いのちのこと

人間は、自ら死を望む、唯一の生き物だ。猫も、魚も、カラスも、自死しない。
わたしたちは、呼吸をし、食事を摂り、ときに眠りながら、それぞれのことばで会話して、日々を縫うように閉じ、また解いて暮らしている。ある日には番(つが)い、粛々と子孫を残す者たちもいる。
大筋はいのちに従っているのであり、多くはこの流れに逆らうことなく最期を迎える。
偶(たま)さか、捕食や病、事故でいのちを落とす者もいるが、それも淀みない流れのひとつ、いのちそのものに禍福はない。
ところが、人間だけは違う。ひとだけが、いのちの流れを自ら途絶する。
いのちの重さを天秤に掛け、幸不幸を色分けし、流れから外れて、水鏡の自分を凝視する。
それでも、そうしているうちは生きている。寧ろ、ひとの生とは、この果てない繰り返しだ。
秤を何度も傾け、色のついた眼鏡で世界を覗いては、また鏡に映った顔を確かめる。しかし鏡は歪みやすくて頼りない。
そうしているうちに、疲れてくる。
身体に組まれた時計は回り続け、昼夜は逆さになり、まるで白夜のさなかにいるように、すべてが白く翳ってくる。
そのとき、胸に鳴りやまないベルが響く。雨が奔(はし)り、鳥がいっせいに飛び立つ。
「流れ」は、きっとこうして消える。
きっと、たぶん。なぜなら、わたしも未だ、そして辛うじてベルの向こうへ行っていないから。
わたしは何度もベルの音を聴いてきた。今夜も鳴るだろうし、それはあなたもよく知っているはずの音だ。
どうして、わたしたちは、ふたたび流れに戻ってくることができるのか。
胸の暗い木立ちから、ベルに驚いた鳥たちが逃げ出さない為に、なにをすべきか。
きっと、たぶん。「流れ」の対岸は遠くて、その奔流に逆らうことは、思いの外難しいのだ。
そして我々の胸の鳥は、とても恐がりだから。静かに、優しい歌をうたってあげよう。

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