正解を追いかけているのか不正解から逃げているのか

 自分が正しいと思う道を突き進んでいると、どんどん生きるのが
窮屈になっていく。いや、今の時代、正しさを貫くなんて不可能だ。母体が大きい組織に属せば、正しさなんてたちまち煙に巻かれ塵となっていずれは風化してしまう。人は、立場やポジションで人を判断する。そして動く。あるいは傍観する。
 日本で訪問看護師を続けるのなら、「めんどうなことは傍観。」が一番楽なスタイルだ。傍観していようが、困難に立ち向かおうが、助かる人は助かるし、助からない人は、もがいても助からない。身体的にも、倫理的にも、精神的にも。戦い、勝利すればその先には成功と成長、称賛が待っている。敗北すれば、批難、否定、批判、失望、虚無が、待っている。
 しかし、考える。正解とはなんだろう、正しさとはなんだろう、真実とはなんだろう、倫理とは、道徳とは、人道とは。宗教や文化で、善悪は流動する。悪が正義に、正しさが罪に。看護師という仕事には、正解がない。医学的な正解なら簡単だ。だが、医学における正しさは、倫理における不正解であることもある。何が正しく、どんな理念のもとに生きていくのか。私たち看護師は、常に問われてる。患者から、家族から、医療現場から。
 先日、大動脈弁狭窄症を患った心不全患者が亡くなった。家族と離れ、病院で。その最期は、その人にとっての正解だったのだろうか。その家族にとっての正解だったのだろうか。むしろ、本当に正解を望んでいたのだろうか。在宅医療の現場には、きれいごとや自己欺瞞では隠しきれない闇がある。老々介護、介護負担、経済的負担、精神疾患を患った家族。無関心、無知。数字では拾いきれない日本の医療の現状。そんな、目に見えない学術集会では零れ落ちてしまう様々な理由によって、在宅の心不全患者は苦しんでいる。
 ※記載途中

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