

慰めでも、労いでも、称賛でもありません。

今、どんなに暗い、絶望の中で苦しんでいる人達も、

お金がなくて疲弊して先行きの見えない世界に生きている人も。

生きるっていうのは、

幸せなことばかりではなく、楽しいことばかりではなくて。

苛立つことだって、喧嘩することだって、

嫌なことだって、時には死にたくなるようなことだってある。

人間同士、争い合うことだって、奪い合うことだって、殺し合うことだってある。

地球の裏側では、今日を生きゆく食物さえなくて、苦しんでいる人々だっている。

多大な勘違いによる人間の傲慢によって、住む場所を奪われ、途方に暮れる動植物の生命だってある。

そんな綺麗事だけではない、そんな世界に生きているわたし達だけど。

それでも、

それでも、

それでも。

生まれて良かった、といつか語れる未来を創る為に。

私たち自身である為に、

私たち自身でいる為に。

これからの私たちの優しき選択の先にある未来へ。

”すべての生命に優しい世界を創ろう”

特定非営利活動法人ココロにハルを、は

そんな想いを心の底から込めて設立した、
NPOココハル、という新しい生命になります。

亡くなった長男の名前は、

酒谷 悠生(サカヤ ハルキ)。

ココロにハルを。いつまでも一緒に。

最後まで、読んで頂き、本当に本当に本当にありがとうございました。

これからも共に生きていきましょう。この生命が続く限り。

2020年12月4日

特定非営利活動法人ココロにハルを 
代表理事 酒谷晃生 拝

特定非営利活動法人ココロにハルを
公式ホームページ

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