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人が抱える孤独の正体はなんだろう 孤独という、正体不明で 確かな定義すらない、だけどひとたび その状態に陥れば 確実に私たちの精神を蝕む、 その言葉の意味を、 同じベッドで先に寝入った夫の隣で、 ひとりぼんやりと考える。 「孤独」

    • 最近、母の事をよく思いだす。

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      • 弱さという強さ

         2023年 3月16日    性被害から、自分を守るのは難しい。 強者に見えるやつらは弱者で、弱者に見えるやつらは強者だからだ。世界は、弱者のために作られ、強者という脆弱なやつらは淘汰される仕組みになっている。  恐ろしいのは、その事実が、誰も救えないという、事実があるということだ。この世界では、誰かにとって利益のある事実しか真実として報道されない。認められない。だが、真実と事実は別物だ。  真実とは、誰もそれを真実だと認めたくない、多くの場合は誰かの不利益になってしまうこ

        • 正解を追いかけているのか不正解から逃げているのか

           自分が正しいと思う道を突き進んでいると、どんどん生きるのが 窮屈になっていく。いや、今の時代、正しさを貫くなんて不可能だ。母体が大きい組織に属せば、正しさなんてたちまち煙に巻かれ塵となっていずれは風化してしまう。人は、立場やポジションで人を判断する。そして動く。あるいは傍観する。  日本で訪問看護師を続けるのなら、「めんどうなことは傍観。」が一番楽なスタイルだ。傍観していようが、困難に立ち向かおうが、助かる人は助かるし、助からない人は、もがいても助からない。身体的にも、倫理

        人が抱える孤独の正体はなんだろう 孤独という、正体不明で 確かな定義すらない、だけどひとたび その状態に陥れば 確実に私たちの精神を蝕む、 その言葉の意味を、 同じベッドで先に寝入った夫の隣で、 ひとりぼんやりと考える。 「孤独」

          Truth But Useless

          「真実、だけど、役に立たない。」 だれが言った言葉なんだろう。そして、この言葉をどう解釈すればいいんだろう。   在宅の現場には、悲しい日本の惨く、悲惨な医療の実態がある。地域包括ケアシステムだとかいう稚拙な骨組みから抜け落ちた、救いようのない、病と孤独を抱えた人たちがいる。孤独とは、単に独居である、身寄りがいない、経済的な余裕がない、という意味ではない。裕福で、タワーマンションの最上階に住み、必要な介護サービスを受け、訪問看護を導入し、食事は宅配サービスを利用し、ほかの曜日

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          正しさと脆さ

          看護師の仕事についてからずっと思っていた事がある。そして、ずっと違和感だった事がある。 正しさと弱さは、表裏一体なんだということ 正しさは、負けるということ。 正しさは、嫌われるということ。 正しさは、いつも正しくてだけど、 正しさでは、誰も救えないということ。 担当の利用者さんに、 悪性リンパ腫を患っている人がいる。 余命は、数ヶ月。 告知は、されていない。 家族、親戚、医師、ケアマネジャー、全ての周囲の人たちのエゴで、告知はされない。 正しさは、弱さの事だ。 正し

          正しさと脆さ

          病と共に生きる

           大動脈弁狭窄症という疾患をご存じだろうか。中々聞きなれない病名だと思う。だが、実は「80歳代の高齢者の8人に1人は、この病気を患っている。」といわれるほどの、コモンディジーズなのだ。この病気は、自覚症状が乏しいことが多い。そのため、発見されにくいという特徴がある。  その理由として第一に、一般的な健康診断で行う血液検査ではまず見つからない。心電図検査においても、(熟練した)循環器内科医でなければ、大動脈弁狭窄症の可能性を拾い上げるのは至難の業といっていい。  第二に、高齢者

          病と共に生きる

          看護におけるVulnerableとは

           英語には、日本語に翻訳しづらい単語が数多くある。逆もしかりだが、日本語にしてしまうとなんとなく言葉の意味、ニュアンスが変化してしまい、本来の意味がもつ輪郭が曖昧になり伝えたかった気持ちがずれてしまう事がよくある。(のではないかと感じている。)  Vulnerableとは、日本語に訳してみると、「弱者」「無防備」「不安定」「傷つきやすい。」「弱い立場」といった言葉がでてくるが、どうもどの言葉もしっくりこない。  そこで私は、近所(家の隣の隣)にある英会話教室の講師であるジョン

          看護におけるVulnerableとは

          訪問看護にであう

          ちょうど一年ほど前、「訪問看護師」という職業に転職をした。 元々やってみたかったわけでも、興味があったわけでもなんでもなく、 きっかけは、正真正銘の「思い付き」だ。「なんとなく」のほうがより正しいかもしれない。  以前は循環器単科の病院に7年ほど勤務していた。その後は海外で働きたいというこれまたぼんやりした、明確な意志や目標といったところとは程遠い理由(理由とすら言えないかもしれない)で、7年間勤務した大好きだった仕事をあっさり辞め、ひとり欧州へと旅立った。今思えば、なんと愚

          訪問看護にであう