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イメージパース描きました。そしてこんな中華そば屋を始めます。

ここでは自分のイタリア雑貨店「douzo」のことを開始からいろいろ書いていましたが、もともとフリーのグラフィックデザイナーもやっていたのでぼちぼちそちらのことや、それを説明するに当たって切り離せないプライベートな経緯も綴ろうと思います。(というか、私はどちらかというと他人のプライベートなことって誰が興味あるねん!というステータスですが、あえてやってみようと思います。実験です。)

私の生活圏は主に4箇所あり、いつも店のある北浜、地元豊中、生まれた土地夙川、そして新世界をぐるぐるしながら生活しています。というか、今や生活圏はほぼほぼ新世界にあります。新世界は、ある店と人に出会い、そこに一緒に住むようになり、はや5年が経ちました。
もともと大阪・キタが生活圏でいわゆる「上品な」方の大阪で育ってきた自分からしたら、コテコテの大阪のミナミから南のエリア、とくに日雇い労働者のおっちゃんの町・西成とセットの新世界というエリアは自分の日常とかけ離れた場所で、でもだからこそ、そそる町でした。親にはなるべく近づくなと言われていたかもしれません。悪く言えば「下品な」大阪と揶揄されるでしょう。けれど、「下町」の良さは入って見ればわかります。口コミレートの高い店ばかり行っていても、「味を知っている」とは言えないように。

大学卒業後、会社員として3年ほど働きお金を貯め、2013年から2014年にかけてイタリア留学をし、帰国してさて何を始めようか、と迷っていた頃に「やっぱりこれがしてみたかった」と手を付けたのがグラフィックデザイナーの仕事で、「イタリアみたいで好きだ」と近づいたのが新世界のある店でした。

「イタリアみたい」とはざっくりどういうことかというと、「客と店の垣根がない」ということです。ここの店主は来る客来る客を自分の領域に呼び込み、店のことをその客の自分事にし、どんどん巻き込んでいました。

若い自分には、日本社会は、だいたい「店側役」「客側役」「社会人役」「子供役」「女役」「男役」というのがあり、皆「世間」の中の役割を演じないといけない、そうじゃないと良くて「変わった奴」悪くて「社会不適合者」として弾かれてしまう。そんな風に見えていたので、それなりにうまく付き合っていたけど、とても窮屈に感じていた。
だから、一度日本「社会(本当は世間)」を出て、人間らしさ溢れるイタリアで生活してみたかった訳で。イタリアでは「役」じゃなくて「自分」でいいという人間らしさの素晴らしさを、太陽の光のようにたっぷり吸ってきた直後だったので、この店との出会いは衝撃でした。「日本にもイタリアがある」と。

かくして、帰国後私は大阪のイタリアにはまり、気がつけば生活の基盤を移していました。親からしたら驚きでしたでしょう。

そしてかくかくしかじか、私もその店側の人間になり、5年間、店主と共に生活し、いろんなことを彼とこの店で実験してきましたが、強力な参謀も参戦し、最終的な実験をすることになりました。それが「中華そば屋」さんです。

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大阪新世界の住所不詳の中華そば屋さん。

もともと労働者の街であるため、昼から開いている飲み屋街と、通天閣を中心とした観光スポット。
そんな賑わいのある中心地から一歩逸れると取り残されたような商店街が。アーケードの灯りが消えた夜、ポツンと浮かぶ灯火。近づけば、赤い口を開けて誘う一件の店。気がつけば、私はその座敷に腰を下ろしていた。

そんな匂いを醸し出せるよう、制作しました。

この店の制作にあたり、クラウドファンディングに挑戦しています。
CAMPFIRE にて「中華そば、新世界」で検索してください。お店を作ることになった経緯もそこに記しています。

https://camp-fire.jp/projects/view/320754

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