訪問看護にであう

ちょうど一年ほど前、「訪問看護師」という職業に転職をした。
元々やってみたかったわけでも、興味があったわけでもなんでもなく、
きっかけは、正真正銘の「思い付き」だ。「なんとなく」のほうがより正しいかもしれない。
 以前は循環器単科の病院に7年ほど勤務していた。その後は海外で働きたいというこれまたぼんやりした、明確な意志や目標といったところとは程遠い理由(理由とすら言えないかもしれない)で、7年間勤務した大好きだった仕事をあっさり辞め、ひとり欧州へと旅立った。今思えば、なんと愚かな行為なんだ、と過去の自分に畏怖すら感じる。20代だったから出来たんだろうとも思うが、それにしても愚か極まりない行為だ。愚かの極みとはまさに私のような人のことだと思う。まあそんな経緯で、なんの計画も明確な目的もない語学留学という名の長い旅行が始まったわけだが、同じようになんの目的もなく留学にきている日本人によくある話(たぶん私だけかもしれない)で、英語でのコミュニケーションが一切取れず、たどたどしい自分の英語に追い打ちをかけるようにクラスメイトには小ばかにされ、ネイティブには何度も何度も何度も聴き返され(Libraryという単語すら聴き取ってもらえなかった時はもう泣きそうになった。いやたぶん泣いていた。)、自分の発音の悪さ、単語力のなさからくる、言葉や文章の稚拙さにただただ失望する毎日を送り、そのうちコミュニケーションをとることそのものをどこかで諦め、開き直って一人であちらこちらを旅行しまくり、散在しまくり、気が付けば会話らしい会話をしたのはホストファミリーのおばあさんと、スターバックスの定員と、タクシーの運転手くらいだったという事に気付くというオチだ。

 完全に「海外に行っただけでまんぞくしちゃった組」という沼に甘んじて浸かっていた私は、せっかくの海外で自堕落な生活を送り、(英語のクラスも結構な頻度で休んだ)体重だけがぐいぐい増え、(4か月で+6㎏という恐ろしい記録を叩き出した)たいした英語力も身につかないまま、「ちょっと数か月海外に行ってきて満足して帰ってきた英語力のないどやってるきもいやつ」として帰国したのだった。その後もフリーランスで看護師を続け、(かっこいい言い方をしたがようは非常勤)お金が貯まれば短期留学をするといった生活を繰り返した。
 安く看護留学ができるという理由でフィリピンのセブ島にも数か月行った。しかしその最中、コロナウイルスという人類の歴史に刻まれるであろう得体のしれない生命体(といっていいのか)が世界中で猛威を振るい始めた。能天気に「看護留学だぜ!」とかいって居られない状況に追い詰められた私だったが、それでもしばらくは、自分でもビビるくらいに能天気を貫いていた。本当に自分で自分にびびる。しかもその時すでに31歳。その年齢にもその状況にも、世の中の同年代の多くの女性達が感じているであろう焦燥感や不確かな未来への不安等、微塵も感じることなくむしろそれを横目に「なんで焦ってんだろうなあこの人たち。不思議~。」などと胡坐をかいてぼんやりとしてすらいたのだからもうあっぱれだ。
 その後しばらくして、フィリピンの首都空港が続々と閉鎖し始めたところでいよいよになってようやくやばいという事に気付いた私は、半べそをかきながらもなんとか飛行機の予約を取り直し、(その時、空港内はパニック状態だった)やっとの思いで帰国する事が出来た。いや、文章に起こすと自分が紛れもない、正真正銘のバカだという事に気付く。バカ・オブ・ザ・ワールド。愚かさの神髄。愚かの神の子。

 そんな経緯を経て、ようやっと日本に帰国した私は、「さてなにしようかな。英語を活かした仕事をするほどの自信はないし、そもそもこの英語力で雇ってもらえる企業なんて皆無だ。どうしよう。でもまた病棟で働くのは嫌だ。反吐が出るマウンティングや、ハラスメントの横行、夜勤の連続といった地獄が待っているのは目に見えている。さあ、どうする。
 
 ・・・・・・・・・あ、そうだ。「訪問看護」しよう。単独で訪問できるし、誰にも気を使わなくて済むし、誰にも干渉されないだろうし、(そんなことはないと後々知る)そもそも夜勤ないし、(当時はオンコールという地獄の勤務形態の実状を知らない)よし、それだ最高。

 これが、私の訪問看護師の始まりであり、この仕事を始める動機である。何度も思うが、本当に愚かだ。面白いくらい見事なバカ。「何にも言えねえ」とはこういう場面で使うのが正しいのだろうか。
 

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