【芸事で生きていく】

ということを9年してきた。10月で10年となる。

ひとえにここで疑問が生まれると思う。

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具体的にどうやって生きてきたのか。

 そうそう。それ。

上の画像は 京都の某ホテルにて 

病院系列の組合みなさまの周年感謝祭にお呼ばれ頂いてのショーの様子である。

もちろんこの仕事一つにしても

・仲介代理店

・ホテルクライアント

など 業者が挟まれ 打ち合わせが度々行われたのち、実施している。

この1ステージにて 自分に入るギャラは ¥30000〜¥80000ほどが多い。

人によっては¥100000〜¥150000なども多いだろう。

こうした案件を月に数多くこなすことで

月の売上は40〜50万になる。

これが ついこの前までの

というより現段階での 収入のほぼである。

こうした案件があることで生きていける。

「こうした仕事がないときは?」

そうそう

よくぞ聞いてくれた。


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ストリートマジック

というやつである。

2012年〜2013年にかけて主に

ほぼ半年は毎日やっていたように思う。

路上マジックというやつで

お客さんをネタで足止めしてネタを見せ、投げ銭をもらう。

朝までがんばれば いい時は10000円くらいの収入になる。


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始めたての頃。

いろんなツッコミが必要である。まず使っているテーブル。

このあと、酔っ払いに破壊された。

自分の無知力と危機感のなさに泣いた日である。

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良い出会いがたくさんあった。

この時の経験は宝物である。人は優しい。

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ちなみにこの時は原付移動。

ホンダのTODAY。乗りすぎでエンジンが焼き付いて壊れた。ありがとう。

そうした生活を続けていくことで だんだんと仕事が増えていった。呼んでもらえるっていうのを仕事と呼ぶ。

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昔の名前は 大ドジ芸人のず。

大道芸だけしか知らなかった。やれることも少なかった。

マジックBARで学んだテーブルマジックを

ストリートスタイルに消化して実戦で覚えていった。

そのおかげで今の芸風がある。荒々しいけれど

一般の人に楽しんでもらえるルーティンになっている自信はある。

マニアにはあまり喜んでもらえないと思うけれど..

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いろんな飲食店にも助けられた。定期的にイベントを組んでくれた店舗。それをきっかけに派生してたくさんの仕事をいただいてこれた。

その一つ一つは本当に奇跡的なことだったんだと改めて思う。

人に恵まれて、救われて生きてこれた。


長くなりそうなので

また書く。

書いていくことでまた

見えることがありそう。


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