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小さな選択の積み重ね

先日、ここに「逃げてはダメ。」と自分に言い聞かせるような文章を書いた。

そしたら、その文章を見てくれたある人が、
わたしの不安と焦りを察して、長文のメッセージを送ってくれた。

メッセージ

「逃げてはダメって書いてたけど、毎日精一杯、小さな「選択」というチャレンジをあなた(名前)はしてるなーって思うの。」

これは一部だけど、内容的には、
仕事するうえで、やります!やらせてください!って、
なにもできない自分だけど、これならできるだろうと思って立候補している、わたしにとっての当然のことでさえも評価してくれて、これらひとつひとつがあなたの自信になるのよ。
といった感じで、
わたしの行動1つ1つをちゃんと見てくれて、
それをちゃんと言葉にして評価してくれてた。

いや、まずこうやって無価値な人間だと感じている自分に目を向け、メッセージを送ってくれる人が近くにいること。
このことにどれだけの価値があるのだろうか。本当に感謝している。
こういう人との出会いを大切にしたいと思った。

それに伴い、
「何もできない。」と自分を評価することは、
周りの大好きなひとたちに無価値な人間を差し出すという失礼な行為をしているように感じた。

だから、せめて大切なひとたちの前では、
自信をもって、対等な立場で関わることのできる自分でいたいと思うようになった。


選択

複数の道の中から、自分の意思でやることを選ぶこと。

「やらない後悔より、やって後悔。」
みたいな言葉もあるけれど、選択するときのわたしは、
そんなこと一切考えてない。

あ!楽しそう~~~!で、後先何も考えずに、
やるという方を選ぶので、後悔もあるが、
選択したあとに「どうして突発的に挑戦するなんて言ったのだろうか?」と焦りという感情ももたらしてくれる。

昨日の卒論発表の登壇だってそうだ。
色々とあったので立候補したが、
これやることで先生との時間、強制的にとれるよな~と脳裏をよぎったことが登壇することの決め手となった。

そしたら、見事に失態を晒すはめになったのだ。
しかし、望んでいた大好きな先生と話す時間は確保できたし、
卒論も進めることがでいたので結果オーライ。

先生の名をこんな失態で汚すくらいなら、
他の学生にやってもらった方が良かったのではないかという思考が一瞬よぎったりもしたが、「やってよかった。」って思った。

ほかにも、自分の特性なのか、
「わたし、やります!やらせてください!」
って色んな場面で、立候補し、蓋をあけたら全然できない…。みたいなことが数えきれないくらいある。

だけど、全く後悔はしていない。

もちろん、失敗に終わることの方が多いので、終わった後ひとり反省会ではいたたまれない気持ちになって、自己否定も繰り返してきた。
その都度の後悔はあるが、過去のこととして捉えることが出来ている今は、全部「やってよかった」と思うし、後悔はしてない。
(たくさんの人に迷惑をかけ、たくさんの人に謝ってきたけど。)

「やらないと分からない」

「やらない後悔より、やって後悔」という言葉より「やらないと分からない」の言葉の方が、わたしには合っているかもしれない。

さっきの話で言うと、人前に立つことはすごく苦手。
だけど、相手によって得意な時もあるのでは?と思い、年下相手に発表をする機会をもらったとき、嘘みたいに普通に話すことが出来た。

これ、過去一度の経験で「わたしは人前に立つのが苦手だ」と断定付け、人前に立つことを避けていたら分からなかったこと。

「やってみる」を選択することで、
「できない」場所もあるけど「できる」場所もみつけることができる。

だったら、やってみた方がよくない?って思考なのかもしれない。
この思考が当然のようにあるので「選択した」という行為を自分で肯定するにも至っていなかったのだろう。

選択したときの自分が「選択する」という部分を肯定できるようになったら、もっと自己受容できる気がした。

極論でしか自分を判断できなかった

現状のわたし:(挑戦を選ぶことに対して)自分がやりたくて選んでるんだから、当然。
それよりもこの選択をどのように成功にもっていくのか?もしくは成功できる兆しがないからやめるという選択をとるのか?

みたいな極端な2択で物事を考えていて、「失敗してもいい」なんて考えもしなかった。だから、成功させるために試行錯誤して最善の状態で挑んでいたつもりだ。それで失敗して後悔するみたいな悪循環。

しかし、ここに「挑戦を選んだ!これで新しいわたしに出会えるかもしれない」という選択したことによってみえる将来の自分への期待感を持つことが出来れば、成功も失敗もどうでもよくなる。

挑戦した先にいる自分の変化に期待していて、成功だけを望まない状態になったのだから。

そしたら、0か100でしか物事をみれない極端人間ではなくなり、1~99の中にいる自分も肯定できるはず。
やってみた後のひとり反省会も自己否定ではなく振り返りになって、自分の変化した部分と改善できる部分をちゃんと冷静にみることができるような気がした。

ノウハウコレクターは悪くない。

こんなこと、自己啓発本読んだらザラに書いてある。
わたしも知ってた。こうした方がいいって。

頭では理解していても、行動には現れなかった。
これ、多分「自己否定」している方が自分にとって都合がよかったからなんだと思う。

でも最近、自己否定することで不都合な場面が多くなってきた。
自己否定をすることで、周りの人と違う自分に焦り、勝手に不安を感じ「普通」に憧れてしまう。
本当は普通なんて望んでいないのに。(普通とはという話はおおいおい…)

自己否定感が自分にとって不利になってきた今、ようやく自分を肯定することのメリットを感じられるようになった。

だから、こんな支離滅裂な文章を読んでくれたあなたがの理解力で「選択を肯定すること・自己否定を減らしていくこと」これ大事だよなって理解できたとしても、現状なんとかやっていけてるのであれば多分変われない。というか絶対変われない。

だから、頭の隅っこにある引き出しの奥にこうした方がきっといんだよなっていう知識を閉まっておいてください。

そしたら、今まで上手くいっていたけどできなくなってきたという変わり目のタイミングで、意識改革の一助になるかもしれないから。

この文章、読者に向けているようで自分にも向けている。

ノウハウコレクターになっている自分を否定しているわたしに対して、
すぐにはその知識使えないかもしれないけど、持ってたら絶対いいことあるよ。だから、興味の赴くままにノウハウ蓄えてね。って。

意識変えるだけだよ~なんて多くの人はいうけど、
その気にならないと意識変えることって、めちゃくちゃ難しい。



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