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記憶のひきだしの奥底の話

最近noteを書くことで、昔の記憶がスルスルっと出てくるようになり、”思い出さんぽ”に出かけています。

今日は、”思い出さんぽ”で行ってきた、一番古い記憶について書こうと思います。


夜の横浜の街を、走っていた。

凍てつく風が、剥き出しの頬と耳を突き刺した。

冷たくて、手で頬を抑えたかったが、左手は母が掴んで引っ張っていたし、右手はふりふりとひらひらがたくさんついたドレスを隠すために上着の前側を掴んでいた。


眩しくて熱すぎる照明を浴びせてくるステージから、袖に引っ込んだところで、母が私に上着を投げるように渡し、矢継ぎ早に何かを説明していた。

緊張の糸が解けた私は、頭が真っ白で、一歩一歩歩く足の裏に空気の泡が入っているような心地で、「お兄ちゃんが」と「待ってる」しか聞き取れなかった。

足元がおぼつかない私に痺れを切らした母は、まだ袖を通していない私の左手首を掴み、走り出した。


外気に触れて正気を取り戻した私は、「お兄ちゃんがな〜に〜?」と尋ねた。

母は正面を向いたまま何かを叫んでいたが、母の足が地面に触れるたびに小気味良く鳴るコツコツとした音と、顔に吹き付ける風のせいで、何も聞き取れなかった。

とにかく、母の引力に身を任せながら、足を動かした。

さっきまで、ピアノの演奏していたことが夢のように曖昧で、青白いネオンが視界の端を駆けていくのを眺めていた。


息を切らしながら駅の階段を降り、最後の3段で母のテンポに合わせられず、足がもつれた。

私がバランスを崩したのに気づいた母が、こちらを振り返るのを最後に、目をギュッと瞑った。

膝に衝撃を感じたが、すごい力で上に引っ張り上げられた。

目を開いたところで、私を地面に立たせた母が、今度は右手を掴み、走り出した。

何度も迫り来る黒い服を着た人の隙間を、母はするりと抜けたが、私は避けきれず大胆にぶつかっていた。

「ママ、待って」と言いたいのに、喉の奥に何かが込み上げ、グッと力が入って声が出なかった。

視界がだんだんぼやけて、母の肩に掛かった私のピンクのリュックが走るたびにぴょんぴょん跳ねているのを見ていると、顔面に何かすごい衝撃を感じた。

その瞬間、右手を掴んでいた圧迫がなくなり、「あっ手が離れた」と思ったと同時に、頭がぐわんぐわんした。

何が起きたのかわからなくて「お坊さんが、お寺で鐘をついているみたい。」と呆然と突っ立っていると、母が爆笑しながら私の手を掴み直し、さっきよりはゆっくりめに走り出した。

数秒で改札につくと、そこには兄がいて、私を見るなり爆笑したのだ。鼻血が出ていたらしい。

私はもう痛くて、しんどくて、恥ずかしくて、悲しくて、感情がグチャグチャして、全然止まってくれなかった母に怒りが湧いてきて、口をへの字に曲げながら、券売機で切符を買う母のお尻をポカスカと殴りつけたのだが、4歳の私の暴力は無意味で、「はいはい、痛かったね〜」と私の頭を撫でた。

そこからはどうやって帰ったのか覚えていないのだが、家につき、母に服を脱がせてもらっていると、膝を擦りむいたときの血がタイツをくっつけていて「こりゃあ痛いわね〜」とまた笑った。

笑い事じゃない!と怒りが湧いたが、当時それを表現する言葉を知らなくて、泣くしかなかった。

散々泣いた後、「頭がいたい」と言うと、母が頭を優しく撫でながら「あら、おでこにタンコブできてるわ」とまた笑った。


一通りの手当が終わり、氷枕と冷えピタで頭を冷やしながら、座敷に敷いてもらった布団で横になっていると、何も知らない父が仕事から帰宅した。

父が座敷を覗き込みながら「今日の発表会どうだった?」と聞いてきたが、すこぶる機嫌が悪かったので無視した。

夕食の準備をしている母が笑いながら、駅での一連の出来事を説明し始めた。

3人が談笑しているのを聴きながら、「私は駅の柱に頭をぶつけたのか」と思ったが、言葉を発する気力もなく、深い眠りに落ちた。




というのが、いま思い出せる一番最初の記憶です。

書きながら何度も笑ってしまいました。

“思い出さんぽ”は楽しいですが、気がつくととんでもなく時間が経過していたりするので要注意ですね。

それでは


私へ
noteを毎日更新しているのは偉いけれど、そろそろ制作を進めようね。
「いちばんすきな花」を見終わってからでいいから。
刺繍にハマってる場合じゃないぞ。