ニュージーランド親子留学 決定前夜
2024年、9月。
波風立てず過ごしてきた日々に突然、大きな刺激がやってきた。ニュージーランドに親子3人、短期ではあるが留学することに決めた。期間は3ヶ月弱、2025年2月から4月までオークランドに滞在する。
私自身の気持ちの推移を綴るため、そして準備・滞在の忘備録という意味も込めてマガジンを立ち上げた。今回はその第1回目だ。留学を決めるまでの思いを綴りたいと思う。
コロナ禍を経て再始動
現在、子どもたちは11歳と7歳。じつはコロナ前の5、6年前にも親子留学を考えていた時期があった。留学するなら小学校のうちに。そんな思いがあったからだ。当時はニュージランド大使館主催のニュージーランド留学フェアにも参加し、いくつかの学校から話を聞いた。絞りきれないまま、覚悟も決まらないままにコロナ騒動が始まり、日本は鎖国状態に。今思えば、コロナ禍の数年は地獄のような環境だった。
閉塞感に押し潰される前に
自由に旅行できない、国外に出られない。私はトラベルライターとしても活動していたため、旅行関連の仕事は一気になくなった。メディア側も尻込みし、とくにファミリーの旅行やお出かけ記事を露出することが本当に難しかったのだ。海外旅行を再開したのは2023年。2020年の1月にハワイを訪れた以来で、久しぶりすぎてパスポートの有効期限が切れていた。もっと早く解禁することはできたが、海外旅行のためにワクチンを打ち健康を損なうリスクをとることは私には到底できなかった。子どもたちはなおさらだ。
約3年間、外との接触を断ちリアルに情報を得られない日本暮らしの環境。今振り返ると、いい面も悪い面もあった。よかったことは、日本で暮らす家をより快適にアップデートできたこと。食生活も整い、玄米・味噌汁・梅干し・豆腐などの基本的な和食生活を心から楽しめるようになった。どうしても耐えられなかったのは、自分の心が内向きに閉じていく感覚が強くなってしまったこと。バスの運転手に降車時「ありがとう」と言ったり、すれ違う人に話しかけたりというような、ごく普通のことができない。コロナ禍が落ち着いた今でも、こうした光景はあまり変わっていないように思う。
私は日本人だし、日本の文化も愛している。外国の慣習すべてが素晴らしいというわけではないし、自国を卑下するつもりもないが、陰湿な空気が濃くなってしまった気がしてならない。そして「出る杭は打つ」「村八分」「他人と比較しすぎる」「周りの目を気にしすぎる」「我慢は美徳」といった雰囲気や慣習も、さらに色濃くなっている気がして息が詰まりそうになる。フリーランスで仕事をしている今はずいぶん緩和されたが、もう二度と会社員として働けないのではないかと自分ではもう覚悟を決めているくらいだ。
半分は子どものため、半分は自分のため
こうした閉塞感から抜け出したい。今回の親子留学には、じつはこの思いが半分ほどを占めている。つまりは、自分自身のためだ。
私は英語を話しているときの自分が好きだ。性格すら変わる気がしている。気のせいではなく、きっと変わっているのだと思う。英語を話していると心がオープンになって、人にも優しくなれる。自己主張も日本語以上にはっきり強くできる。なぜかこのときは自己肯定感が上がっているのかもしれない。それに気づいたのは、20代の頃オーストラリア・シドニーに滞在していたとき。ワーキングホリデーだったので1年未満の短い期間だったが、それまでの自分と何かが違うとはっきり分かった。
それからおよそ20年。だましだまし、のらりくらり過ごしてきた生活を大きく変える機会に恵まれている。それが今だ。環境が変わり、英語を常時話す環境に身を置くことで、「好きな自分」でいられる時間が長くなる。もう一度、そんな自分を見てみたい。